第20話 熟年カイコン (没20)
『熟 年 カ イ コ ン』 (没20)
物事には全て終わりがあるように、結婚にも終わりはある。しかし、離婚という形での別れに関して、私は子供のいる夫婦では熟年離婚しか認めない立場を採る。
子供が独り立ちした後では、いかに相手を罵り合おうと、勝手な行動を双方が取り続けようと、傷つく子供の姿は冷ややかな家庭内にすでに見られないのだから、一向に構わない。若い頃の蜜月を奇麗さっぱり忘れて、相手の非を洗いざらいぶちまけて友の同情を買うのも自由だが、できれば憎しみ合って別れるよりも人生の数十年を共に過ごした後の幕引きには、別の意図があって欲しい。
つまり、子供たちを仕上げて、「これまでの自分の人生は一体何だったのか?」という疑念がふと生じた時、夫への献身と子供の養育に費やしただけ・・と嘆く妻と、ガムシャラに突っ走ってきた自分が会社を支えるための部品の一つにすぎなかった・・と気づく夫にお勧めするのが『熟年解婚』である。
子供たちが独り立ちする頃には自分たちも最早そう若くはない。残りの人生がどれだけあるか分からないが、とにかくお互いが熟年の人生を自分のために開墾したいという意見で一致した時、夫はかつての夢に賭ける意欲を取り戻し、妻は趣味や習い事をプロの域にまで高めようと情熱を傾ける。
離婚原因の代表例である不倫や酒乱どころか、本来なら結婚を解消する必要のない夫婦がする別れ話には何の罵声も過去の粗探しもなく、実に穏やかに円滑に行われる。お互いが自分の結婚は失敗だったと悔恨しているわけではなく、ただ人生に心の余裕がなかっただけ・・と思う熟年には別居という形もあるが、それでは意のままに行動できない引っ掛かりを残す事になるという相手への気遣いから敢えて法的に書類を提出する道を選ぶ。当然、再婚する気などサラサラなく、純粋に夢を追いかける時間を楽しみたいと願う。
人生を六十年も生きていれば自分の処し方はお互いに体得しているし、長年の競争から見栄を脱ぎ捨てれば心は圧倒的に軽くなる事も認識している。それゆえ熟年同士の話し合いは、努めてそれぞれの夢の実現に向けてどう進めたら最も良いかに集中する。もちろん両親の意図を理解した子供たちも協力的で、どちらか一方に加担する事はない。
こんな熟年解婚なら、私自身にもどうだろうか? 週に一度ではあるけれど、妻の役割を分担する食器洗いも掃除も飯の用意も手慣れて一応のものになってきた。子供たちも(どうにか)独立したし、若い頃の見果てぬ夢に今一度ドンキホーテのごとく挑んでみるのも楽しそうだ。・・と夢想しつつも(所詮、無才大飲の没価値男には悔恨が残るだけで開墾などムリ)と解婚に気後れしている私に、この拙文を読んだカミさんが「中々いい提案ね。うちもどうかしら?」なんて切り出してきたら、どないしよ!
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