第6話  可 動 式 箱 形 機 械 ・ 2  (没6)

 日本の一般道は大方、五十キロが制限速度で高速道路でさえ百キロが許容速度のはずだ。と言うことは欲望の赴くままにアクセルを踏めば、一瞬にして・・・。

 スピードは確実に人間の原本能を刺激する魔物の一つで、特に若者と結びつくのは時代がどんなに変わっても不変の真実だろう。青春時代から〝スピード狂〟と揶揄されている没価値男ゆえ、若者の激走を見ても偉そうなコメントは何一つ言えるはずがなく、早々にスピードの幻想に気づいて欲しいとつぶやくばかりだ。さすがにオッサンになると共に全ての感覚が鈍り、今では五〇〇馬力で三〇〇キロ出るスーパーカーに食指を動かしながらも現実には、たとえスピードは一〇〇キロ少々しか出なくても(運転すれば必ず何回かは)ヒヤリとする時に確実に反応して事故を未然に防いでくれる「スーパーセイフティーカー」の方を選択する。

(スピードと安全という相反する問題は永遠に両立し得ない命題として開発者の前に立ちはだかるものの、効率や利便よりも安全を最優先の課題に掲げなくてはならない状況は、あらゆる面で安全が脅かされている現代では車だけの世界とは言えないようだ)

 車には博物館で往年の名車を「見る」悦びもあるには違いないが、基本的に車は動かなければ意味を成さない道具だ。ところが本来「走る」こと以上に大切なのは「止まる」ことで、いかに天才レーサーといえども止まることに確信を持てなければスピードをコントロールすることはできないし、一般ドライバーも遊園地のゴーカートにすら乗る気は起こらないだろう。(あくまでも安全を追求するための開発やレースで命を落とした殉教者たちに敬意と哀悼を・・)

 例えば「左に曲がります。ご注意下さい」とか、「バックします」と(妙齢な?)女性の声で警告を発するトラックのアナウンスは果たして人に優しい車の真心の表れか? トラックは乗用車に比べて左や後ろの視界が悪いからと言って歩行者に注意を促しても車の方が安全を無視して突っ込んでくれば人間は一溜まりもないのに、どうやら車は「そこ退け、俺様だ」のお代官のように偉い代物に成り上がったようだ。没男としては、あのアナウンスは歩行者に「ご注意下さい」と促すのではなく、運転手が「注意します」と自らに発する言葉で初めて人に優しい車の真心になり、女性の姿も(さぞかし妙齢な・・)と頬をゆるめる想像力に変容するのだが・・。

 車を操る喜びを手に入れ、意のままに操れると過信した時点で人は車に操られる木偶に変身する。実は悪魔の仮面も隠し持つ利器は容易に人の心を意のままに操ることができる双子の魔(マ)神(シン)なのだ。(一生に一度でいいからアウトバーンを欧州製のスーパーカーでかっ飛びたいと願い続ける憧れも、もはや夢の中で叶えるしかないか・・)

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