第5話 可 動 式 箱 形 機 械 (没5)
かつて三種の神器と言われた「三C(カラーテレビ、クーラー、カー)」は今や誰もが持てる庶民の器になった。二つのCも本来の目的である「映す、冷やす」点に関して当初よりは進化したものの、多様な能力を秘めた「走る」は進化の過程で人間の理性を凌駕した時、「悪魔の器」に変質した。
(恐らく幼い頃の「メカいじり」が後の車好きに昂じたと思われるが、車を手に入れると何とかして他人と違う車にしようとあれこれ改造しまくり、運転の腕が上がったと自惚れると益々「スピード」の魔力に取りつかれていったのは正に悪魔の囁きに屈した己の意志の弱さに他ならないが、乗る車の種類で人の心が豹変する性向は誰にも潜んでいるような気もする。例えば自分より格下の車に抜かれるとムカついて抜き返しにかかるとか、高級外車に乗ると運転が強引になったり、他人所有の車だと扱いまで雑になる・・)
あらゆる乗り物において、神と悪魔の領域を併せ持つのが「スピード」だろう。つまり乗り物のスピードが速くなって人々に時短をもたらすほど、万一の場合はより悲劇が拡大することになり、結果として神に近づこうとする善意が悪魔の世界に足を踏みいれる事に繋がる。中でも大方の人が自らの意思で二重人格者を使い分けられる車は、正に運転者の心根一つで天国と地獄を行き来する。
恐らく車は人間が発明した数多の利器の内で最高傑作の一つに違いなく、もはや車なしでは今日の産業社会の維持が不可能なばかりか、現代を生き抜く人々の「一部屋」を奪うことから生活も成り立たせなくなるかも知れない。ところが三種の神器と呼ばれていた頃は人々が謙虚で分相応の考えを持っていた。つまりステータスと同時に車種に威信も与えられていた車は、金銭的な余裕のみならず自分が所有するに値するだけの人間的資質があるかどうか・・でも判断した。
にも拘らず、現代の大量生産・大量消費を是とする幻想の下で車は確実に庶民の手の届く器になって町にあふれた。
一般社会で権利を主張する人は同等の義務も遂行しなくてはいけない。簡単に所有できて自らの望みを叶えてくれる魔法の箱が最強の凶器にもなるとしたら、万一の時に大切なのは飲酒や無謀運転で他人の幸せを奪った無礼者に更なる重罰を科すのはもとより、引き続き現実を生きていかなくてはいけない被害者を救済する手立てを加害者に課すことだ。もちろん失われた命を金に換える事はできないけど、全ての運転者が事故の加害者になる危険性を秘めている以上、今や車を持つ人間は万が一の事態に充分対応できるだけの補償能力も併せ持たなくてはいけない。つまり見栄で所有する者の身勝手な欲望の犠牲となって「殺され損」の不幸な人々を生み出さないためには、所有と同時に任意保険並みの高額強制保険を義務づける。
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