第2話  運命

 (没2)

 我々の運命は、どのようにして決定されるのだろうか? 仮に生まれでた時点ですでにそれぞれの運命が決まっているとすれば、それを変更することは不可能なのだろうか? 果たして運命とは、我々が己の意思で自由に支配できないものなのだろうか?

 世の中には生まれついた環境で一生を気ままに暮らせる人がいれば、身を粉にして真摯に働いても一向に暮らしむきの良くならない人もいる。しかし同時に私は、貴族に生まれた者が零落し、平民に生まれた者が覇王に成りあがった例も知っている。

 ところがこれらは己の意思で切り開いていける『人生』であり、その人生としばしば二人三脚を組む『運』の問題である。それに反して『運命』というものは、それらを遥かに凌ぐまさに命に関わる運を指し、人間の英知や全能を駆使しても回避・超越することのできない領域にある。

 生存率がほとんどゼロに近い飛行機事故で助かる人がいれば、全く気の毒としか言いようのない事件や事故の犠牲者もいる。一世紀を越す命を祝う人がいれば、同じ人間として生まれながらもわずか数ヶ月で消えてしまうはかない命もある。どちらもこの世に一つしかない命に変わりはないのに一体、歴然とした命の差をどう説明したらよいだろうか?

 我々は自らが望んで、この世に生まれてきたわけではない。とすれば、命はまさに天から授けられた『運命』で、残念ながら己の命がいつまで続くのか、またどのようにして終わるのか、我々には知るよしもない。

 仮に不慮の死を防ぐために事故や事件を予測しつつ行動するとすれば、相手の車が突っこんでくるとか追突されるかも・・と気にしながらの運転では神経も三十分と持たないだろうし、あるいは人ごみで通り魔殺人に遭うかも知れない・・と思えば、すれ違う隣人の全てに疑いの眼を向けていなければならず、これではストレス解消のドライブも気軽に街をぶらつくことも叶わない。

 結局、人はこの世に生を受けた瞬間から、それぞれが大海に放りだされた小舟で、ナギを行くかシケに遭うかを予測する能力さえ人にはない。それゆえ己の運命は生まれた時点ですでに決定されていて、不断の努力や強靭な意思をもってしても変更・支配できないとうなずくしかないが、これは決して諦めや投げやりの観念ではなく、己に与えられた命を受けいれつつ現実を生きていくための手段である。そして私の場合は、今を大切に生きれば良しとする信条につながる。

 運命は意のままにならないからこそ、誰しも自分がある時期に生きたと確信できる証を持てれば、幸せな命と呼べるだろう。願わくば、やり残しのまま黄泉の国へ赴くのだけは是が非でも避けたい。となると私も急がねばならない年齢になったか・・。

(オッサン老い易く、夢、成り難し・・・)

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