没価値男の甘辛コラム

没価値男

第1話  名刺代わりに・・・

 (没1)

 ある地方紙からコラムを書くよう頼まれて、ペンネームを考えた。それが没価値男。

 筆名の由来は幼い頃の願望にある。かつての願いとは、『でっかい(マスク)メロンを一人で食う』ことだった。でっかいメロン・・・デカメロン。その作者はボッカチオ。

 不勉強な学生時代のあやふやな記憶から思いついた名前が実は今の私には、ぴったしの筆名かも知れない。若い頃はかなりの自信家で、どの分野でも生きていけると自負していたものの、加齢と共に才能が一つ消え、二つ消え、気がつけばただのオッサンになっていた。もはや途方もない夢に挑戦する体力はないどころか、今さら大それた夢を他言するのも気恥ずかしい。となれば、一小市民として町の片隅でひっそりと暮らしつつも、オッサンの他愛ない独り言が少しでも社会の役に立つのなら、ボツ・カチオにも一分の価値があるかも知れない。

 幼い頃と言えば、私の時代は今ほど飽食ではなかった。メロンなどお目に掛かることすらほとんどなく、今や年中特売のバナナも高級果物で、ケーキは誕生日に父が奮発して買ってきてくれたバタークリームのデコレーションケーキに目を輝かせ、箱にこびり付いたクリームまで舐めたものだった。

 しかし時代は変わった。人がより良い生活を求めるのは決して間違っていないと思う。そのための創意工夫や努力によって人々はより快適な生活環境を得ただけでなく、寿命の伸長という最大の利益も含めてさまざまな恩恵を受けた。けれども物質的豊かさを追求しすぎたツケが近年になって徐々に表れ始めたような気がする。物質的豊かさの発展には必ず精神的豊かさが伴われなければならず、仮に物欲だけに目を向けて精神を置きざりにすれば、人間はきっとイビツな生物になって飢えを満たすために結果を考えずに行動する鬼畜に成りさがってしまうに違いない。

 少年少女による陰湿なイジメや過去に例を見たことがないような凶悪事件も、時として加害者たちの些細な欲望が原因の一つになっている場合があり、仮に心の教育が充分になされていれば事件を未然に防げ、何よりも不幸な被害者を出さずに済んだだろう。

 ところで今の私なら、メロンを一つ買い求めて夜半に丸ごと一人で食べることぐらい出来そうだけど、果たしてそれでどれほどの幸福感を味わえるだろうか? 恐らく、かつて叱られつつも母に隠れて通った路地裏の駄菓子屋の当て物で、一等の大イカを引きあてた時の笑みには到底敵わないような気がする。とすれば個人の幸福には基準などなく、何が幸せかは各様で構わないが、人生の真実には時代に関係なく不変のものが多いはずだ。

 言うまでもなくコラムの真価は蜂の一刺しだけれど、ペンネームだから忌憚のない意見が吐けて本名だと何かに気兼ねして口ごもる腑抜けでは、『こらむ』りだ・・・。

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