第16話:新しい時代の幕開け

 この年は、1月7日に昭和天皇が病気のため崩御。日本元号が、昭和から平成

となり、新しい時代の幕開けという感じを強くした。翌月2月9日には、あの

天才漫画家の手塚治虫さんが亡くなった。4月21日には、日本の商売の神様と

言われた松下幸之助さんが後を追うように亡くなり、本当に、1つの時代が

終わったという感じがした。また、11月4日、オウム真理教問題を追求して

いた弁護士・坂本堤とその一家がオウム真理教幹部により殺害された事が

わかり、その後、残虐なオーム真理教の事件が、次々とわかってきた。

 1989年は、そう言う意味で、良い意味でも、悪い意味でも新しい時代

の幕開けの年と言える。


 1989年10月にソニー株を4300円で、5千株売り、1230万円

の純利益たなり、残金が1500万円となった。そうして1980年代が

終わり1990年となった。1990年4月に、徳川家の長男、太郎が、

地元の中学校へ入学し、地元の小学校からの仲間達を一緒に、中学生になり

、仲良く中学校へ、通い始めた。


 1990年と言えば、国際花と緑の博覧会、通称、大阪万博の年だった。

 アジアで初めて開催された会場面積は約140ヘクタールで、略称は

「EXPO’90」。「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ 21世紀へ

向けて潤いのある豊かな社会の創造をめざす」をテーマとし日本を含む

83カ国55の国際機関、212企業・団体が参加した。1990年4月1日

~9月30日、総来場者数は2312万6934名で、特別博覧会史上最高

を記録した。


 もちろん、徳川家も、8月30-31日、家族7人で新幹線に乗って、

1泊2日で出かけてきた、もちろん、混んでいて、少し見たという感じしか

記憶に残っていなかった。混んでいたという印象が一番強かった様だ。

 1991年5月15日に日本のバブルの象徴とも言える お立ち台で有名な

ディスコ・ジュリアナ東京が、オープンしたが、その時、既にバブル崩壊に

さしかかっていた。1991年10月ソニ-株1250円で1万株を

1250万円で買い、残金が250万円となった。


 1991年の10月の休みに、徳川家の7人で、開通したばかりの東北

新幹線で古川駅で降りて在来線に乗り換えて、鳴子温泉に泊まって帰って

来た。子供達は、新幹線の外観や車内をみて、興奮していた。また、

その早さも、すごかった。多くの写真も撮ってきた。しかし鳴子のこけしは

、長女の一美さんが、興味を示したくらいで、他の男の子は、興味がない

様子だったが、お土産として、こけしを女性の分だけ3個、買ってきた。

 そうして、1991年が過ぎて、日本のバブルが完全に終わりを告げて、

残った負の遺産が、その後の日本経済や、バブル紳士の首を絞めること

になった。

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