第17話:太郎が進学受験へ

 1992年があけ、この年は、徳川家の長男の太郎が、中学3年生になり

、成績はクラスで3番目、学年で14-15番手であり、名門校に入れるか

どうかぎりぎりの所だった。徳川泰平が、太郎に、将来のビジョンを聞くと、

大学の理工学部で、電子工学を学びたいと言った。そこで、その切符を買える

かどうか微妙な所だから、その道を進むなら、持って勉強せよというと、進学塾

に入れさせてと言うので、入学を許可した。その後、2月から、浦和の進学塾

に通い、模擬試験を何回もうけて、自分の弱点を見つけ、問題集、弱点教科

に頑張りだして、意欲通りに成績が上昇して来た。4月の文字試験の結果、

大宮高校は、合格確率75%、めざす浦和と大宮高校は70%の確率だった。


 その後も、勉強を続け、9月には、浦和高校の合格確率が75%に達して

、クラスで初のトップの成績となり、その後も、夜遅くまで、問題集を解く

、日々が続いた。それをみていた、長女の一美さんが、英語話弱い、太郎に

英語を教えてやっていたのが、微笑ましかった。その他、日本での明るい

話題と言えば大相撲で日本人の貴花田光司が19歳5か月の最年少幕内

最高優勝を飾った事だろう。これもバブルと同じで、その後、本当に強い

日本人力士は出なかった。


 1992年4月に徳川家の長女、一美ちゃんが地元の中学へ入学して、

出かけていった。その後、一美ちゃんは、英語や、歌を直ぐ覚える記憶力

に優れた子だと言うことがわかった。そして1992年が去り1993年

、太郎の高校受験の年となった。かなりの猛勉強で、1月には、自信が

ついたのか、浦和高校をめざすと、きっぱりと言った。担任の先生も合格

出来るんじゃないかと言い、試験に落ち着いて取り組む方法を教えてくれた

ようだ。それによると、試験は、出来るだけ早く解くことが一番重要で、

解いた後に、見直す時間をどれだけ残せるかがポイントだと言い、一番良く

ないのは、焦ること、自信をなくすこと。その対策は、深呼吸と、身体を

リラックスさせる事を覚えることだと教えられたと言った。


 受験日・学力試験は2月28日で発表は3月8日と決まった。受験日に

、両親がついていった方が良いか聞くと、その方がいいというので、泰平

は、あらかじめ有給休暇をとって、奥さんの志保さんとともに、浦和高校

の受験会場についていった。試験開始前1時間前に、到着し、目を閉じて

、深呼吸をして、簡単な体操をして、試験会場に入り、瞑想をして、

落ち着くようにしていた。開始の合図とともに、一斉に、答案用紙に

書き始めた。それから、運を天に任せるように、廊下から、暖房のきいた

、控室に行き、試験の終わるのを待った。やがて、終了の合図が鳴り、

答案用紙を回収して、士官会場から、太郎が出てくると、ピースサインを

出して、にこやかに出てきた。多分、行けるよと笑った。


 そうして、3月8日、両親と出かけると、9時ちょっと前に、行くと

、大きな紙が掲示板に張り付けられた。太郎の受験番号の37番を見ると

、母の志保さんがあったと見つけた、合格となった。合格祝いに何が欲しい

と泰平が聞くとパソコンのセットと太郎が言ったので、わかったと答えた。

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