第14話:車でドライブと3人目妊娠
その後1981年3月頃から、以前買った、ソニー株が上昇して来て、
1981年5月7日、2600円で5千株売り、純利益が790万円となり、
残金が930万円となった。1981年も暖かくなると、乳母車を引いて、
近くの公園へ行くようになり、太郎が、歩き出した。そうして、暑くなり、
太郎を風呂場で行水させて、茜おばあちゃんが、遊んでくれた。秋になり、
駆け足で寒くなり、1981年が去り、1982年を迎えた。2人目の
一美ちゃんが出来た後、泰平が、奥さんの代わりに、料理、洗濯、お買い物と
忙しくしていたが、少しずつ、要領を覚えて、上手くこなして行った。
その年、徳川泰平の家族が、義理の両親を含めて6人になったので、
8人乗りのトヨタ・ハイエース・ワゴンを250万円で購入し、残金が
700万円となった。1981年から、夏休みは、八ヶ岳山麓や箱根、芦ノ湖
、富士山、富士五湖周辺ををドライブするようになった。12月には、
志保さんの両親と太郎を乗せて、泰平が運転し、熱海温泉と伊東温泉に
2泊して帰って来た。一番喜んでくれたのが、志保さんのお母さんの茜さんで
、温泉に入ると、リウマチの痛みが楽になったと大喜びしてくれた。
やがて、1981年の年末になり、注目していたソニー株が安くなり、
年が明けた1982年1月8日に、ソニ-株1350円で4千株を
540万円で買い、残金が160万円となった。 1982年3月には、
長男の太郎が、近くの保育園に入園し、毎朝マイクロバスが迎えに来る様
になり、元気に出かけた。その後も、泰平も家事を手伝い、家族みんなで、
子育てを応援した。
やがて夏になり、日曜日には、風呂場で、太郎と、一美を行水させると
、子供達は大喜びではしゃいでいた。1982年秋の気配がすると、一気に
紅葉、冬へ進み、やがて、1982年が終わり、1983年を迎えた。泰平と
志保が結婚式を挙げた立川の諏訪神社に、初詣に行き、家内安全と子供が元気
に育つようにお願いしてきた。
1983年3月に、また、志保さんが、食べた物をもどしたので、茜さんと
、近くの産婦人科に行くと、妊娠が判明し、1983年9月5日が予定日だと
わかった。その後、適度な運動として、子供達と散歩した。暑いに夏は、
妊婦にとって、汗だくの辛い時期らしく、志保さんが、ふーふー言いながら、
家事をしていた。その後、1983年9月3日に産婦人科に入院して、
9月5日に、男の子を出産に、名前を止夫と命名した。これで、打ち止めと
言うシャレを入れた名前だった。やがて、秋風が吹き、小さい子供がいるので
、遠出できず、近くを散歩していた。そうして1983年も終わり、
1984年を迎えた。1984年4月に、長男の太郎が、近くの小学校へ入学
して、集団登校の先輩達に連れられて、小学校に出かけるようになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます