第13話:志保さんの妊娠と資産運用

 買い物は、泰平が志保さんに、買ってきて欲しい物のメモをもらい、1人で、

買いに行くようになった。そして暖かくなった1978年4月26日、近くの

産婦人科病院で男の子を出産、泰平が太郎と名付けた。この時、志保さんの

両親の斉藤友和さんと茜さんが、特に、喜んでくれ、茜さんが、少し元気を

取り戻したように見えた。ゴールデンウイークが過ぎた5月6日、徳川泰平が

、東京で評判の高い、リウマチの専門医療機関を探して、そちらで、診療を

開始した。月に1回の通院となり、斉藤友和さんと一緒に受診するために

出かけた。斉藤茜さんが、6月頃から、薬か効いているのか、リウマチの痛みが

、軽くなったと大喜びした。その後、茜さんは、孫の太郎の面倒を見て、

可愛がってくれた。泰平は、女性は、小さい子供と、一緒にいると、

元気になるようだと感心した。


 夏は、子供用のたらいに、風呂の上がり湯に水を入れて、風呂場で太郎に

行水をさせていた。太郎は、水を恐る事もなく、元気に遊んでいた。やがて、

秋になり、1979年10月、上場前から泰平が個性的が業態に注目していた

、セブンイレブン株が東証2部に上場することが決まった。この時点で

徳川泰平と志保さんの資産合計が500万円になっていて、すかさず徳川泰平

と奥さんの志保さんが千株ずつ、計2千株を初値180万円で購入し、資産の

残金が140万円となった。やがて1979年が終わり、1980年を迎えた。


 今年から、毎年、200万円ずつ貯金し、郵便局の定額貯金、定期預金、

ワリコー、ワリチョーを利用して、資産運用に励んでいた。1980年の4月

には、泰平と志保さんが、電車で太郎を西武園遊園地に連れて行き、

メリーゴーランドに乗せたり、お花畑を歩いたりして、遊んだ。

 その後、また、志保さんが、気分が悪くなり、産婦人科で妊娠とわかり、

予定日が1981年1月10日とわかった。その後、埼玉銀行の勤めが、

きついだろうから、退職して子育てに専念して欲しいと、泰平が言うと、

志保さんが、了解して、1980年5月末付けで、埼玉銀行を退社した。


 天気の良い日に、志保さんと、泰平が、近くの公園を散歩した。その後も

、志保さんの体調を見て、散歩を続け、買い物は、全て、泰平がついていき

、重い荷物を持つようになった。夏も、西武園のプールへ行き、泰平が太郎

と一緒にプール遊びをして、過ごした。やがて、秋になり、あっという間に

1980年が終わり、1981年を迎えた。


 そして、1981年1月8日に、志保さんが、近くの産婦人科に入院して

、1月10日、女の子を出産し、後日、徳川和美と名付けた。その後、

義理の母の茜さんが元気になって、生まれたばかりの一美ちゃんと

お兄ちゃんの太郎君の面倒を見てくれる様になり、志保さんと2人で、

手分けして、子育てを開始すると、茜さんが、明るく元気になった気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る