第18話 残された方の気持ち
六道君は、その話に驚いた。「富田さん達の自我が消える?」と。彼は真面目な顔で、僕の両肩を掴んだ。「それは、確かなのか?」
僕は、その質問に力なくうなずいた。
「体験者の人から聞いたからね。その奥さんも言っていたし、まず間違いないと思うよ? 彼女達は、この一ヶ月以内に消える。それがいつになるのか」
「誰にも予想できない、か。たぶん、体験者の先生にも」
「うん。自分の奥さんを助けられたのも……先生の覚えている限りじゃ、本当に偶然だったらしいし。最初から分かって」
「片瀬」
彼は、僕の肩を放した。
「他に方法は、無いのか? 君の
「うん、今の所はね。でも」
僕は、空き教室の天井を見上げた。
「僕は、絶対に諦めない。他の方法を必ず見付ける。たとえ、自分の命が失われても。僕は!」
「片瀬」
彼は、僕の覚悟に苦笑した。
「君は、本当に凄い奴だよ」
六道君は、僕の目を見つめた。
「俺にも何か、できる事はない?」
力になりたいんだ! と、彼は言った。
「君の大事な人を貰った者として。このままぼうっとしているわけには、いかないよ」
「六道君」
目頭が熱くなった。
「うううっ、ありがとう」
僕は、両目の涙を拭った。
「手伝って欲しいんだ」
「うん、良いよ。何を手伝えば良い?」
「先生は、ああ言っていたけど……やっぱり、うん! ネットの情報は、大切だ」
僕は、正面の彼に向き直った。
「情報収集。ネットのサイトを回って」
「それだけで良いの?」
「え?」と、僕は驚いた。「それだけ?」
彼は、僕の反応に微笑んだ。
「仲間の数は、多い方が良いんじゃない? 調査の範囲を広げる為にも。それに」
「ま、待って!」
「うん?」
「『多い方が良い』って、どう言う事?」
彼はまた、僕の両肩を掴んだ。
「味方の人数を増やすんだよ」
僕は、彼の考えに打ち震えた。「味方の数を増やす」なんて、そんな事はできる筈がない。ましてや! 僕は、両手の拳を握った。
「普通の人は」
「『こんな話は信じない』って? なら、こんな話を信じさせれば良い」
六道君は、教室の扉に向かって歩き出した。
「俺達には、先生がいるだろう? 先生の力を借りれば」
彼は、僕の方を振り返った。
「明日……できればだけど、教室に『あの二人』を持って来て欲しい。それと彼女のスピーカーも。先生には、俺の方から言って置くから」
僕は、彼の言葉に目を見開いた。
「それは、くっ! みんなの前で、三人を晒すって事?」
「うん」
「自我が消える理由も言って?」
「うん」
「ダメだ!」
僕は、彼の後ろに駆け寄った。
「自我の事は、絶対に言っちゃいけない。じゃないと」
「彼女達が傷付いてしまう?」
「うん」と、僕はうなずいた。「それだけは、絶対に避けたいんだ」
彼は、僕の言い分を聞かなかった。
「何も知らないで、助かる方が残酷だよ」
片瀬、と、彼は微笑んだ。
「君は残された方の気持ちを、考えた事はある?」
「残された方の気持ち?」
「そう、残された方の気持ち。それは、本当に地獄だよ。前にも話したように。彼女はきっと、『病気の事は話したくなかった』と思う。周りの人に心配を掛けるのが嫌で。だけど、彼女は俺に話してくれた。それがどんなに辛い事であっても、結果的に」
「君の傷を和らげようとした?」
彼の目が潤んだ。
「好きな人を大事にしたい気持ちは分かる。でも、『全部を傷付けない』なんて事はできない。君の求める方法がもし、見付からなかったら」
「う、ううっ」
「片瀬!」
彼は、廊下の窓に目をやった。
「生者の証拠は、記憶だよ? それと『心も』だ。その二つを失って、さらに」
「先生は、『理性』で誤魔化していたけどね。もう二度と、彼女達の事を好きになれなくなる。どんなに努力しても、以前のような恋心を抱けなくなるんだ。今の好意がくるりと引っ繰り返って。『嫌悪』の気持ちしか抱けなくなる。それが現時点での最善策だ」
「うん。だからこそ、俺は『それ』を防ぎたい。『過去の記憶が戻らない』って言うならもう……その人は、生者の振りした亡者だよ? 記憶喪失の『それ』とは違う、文字通りの死者。俺は、君にはそうなって欲しくないんだ」
僕は、彼の誠意に折れた。
「分かったよ。明日の朝、あの二人を持って来る」
「ありがとう」
彼は「ニコッ」と笑って、僕の前から歩き出した。
僕はその姿を見送ると、自分の家に帰って、明日が来るのをひたすらに待った。
翌日の天気は、晴れだった。
僕は机の二人に事情を話すと(『自我』の事は伏せて置いた)、鞄の中に「それら」を仕舞って、学校の教室に向かった。教室の中は、いつもと同じだった。僕の近くでグループを作っている男子達はもちろん(彼らは、僕の挨拶にきちんと答えてくれた)、何人かの女子達は僕をじっと見ていたが、それ以外は近くの友達とお喋りしたり、あるいは同じグループの女子達と(下らない話題だが)楽しく盛り上がったりしていた。
僕は自分の席に座り、机の中に筆箱や教科書類を入れて、教室の時計に目をやり、朝のホームルームが始まるのを待った。朝のホームルームは、いつもと同じ時間に始まった。クラス委員が周りの生徒達に「起立」を促して、それから……。
先生が教室の生徒達に「今日は、大事な話がある」と言ったのは、朝のホームルームが丁度終わった時だった。
先生は六道君に目をやると……彼も「それ」に応えたが、まるで何かを示し合わせたかのように「うん」とうなずき合った。
「今日の数学は、六時間目の学活と交換して貰った」
生徒達は、彼の行動に驚いた。
「え?」
「どうして、ですか?」
先生は、それらの疑問に答えなかった。クラス委員の生徒から「先生!」と言われても、まるで無視。先生はその表情を変えず、六道君の顔をじっと見続けた。
六道君は、自分の席から立ち上がった。
「それは、俺が説明するよ」
生徒達は、その一言にざわめいた。
「え?」
「なんで?」
「六道君が?」
彼は、僕の前に歩み寄った。
「約束の物は、持って来てくれた?」
僕は、自分の鞄に触れた。
「うん。誤魔化すのに、ちょっと骨が折れたけど」
「そうか」と、笑う六道君。「あとの事は、僕達に任せて欲しい」
彼は、僕の足を促した。
僕は「それ」に従って、教卓の後ろに立った。
六道君は、教室の生徒達を見渡した。
「これから話す事は、俺の目の前で実際に起こった事、嘘偽りの無い真実です」
片瀬、と、彼はうなずいた。
「教卓の上に彼女達を」
「う、うん」
僕は、教卓の上に彼女達を置いた。クラスのみんなが驚く……特に女子達が「うわぁ」と引く表情に耐えて。僕はその表情に苛立つと、不安な顔で隣の彼に視線を戻した。
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