第17話 絶対に泣かせちゃダメよ?

 僕は、二人の思いに応えた。


「今日は、本当に有り難うございました。二人のお陰で」


「いや。それより」


「デートの邪魔をしてごめんなさいね。本当は、二人きりで楽しみたかったんで

しょう?」


 僕は、二人の言葉に首を振った。


「そんな事は、ありません。ここで二人に会えなかったら」


 僕は一生、『それ』を知らないままでした。


 二人は、僕に微笑んだ。


「そうか。うん」


「本当に素敵な教え子だね」


 実典さんは、隣の先生に目配せしました。たぶん、「今日は、この辺で帰りましょう」と。彼女は「ニコッ」と笑って、先生の足を促した。

 

 先生は、その提案にうなずいた。「ああ」

 

 二人は、僕の前から歩き出した。

 

 実典さんは、僕の方を振り返った。


「片瀬くん」


「はい?」


「自分の彼女を大事にね」


「……はい」


 僕は、二人の後ろ姿を見送った。


 理穂子さんは、僕に話し掛けた。


「進くん」


「なに?」


「先生と何を話したんですか?」


 僕は、ベンチの上に座った。「『二次元の女性は、素晴らしいね』と言う事を」


 彼女の顔が赤くなった。


「そ、そうですか」


「理穂子さん」


「はい?」


「実典さんとの話は、楽しかった?」


「は、はい、とても! 彼女の話は、凄く面白くて。本当は」


「本当は?」


 彼女の顔がまた、赤くなった。


「本当は……その、嫌な筈なのに。今日に限っては何故か、エッチな話が嫌じゃなかったんです! 愛し合う二人は、『それが普通なんだ』って。気付いた時にはもう、自分から色々と訊いてしまっていて」


「そ、そう。僕も」


 僕は、彼女に嘘を付いた。


「同じような話で盛り上がったよ。『自分の彼女は、最高だ』って。先生と」


「進くん」


「なに?」


 彼女は、恥ずかしげに俯いた。


「今はまだ、我慢して下さい」


 僕は、その言葉に動揺した。


「が、我慢?」


「は、はい! その、然る時が来るまで」


「う、うん」

 

 僕達は、今の会話にしばらく黙ってしまった。


「ね、ねぇ、理穂子さん?」


「は、はい?」


「その」


 僕は、今の空気を何とか変えようとした。


「良かったね、今日は! 君の事を知っている人と出会えて」


「はい!」


 彼女の顔が華やいだ。


「本当に良かったです! わたしの事をあんなに知っているなんて。感動以外の何ものでもありません。彼女は、わたしに色々な事を教えてくれました。『わたしの食事が何故自動的に用意されているのか?』はもちろん、『その部屋からどうして出たくないのか?』も。それらは……。進くん!」


「はい?」


「わたしは、生かされているんです」


「生かされている?」


「はい! わたしの身体に、『自我こころ』と言うんですか? それが現れるのを願った人に。わたし達の食事は、その意思が用意しているんです。わたし達の命を保とうと。わたし達が『その部屋から出たくない』と思うのも、その意思が『外に出たら危ない』と止めているようで。だから」


「う、ん。けど、それじゃまるで」


「進くん?」


 僕は、「監禁」の二文字を飲み込んだ。


「理穂子さん」


「はい?」


「理穂子さんは……その、今の場所に満足している? その閉ざされた世界に」


 彼女は、僕の質問にキョトンとした。


「はい。特に不満はありませんが?」


「そう」


 彼女は、僕の反応に首を傾げた。


「とにかく!」


 から、少しの間を開けた。


「今日は、最高の一日です! 進くんとも、こうして付き合えたし。それに素敵な人達とも出会えましたから。実典さんは、本当に不思議な人です」


「う、うん、そうだね。実典さんは」


「凄いんですよ! わたしの事をただ、チラッと見ただけなのに。『わたしがどう言う存在か?』を見抜いてしまうなんて。只者ではありません。話している時も何処か、他人じゃないような気がしましたし。進くんが先生の家を教えてくれた時も」


「何かあったけ?」


 彼女は、僕の目をまじまじと見た。


「覚えていませんか?」


「う、うん」


「妙な気配を感じたんですよ。自分のそれに近い何か……そう、『同類』のような

気配が。わたしは、ずっと」


 彼女は、嬉しそうに笑った。


「今日は、その疑問が晴れて良かったです。『あの人は、二次元のわたしに理解が深い人なんだ』って。わたしにはきっと、そう言う人を集める力があるんです」


「うん」


 彼女は、僕の目から視線を逸らした。


「進くん」


「うん?」


「ここから見える景色、『夕方の方が綺麗』と言っていましたね?」


「うん、言ったけど? それが?」


「一緒に見ましょう。二人で」


 僕は、パソコンの位置を変えた。


「最初からそのつもりだよ。今日は」


 僕達は「うん」と笑い合って、今日の夕方を静かに待ち続けた。今日の夕方は、すぐに訪れた。頬に当たった風が、サッと流れて行くように。その時間も、瞬く間に過ぎてしまった。僕達は丘のベンチに座って、夕焼けの町を静かに見続けた。


 理穂子さんは、その光景に感動した。


「綺麗」


「うん」


「わたし達、とても贅沢なモノを見ていますね」


「うん、本当に。この風景は」


 僕達は、町の夕日が見えなくなるまで「そこ」に居続けた。


 僕は、パソコンの外枠に触れた。


「帰ろうか?」


「はい」


 僕は鞄の中にパソコンを仕舞って、それから自分の家に帰った。家のダイニングでは、父さんが僕の帰りを待っていた。僕は部屋の机にパソコンを置くと、家のダイニングに戻って、父さんの隣に座った。

 

 父さんは、隣の僕を睨んだ。


「今日は、何処に行っていたんだ?」


「え?」


「帰りが遅い」


「ごめんなさい。今度からは」


「ちゃんと送ったのか?」


 僕は、父さんの目を見つめた。


「うん、ちゃんと送ったよ」


「そうか」


 父さんは、僕の頭を(やや乱暴に)撫でた。


「今日の事は、許す」


「……ありがとう」


「ね、ねぇ?」


 母さんは、モジモジしながら僕の目を見つめた。たぶん、「僕の彼女がどんな子なのか?」を訊くために。「何処の子? 名前は? 何年生? 進と同じクラス?」と訊いた声にも……大人とは思えない、少女のような純粋さが感じられた。

 

 僕はその空気に応えず、自分の夕食を黙々と食べ続けた。それを食べ終えた後は、キッチンの流し台に食器類を片付けて、父さんが風呂から上がるのを待ち、その身体がダイニングに戻ってくると、椅子の上から立ち上がって、家の風呂に向かった。

 

 僕は、家の風呂に入った。家の風呂は、気持ち良かった。お湯の温度も丁度良く、僕が自分の部屋に戻った後も、その余韻がしばらく残り続けた。


 僕は、ベッドの上に寝そべった。

 それに合わせて、天道寺さんが僕に話し掛けた。


「片瀬君」


「はい?」


「顔が見えないわ」


 僕は、その意図を理解した。


「ちょっと待っていて下さい」


 僕はベッドの上にスマホを置くと、その画面を点けたまま、机のパソコンに視線を移した。


「彼女は、お風呂ですか?」


「ええ、君がお風呂に行っている間に。女子のお風呂は、長いからね」


「そうですか」


 僕は、スマホの画面に視線を戻した。


「天道寺さん」


「なに?」


「今日のデートは……その、楽しかったです。行きたかった喫茶店にも行けて」


「そう。それは、良かったわね」


 彼女は、僕の笑顔に目を細めた。


「片瀬君」


「はい?」


「今度は、あたしとも」


 なぁんって! と、彼女は笑った。


「冗談よ、冗談よ。君はもう、『理穂子ちゃんの彼氏』だからね。人のモノは、盗らないよ」


「天道寺さん」


 僕達は、互いの目を見つめ合った。


「彼女の事を大事にしなさい」


「はい」


「絶対に泣かせちゃダメよ?」


「はい」


 もちろん! と、僕は何故か言えなかった。


「頑張ってみます」


 天道寺さんは、「僕の覚悟?」に頬笑んだ。


「そこは、『もちろん』って言わなきゃ。そうじゃないと……うんう、やっぱり何でもない」


 彼女は、部屋の天井を見上げた(と思う)。


「来週も、彼女とデートするの?」


「来週はたぶん、デートには行かないと思います」


「どうして?」


 僕は暗い顔で、あの事を思い返した。


「個人的な予定が」


「ふーん」


 天道寺さんは、僕の目を見つめた。


「片瀬君」


「はい?」


「何を悩んでいるの?」


 僕は、その質問にハッとした。「何を悩んでいる?」


 彼女は、僕の反応にうなずいた。


「そんな顔をするのは、きっと……。ねぇ?」


「僕は、何も悩んでいません」


 彼女の目が鋭くなった。


「本当に?」


「はい」と、僕は答えた。「本当に、です。僕は」


 天道寺さんは、僕の答えに溜め息をついた。


「そう。なら、そう言う事にして置きましょう。片瀬君は、何も悩んでいない。今のそれは、あたしの勘違いだったと。ただ」


 彼女の目が潤んだ。


「これだけは、忘れないで。あたしは、何があっても君の味方よ?」


「天道寺さん……」


 僕の目も、熱くなった。


「ありがとうございます。でも」


「あたしには、言えないのね?」


「はい。それと理穂子さんにも。二人は」


「そこから先は、言わなくても良いわ」


「はい」


「片瀬君」


 彼女の笑みが光った。


「自分の判断おもいを大事にして。彼女の事を大事にするのと同じくらい。あたし達は、君の事が大好きなんだから」


「……はい」


 僕はまた、両目の涙を拭った。「ありがとうございます」


 僕達は「ニコッ」と笑って、互いの顔をしばらく見合った。


 天道寺さんは、机のパソコンに目をやった。「さて、そろそろ」


 僕も、パソコンの画面に視線を移した。「あっ!」


 僕はスマホを持って、パソコンの前に駆け寄った。


 理穂子さんは、僕に微笑んだ。


「進くんの方が早かったんですね」


「うん」


 僕は机の上にスマホを置くと、その椅子に素早く座って、彼女との会話をゆっくりと楽しみ始めた。彼女との会話は、夜の十一時まで続いた。僕はスマホの先に充電器を付け、部屋の電気を消して、毛布の中に素早く潜り込んだ。


「二人とも、お休みなさい」


 二人の声が重なった。「お休みなさい」


 僕は真面目な顔で、部屋の壁を睨んだ。「これからの事をどうするか?」と。残りの日数を考えて……あの二人には運良く気付かれなかったが、それもいつまで誤魔化せるか分からなかった。明日は大丈夫でも、明後日にはバレてしまうかも知れない。


 僕は、その現実に焦りを感じた。


「くっ、不味いな。でも」


 今はとにかく、彼にも『この事』を伝えないと!


 僕は「うん」とうなずいて、六道君の顔を思い浮かべた。

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