第16話 ある意味で不幸

「一つだけ確かめさせて下さい」


「ん? なんだ?」


「今までの会話は……その、嘘ですか? それとも、何かの冗談とか?」


 先生は、自分の足下に目を落とした。


「そんな事を聞いてどうする?」


「だって!」


 の声を少し抑えた。


「普通はこんな、異常な事を知りませんよ? その人が余程おかしくない限り」


「俺は、おかしい人間か?」


 一瞬、先生の質問に怯んでしまった。


「いいえ。僕の知る限り、先生は『おかしい人』じゃありません」


「なら、『それ』で良いじゃないか? 俺はお前の言う通り、『おかしい人間』じゃない。目の前の現実をちゃんと受け止めて。お前も」


 それと受け入れたんじゃないのか? と、先生は訊いた。


「さっきの様子を見る限り。お前の彼女はまだ、見ていないけど。お前は」


「幕内理穂子です」


「幕内理穂子?」


「はい。それが彼女の名前。他にも」


 先生の眉が動いた。


「他にもいるのか!」


「はい」


 僕は、先生に彼女達の名前を教えた。


「天道寺秋音と富田こころ。天道寺秋音は高校生の、富田こころは小学生のキャラクターです。二人とも、彼女と一緒に現れて」


 先生は、僕の話を遮った。


「それは、確かな事か?」


「え? あ、はい。僕が朝、部屋のベッドで起きた時に。突然話し掛けられたので、すごく驚きましたけど」


 僕は、先生の無言に驚いた。


「先生?」


「……不味いな。各個が別々ならまだしも、三人が一緒に現れるなんて」


 先生の口調が強くなった。


「片瀬」


「は、はい?」


「彼女達に自我が宿って、どれくらい経つ?」


 僕は質問の意図が分からなかったが、その日数をとりあえず教えた。


 先生は、その日数に青ざめた。


「そうか。片瀬」


「はい?」


「これから話す事は、お前にとって辛い事かも知れないが」


 僕は、先生の話に固まった。


「理穂子さん達が消える?」


「ああ」と、先生はうなずいた。「少なくても、あと」


 僕は、先生の話を聞かなかった。


「どうして?」


「どうして?」


「どうして、彼女達の自我が消えるんですか? それも」


 この一ヶ月以内に。


 僕は、目の前が真っ暗になった。隣の先生が「片瀬?」と呼び掛けても答えない。それから先生の手が触れても。僕は暗い気持ちで、自分の足下を見下ろし続けた。

 

 先生は、俺の肩に手を置いた。


「最初は俺も、信じられなかったよ。まさか、そんな事になってしまうなんて。当時の俺には、文字通りのショックだった。昨日まで仲の良かった子達と」


「失うのが辛かったんですね?」


「ああ」


「先生!」


 僕は、先生の目を見つめた。


「先生も……先生の奥さんもそうですが、理穂子さんのような人と?」


 先生は、遠い記憶(たぶん)を思い返した。


「アレは」


「ゴクッ」


「そう……俺がまだ、お前と同じくらいの時だ。市内の公立校に通う、ごく普通の男子中学生。俺は町の本屋で、彼女達と出会った」


 先生の目に涙が、見えた気がした。


「片瀬」


「はい?」


「お前、漫画は読むか?」


「はい。月曜日の朝に出る漫画雑誌を」


「そうか」


 先生は、自分の正面に向き直った。


「彼女達は、その読み切り漫画に出ていたヒロインだった。漫画の中で主人公を支える、とても綺麗で華麗な少女達。先生は、その少女達に魅了された。まるで魔法にでも掛けられたかのように。俺は現実の女の子をそっちのけで、彼女達の妄想れんあいに青春を費やした」

 

 先生の溜息が聞こえた。


「気持ち悪いだろう?」


「え? いや」


 僕は、心の動揺を誤魔化した。


「そんな事は、ないです。僕も」


「二次元の少女に魅了されたから、か?」


「はい、彼女達はその、とても純粋ですし。それがたとえ、物語の脇役であっても」


「ああ。だが、所詮は『嘘の存在』だ。それをどんなに求めても、現実の世界には決して現れない。俺達が自分の死から逃れられないように、な。俺は黙って、その現実に絶望した」


 先生は一つ、息を吸った。


「一人目の少女は、確か……。片瀬は、『滅びの町』って作品は知っているか?」


「い、いえ、知りません」


「そうか。一人目の少女は、その作品に出てくる少女だった。性格は物静かだが、いつも主人公の事を支えている。思春期の少年には、たまらない女の子だろう? 二人目の少女は……これは、結構有名かな? 『夏の波』は?」


「す、すいません。それも」


「うーん。まあ、古い読み切りだから仕方ないか。二人目の少女は、その中に出てくる女性だった。物語の主人公とは、『そう言う仲』にはならなかったけど。俺にとっては、かなり印象に残る女性だった。あの胸に惚れない男は、まずいないだろう。三人目は」


 先生の瞳が震えた。


「三人目は、俺の家内だ」


「え?」


 僕は、石段の上から思わず立ち上がった。


「実典さんが?」


「ああ。高山実典……旧姓、川崎実典は、『Last love』に出てくるヒロインだった」


 思考が止まった。自分の唾にむせてしまうほどに。石段の上に座り直した時も、間抜けな顔で先生の顔を見つめ続けた。「嘘だ、そんな事。だって!」

 

 僕は、先生の目を睨み付けた。


「実典さんは、生身の人間じゃないですか? なのに」


「お前の驚きは、分かるよ。だがそれは、紛れもない」


 事実だ、と、先生は呟いた。


「彼女は二次元の世界から抜け出して、生身の人間になったんだよ。俺の祈りに応えて、な。彼女が唯一の生き残りだった」


「唯一の生き残り?」


「ああ」


「先生」


 僕は、胸の動揺を必死に抑えた。


「彼女達の自我を消さない方法はあるんですか?」


 先生は、その質問に目を細めた。


「あるよ。ただし」


「ただし?」


「それ相応の対価が要る」


「それ相応の、対価……」


 僕は不安な顔でその対価を聞き、そして、絶望にも等しい顔で項垂れた。


「そ、そんな! くっ。そんな事って」


「認めたくない気持ちは、分かる。だが、これが現実だ。彼女達を人間にする為に」


「くっ」


 僕は、喉の嗚咽を飲み込んだ。


「他の方法は、無いんですか?」


「無い……いや、『分からない』と言った方が正しいか? 俺も偶然に……。さっきの話を聞けば、分かるだろう? 最初から全部、『分かっていたわけじゃない』って事が。俺は様々な情報を基にして、『自分の周りで何が起こったのか?』を推し量った。それも、かなりの時間を掛けて。俺は、その答えにようやく辿り着いた。自分の心と、そして……」


「確かに! 先生の苦労は、大変なモノだったでしょう。でも!」


「他の方法もあるかも知れない?」


「はい」


 先生は、俺のやる気に溜息をついた。


「それは、諦めた方が良いぞ?」


「なっ!」


 俺は、両手の拳を握った。


「どうしてですか?」


 先生はまた、俺のそれに溜息をついた。


「『どうしてですか?』って。そんな事は、考えなくても分かるだろう? まずは、時間の問題。残りの期間で、お前は『それ』を見付けられるのか?」


「ネットの情報を漁ります」


「ネットの情報、か。片瀬、お前はそもそも」


「はい?」


「彼女達に何故、自我が宿ったのか分かっているか?」


 僕は、先生の質問に衝撃を受けた。「何故、自我が宿ったのか?」なんて。そんな事は、一度も考えた事がなかった。「これは何かの……そう、神様がくれた奇跡である」と。天道寺さんの言葉を信じていた僕は、その異常性に一ミリも目を向けていなかった。


「い、いいえ」


「そうか」

 

 先生の溜息が聞こえた。


「あの子達に意思が宿ったのは……そう、俺達の運が物凄く強かったからだ。常人の『それ』を超えて。俺達は、良くも悪くも普通じゃないんだよ。他の連中とは違う、文字通りの選ばれた人間。俺達は、それを引き当てた。普通の人間ならまず、引き当てられないモノを。俺達はある意味で、とても不幸なんだ」


「僕達が不幸? それは」


「片瀬」


 先生は、僕の腕を掴んだ。


「ネットの世界に行くのは、止めろ。あそこでは、何も手に入らない。画面の中に転がっているのは、利用者達の単なる妄想日記だ。自分が気持ち良ければ良いだけの」


「先生」


「彼女達は、俺達の想いだよ」


「僕達の想い?」


「ああ、『彼女達が現実にいたら』と言う想い。俺達は、それを形にしてしまった。自分の想いを力にして。彼女達は、その力を受け入れた。本来なら見向きもしない俺達を。片瀬」


「はい?」


「理穂子さんは、お前にゾッコンだったろう?」


「は、はい。今でも信じられないけど。彼女は、僕と両想いでした。『自分の生まれた瞬間から、僕の事が好きであった』と」


「やはりな。片瀬、そいつは『想いの逆定着』だ」


「想いの逆定着?」


「相手の心に『それ』が流れ込んだ時……名称は俺が勝手に決めたが、自分が相手の事を好きであればあるほど、相手も自分の事を好きになるって現象だ」


 僕は先生の説明に驚いたが、その一方で「なるほどな」とも思った。


「だから、他の二人も好きだったんだ。初対面である筈の僕を」


 先生の顔が暗くなった。


「二つ目は、お前自身の問題。片瀬、お前は『今の自分』が好きか?」


「え?」


 今の自分が好き?


 僕は、自分の姿に意識を向けた。


「『好き』ってほどじゃないですか、別に嫌いでもないです」


「そうか」


 片瀬、と、先生は微笑んだ。


おれたちの人生には、波がある。昨日までは、まったく見向きもされなかった奴が」


「僕は理穂子さん以外の女子に、興味はありません」


 先生は、僕の怒声に溜め息をついた。


「純情だな。しかし、それを決めるのは『お前』じゃない」


「くっ」


「お前はこれからも、自分の事を磨き続けるつもりか?」


 僕は、質問の意図を理解した。


「当然です。僕は」


 彼女に見合う男になりたいから。そのためにも!


「今の努力を止めるわけには、いかない。これは僕の、一生の課題なんです。自分の人生を掛ける程の。これには、それだけの価値があるんです!」

 

 先生は、僕の目を見つめた。


「片瀬」


「はい?」


「お前は今、自分がどれだけ気持ち悪い事を」


「ええ、もちろん! その自覚は、あります。二次元の少女にこんな、『一生の課題』と言っちゃっている時点で。自分がとても痛い事は、知っていますよ」


 だけど! と、僕は叫んだ。


「その女性ひとに心があるなら別だ。彼女は、僕達と同じように。先生」


「ん?」


「恋愛は、心でするモノですよね?」


「ああ、そうだ。恋愛は、心でする。相手の容姿や財産なんて言うのは、それを彩るだけの装飾品だ。俺達は、相手のアクセサリーに恋するんじゃない」


「でしょう? だから僕は、何も恥ずかしくない。僕のやっている事は、うん! その相手がただ、『二次元の少女だった』って言うだけです!」


 先生は僕の本音に呆れたが、やがて「ハハハハッ」と笑い出した。


「確かに、お前の言う通りだ。俺達はただ、『二次元の少女』に恋しただけ。それを否定する権利は、誰にもない。世間の奴らがどう言おうと」


 先生は、僕の頭に手を乗せた。


「片瀬」


「はい?」


「悔いの無いようにしなさい。その結果がたとえ、辛いモノであったとしても。今の俺にできるのは、お前にこうして助言を与える事だけだ」


 僕は、先生の厚意に頭を下げた。


「ありがとうございます」


 先生は、石段の上から立ち上がった。「話は、以上だ。戻るぞ」


 僕も、今の場所から立ち上がった。「はい!」

 

 僕達は揃って、丘のベンチに戻った。ベンチの上では……いつの間に仲良くなったのか、彼女達が楽しそうに笑い合っていた。

 

 僕達は、それぞれの女性に歩み寄った。

 

 実典さんは、先生の表情に喜んだ。「おかえりなさい!」

 

 理穂子さんは、僕の表情に微笑んだ。「お帰りなさい」

 

 僕は、彼女の声に喜んだ。「ただいま」

 

 先生も、妻の声に微笑んだ。「ただいま」

 

 先生は、妻の耳元にそっと(理穂子さんには聞こえないように)囁いた。


「余計な事は、言っていないな?」


「当然! 自我の事は、何も。あの子は、『自分が何故生まれたのか?』を知らない。その時の記憶は、あっても。あの子は現在いまが、今の生活が永遠に続くと思っている。自分が現実の中にいるのを疑わないくらいに」


「そうか。でも、その方が」


 先生の顔が暗くなった。


「幸せかも知れない。自分の運命を知るよりは、今の幸せを」


 先生は、僕の顔に視線を移した。


「アイツには、すべて話したよ」


 実典さんも、僕の顔に視線を移した。


「そう、なら」


 彼女は、自分の主人に視線を戻した。


「あとは、あの子次第ね」


「ああ。あとは、アイツ次第だ」


 二人は、僕の覚悟にうなずいた。「頑張れよ」と。二人は穏やかな顔で、僕の目を見つめつづけた。

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