第11話 相談

 僕は、両目を開けた。夜の闇に脅えたからではなく、朝の光に希望を抱いて。僕は学校の制服に着替えると、穏やかな気持ちで二次元少女の三人に挨拶した。


「おはよう」


 三人は、僕の挨拶に驚いた。


「ふぇ? あっ!」


「おはよう、スーちゃん!」


「今日は、昨日よりも早いわね。まさか」


「はい!」


「興奮して眠れなかったの? 理穂子ちゃんの裸が見られて」


 僕は、理穂子の怒声を無視した。


「いいえ。本当にただ、いつもより早く起きただけです」


「ふーん、そう」


「はい」


「つまらないわね」


「つまらなくありません!」


 理穂子さんは、顔を真っ赤にして怒った。


「わたし達はまだ、中学生ですよ? 義務教育も終わっていないのに」


「義務教育が終わっていなきゃダメなの?」


「ダメです! お互いの『アレ』を見せ合うのは」


「お互いのアレ?」


「こころちゃんは、知らなくて良いの」


「う、うん」


 僕は、三人の会話に苦笑した。


「あ、あの」


「はい?」、「はい?」、「はい?」


「僕、朝ごはんを食べに行くから」


「うん!」、「分かりました」、「ゆっくり食べてきてね」


「はい」

 

 僕は家の洗面所に行き、そこで顔を洗うと、家のダイニングに行って、今日の朝ごはんを食べはじめた。今日の朝ごはんは、美味しかった。料理の大半が所謂「残り物」だったが、僕がそれらを食べ終えた時にはもう、その意識すらも忘れてしまっていた。

 

 僕は真面目な顔で椅子の上から立ち上がり、「ごちそうさま」と行って、テーブルの前から歩き出した。父さんに呼び止められたのは、僕がテーブルの端まで行った時だった。僕は、その声に思わず振りかえった。


「なに?」


「お前、何かあったのか?」


 僕は、父さんの質問に動揺した。


「な、何かって? 何を? 父さんは」


「質問しているのは、コッチだ」


 数秒の間。


「答えなさい。お前、何かあったのか?」


 僕は、父さんの目を睨みかえした。


「父さんには多分、分からないよ。最初から『普通』のお父さんには」


「進……」


「ねぇ、父さん」


「なんだ?」


「努力は、報われると思う?」


 父さんは、僕の質問に目を細めた。


「そうだな。ほとんどの場合、『努力』と言うのは報われない。『努力すれば、何でも叶う』なんて言う奴は、本当のアホか、努力すらした事のない愚か者だろう」


「……」


「お前はなぜ、努力したんだ?」


 僕は、床の上に目を落とした。


「それは……ごめん。父さんには、言えない。でも」


「そうか」


 父さんは、僕の返事に溜め息をついた。


「学校に遅れるぞ?」


「うん」

 

 僕はいつもの準備を済ませて、それから学校の教室に行った。教室の中ではやはり、女子達が「キャー、キャー」と騒いでいた。

 僕はそれらの声を無視すると……机の上に鞄を置く時は少しイラッとしてしまったが、真面目な顔で「彼」の席に向かった。


「おはよう」


 彼は、僕の挨拶に快く応えた。


「うん、おはよう」


「あ、あのさ」


 僕は一回、教室の空気を吸った。


「突然悪いけど、ちょっと相談に乗ってくれない?」


 彼は、僕の要求に驚いた。


「僕が片瀬の相談に乗る?」


「うん」


「片瀬」


 彼は鋭い目で、周りの女子達を見渡した。


「まさか、また彼女達にやられたの?」


 僕は、彼の苦笑に若干戦いた。


「ち、違うよ! アイツらには、やられていない」


「そうか。なら?」


「うん。それとは、別の。相談の都合は、君の都合に合わせる」


「分かった。それじゃ、来週の日曜日で良い? 待ち合わせの場所は、僕の知っている喫茶店で」


「うん、良いよ。喫茶店の場所は?」


 彼は「ニコリ」と笑って、僕にその場所を教えた。


「若い人は、あまり行かないけどね。でも僕は、すごく気に入っている。『彼女』と一緒に行った店だから。今でも時々」


 僕は、話の続きを聞かなかった。


「ね、ねぇ?」


「うん?」


 僕は、声の調子を落とした。


「君って、彼女がいるの?」


 彼は、机の上に目を落とした。


「その事は……ごめん、ここじゃ話せない。日曜日の時に話しても良いかな?」


「う、うん、分かった。それじゃ、その時に」


「ありがとう」


 僕は、彼の厚意に頭を下げた。それに「え?」と驚く女子達を無視して。僕は自分の席に戻ると、机の上に頬杖を突いて、外の景色をぼうっと眺めはじめた。


 その景色が変わったのは、近くの女子が「ね、ねぇ、片瀬くん?」と話しかけた時だった。僕は、その女子に視線を向けた。


「なに?」

 

 女子は、僕の態度に驚いた。


「さっき、六道君と話していたよね?」


「うん、話していたよ? それが?」


「う、うん」


 女子の瞳が震える。


「何を話していたの?」


「別に。ただの世間話だよ」


「そ、そう……。ね、ねぇ、片瀬くんってさ」


「うん?」


「六道君と仲が良いんだね?」


「おかしい?」


「え? い、いや、おかしくはないけど……うん。片瀬くんって六道君とあまり話さなかったから。『ちょっと珍しいな』と思って」


「そう」


 僕は、彼女の上着に目をやった。


「話は、それだけ?」


「う、うん」


「分かった」


 僕は、彼女の上着を指差した。


「上着の肩」


「え?」


「糸屑が付いている」


 彼女は慌てて、肩の糸屑を取った。


「あ、ありがとう」


「いや」


 彼女は無言で、自分のグループに視線を戻した。


 それから先は、あまりよく分からない。彼女が周りの女子達と話している間、僕も外の景色に視線を戻してしまったから。「片瀬くんってさ、なんか雰囲気変わったよね?」の声しか聞き取れなかった。

 

 僕は不機嫌な顔で、それらの声に溜め息をついた。



 約束の日曜日は、朝からずっと晴れていた。

 

 僕は待ち合わせの場所に着くと、真剣な顔で目の前の彼に頭を下げた。


「今日は、本当に」


「片瀬」


 彼は、僕の言葉を遮った。


「それは、君の悩みを聞いてからだ」


「……うん」


「入ろう」


「うん」


 僕達は、喫茶店の中に入った。喫茶店の中は、静かだった。カウンター席に座っている客はもちろん、テーブル席に座る女性客もほとんど喋っていない。すべてが、静寂に包まれている。時折「クスクス」と笑う声は聞こえてくるが、それ以外の声はほとんど聞こえて来なかった。

 

 彼は、その光景に何度かうなずいた。


「良い所でしょう?」


「うん、店の装飾品も趣味が良くて」


「チャラチャラしていない?」


「うん」


「本当に良い店って言うのは、そう言う店だよ。どんな人にも不快を与えない。大抵の人は、それが分かっていないんだ」


 彼は、店の店主に歩み寄った。


「二名です」


「二名様、ですね?」


 店主の男は、僕の目を覗きこんだ。


「なるほど。綺麗な目の少年だ」


 男は、店のウェイトレスに目をやった。


 ウェイトレスは、適当な席に僕達を案内した。


「こちらにどうぞ」


 彼女は、テーブルの上に水を置いた。


「ご注文は?」


 僕は、彼に視線を向けた。


「何を頼むの?」


「俺? 俺は、チーズケーキと紅茶」


「なるほど」


 僕は、ウェイトレスに視線を戻した。


「それじゃ、彼と同じのを下さい」


「かりこまりました。少々、お待ち下さい」


 彼女は僕達に頭を下げて、テーブルの前から歩き出した。


 彼は、その後ろ姿を見送った。


「わざわざ同じのを頼まなくても」


「ごめん。こう言う場所に慣れていなくて」


「そうか」


 彼は、自分のコップに手を伸ばした。


「ここのアレは、美味いよ。それこそ、余所のケーキが食べられなくなるくらいに」


「へぇ、そう」


「片瀬」


 彼は、僕の目を見つめた。


「それで、相談は?」


「うん」


 僕も、彼の目を見つめかえした。


「僕の事を格好良くして欲しい」


「え?」


 彼の手が止まった。


「君の事を格好良く?」


「うん! 正確には、その手伝いをして欲しいんだ。どんな髪型にすれば良いんだとか、僕に似合う服はどれかとか、君のセンスで」


「『選んで欲しい』と?」


「うん」


「片瀬」


 彼は、妙に悪戯っぽく笑った。


「好きな人がいるの?」


「え?」と、思わず驚く。「好きな人が?」


「うん。今の自分を『変えたい』って事は、それだけ……」


 彼は、自分の言葉を飲み込んだ。彼がそれを言おうとした瞬間、店のウェイトレスがテーブルにケーキと紅茶を運んで来たからだ。彼はウェイトレスに頭を下げると、穏やかな顔でその後ろ姿を見送った。


「食べよう」


 僕の顔に視線を戻す。


「紅茶が冷めないうちに」


「うん」と、僕も視線を戻した。


 僕は、自分の紅茶を啜った。


「美味しい」


「でしょう? ケーキの方は?」


 自分のケーキを食べてみる。すると、とても幸せな気持ちになった。


「こっちのケーキも、市販の奴とは大違いだ」


 僕は妙に得した気分で、自分のケーキを平らげる。


 彼は、その様子に笑みを浮かべた。


「君の彼女には、内緒だよ? ここは」


「『君達』にとって、大事な場所だから?」


 うん、の声は無かった。僕が「六道君?」と話しかけても。彼は真面目な顔で、僕の目を見返した。


「片瀬」


「うん?」


「彼女は?」


「同じ学校、じゃない」


「ふーん。なら、余所の女性ひとなんだね。学年は?」


「同じ二年生」


「遅生まれ?」


「五月の初旬」


「なるほど、良い季節だね。片瀬の誕生日は?」


「それと同じくらい」


 彼はまた、悪戯っぽく笑った。


「お似合いだ」

 から、自分の紅茶を啜る。


「彼女の写メとかは、あるの?」


 一瞬、彼の質問に固まった。


「彼女の写メは……ごめん、撮っていない。彼女が」


「なるほど。そう言うのは、苦手なんだ」


 僕は、彼の質問に言い淀んだ。


「う、うん、そう! 彼女が」


「今時珍しいね。普通は、ほら? スマホの待ち受けとかに」


 彼は、上着のポケットからスマホを取り出した。


「スマホは、持って来た?」


「なんで?」


 彼の顔がポカンとする。


「『なんで?』って……それはもちろん、お互いの番号を交換するために。片瀬も、自分のスマホは持っているんでしょう?」

 

僕は、体の震えを抑えた。


「う、うん、一応持っているよ。でも」


「でも?」


「ごめん。最近ちょっと、調子が悪くて。今、修理に出しているんだ」


 彼は僕の目を見つめたが、やがて「分かったよ」と笑い出した。


「そう言う事にしておく」


「ありがとう」


 彼は、ポケットの中にスマホを入れ直した。


「今日の予算は?」


 僕は、今日の予算を伝えた。すると、「へぇ」と驚かれた。「結構持って来たね。スポンサーは?」


「僕のか、うっ。自分の母親。僕が『新しい服を買いたい』って言ったら、喜んで自分の裏貯金へそくりを渡して」


「ふーん」


 彼は、テーブルの上に頬杖を突いた。


「お母さんは、どんな人?」


「キョロ充かな? リア充に憧れる……自分は、リア充のつもりでいるけど」


「ぷっ」と、彼は吹き出した。「片瀬も大変だね」


「うん、本当に大変だ」


 僕達は、しばらく笑い合った(僕は、苦笑いだけど)。


 彼は自分のケーキを食べ終えると、店の伝票に手を伸ばして、正面の僕に「クスッ」と笑いかけた。「ここの支払いは、俺がするよ」

 

 僕は彼の厚意を断ろうとしたが、彼の笑顔に「大丈夫」と止められてしまった。

 

 テーブルの椅子から立って、店の会計所に行く彼。彼は嬉しそうな顔で、二人分の料金を払った。

 

 僕達は、店の外に出た。

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