第10話 喫茶店と先生の家
彼女は、その案内を喜んだ。本当は、つまらなかったかも知れないけど……まあいい。「クスッ」と笑う顔には、それを信じさせるだけの何かがあった。
彼女は、僕に視線を戻した。
「進くん」
「なに?」
「ありがとう。わたし、とても楽しいです」
胸が熱くなった。
「そ、そう? うん、良かった」
彼女は、僕の見つめる喫茶店に目をやった。
「素敵な店ですね。店のデザインも、すごくオシャレだし」
「……うん。最近できた店で。クラスの女子達が」
彼女は、僕の表情に首を傾げた。
「進くん?」
僕は、彼女の声にハッとした。
「ご、ごめん! その……クラスの女子達が話しているのを聞いて。本当は、ぜんぜん聞きたくなかったけど」
心の動揺を何とか誤魔化す。
「店の中を見てみる?」
「はい」
「分かった」
僕はネットの新しいタブを開くと、複雑な顔で今の喫茶店を調べた。喫茶店のホームページは、すぐに見つかった。画面の上から検索結果を一つ一つ見ていって。僕が欲しかった情報は、その丁度三番目にあった。
僕は、店のホームページを開いた。ホームページの内容は、理穂子さんの表情を見ても分かるように(かなり喜んでいる)、とてもオシャレだった。このオシャレに疎い僕でさえ、思わず「うぉ」と唸ってしまう程に。そのホームページには、それを感じさせる何かがあった。
僕はマヌケな顔で、そのページをしばらく見つづけた。
理穂子さんは、僕の様子に驚いた。
「進くん」
「ふぇ? な、なに?」
彼女は、僕の反応を笑った。
「どうしたんですか?」
「べ、別に何でもないよ。アハハハ」
僕は、顔の火照りを誤魔化した。
「店の中はどう? 理穂子さん的に」
「はい! とても素敵です。店の中にあるテーブルも! それに」
「そ、そう。なら、良かった」
彼女は、僕の言葉に微笑んだ。
「進くん」
「な、なに?」
「店のメニュー表を見せて貰っても良いですか?」
「店のメニュー表?」
僕は、ホームページの検索項目を開いた。検索項目の中には、なるほど。カジュアルな字で読みづらいが、「メニューガイド」の文字が表示されていた。
僕は不安な顔で、そのメニューガイドを開いた。ガイドの内容は、やはりオシャレな物だった。コーヒーの種類はもちろん、軽食も驚く程に揃っている。これがまるで「常識だ」と言わんばかりに、その姿をありありと見せていた。
僕は、その姿に思わず唸ってしまってしまった。
「う、ううう」
彼女も、その声に思わず驚いてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
彼女は不安な顔で、僕の顔に眉を寄せた。
「進くん」
「な、なに?」
「進くんは……こう言う場所は、苦手ですか?」
息が止まった。まさか、彼女に見破られてしまうなんて。僕は、心の動揺を何とか抑えようとした。でも、「正直」
残念ながら、抑える事ができなかった。心の抑えが外れる。
僕は悔しげな顔で、彼女の目から視線を逸らした。
「とても苦手です」
「そうですか」
彼女は、僕に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「え?」
「あなたの気持ちも考えないで、わたし」
彼女の涙が光った。
僕は、その涙に叫んだ。
「理穂子さんは、悪くないよ!」
「え?」
「理穂子さんは、悪くない。悪いのは」
「進くん……」
「情けないな」
僕は、自分に溜め息をついた。
「本当に情けない。大事なデートで、こんな」
「そんな事は、ありません!」
「え?」
彼女は、僕に微笑んだ。
「あなたはこうして……たとえ苦手な事であっても、わたしの気持ちを一番に考えてくれました。虚像のわたしが一番喜ぶ事を。だから」
「理穂子さん」
「無理は、しないで下さい。あなたが苦しむ姿は、わたしも見ていて辛いから」
僕は、右手の拳を握った。彼女の言葉があまりに嬉しくて。僕は右手の拳をしばらく握ったが、ある感情がふと芽生えると、それまでの恐怖を忘れて、画面の彼女にそっと微笑んだ。
「ありがとう、理穂子さん。でも」
「でも?」
「僕は、大丈夫。次は、どの項目を見たい?」
彼女は僕の言葉に驚いたが、やがて「次は」と笑いはじめた。
「次は、『フレンド』を見たいです」
「分かった」
僕は、フレンドの項目をクリックした。
「フレンドの項目は、なるほど」
お客様の声、か。店の利用客から感想を募って、それをフレンド(この場合は、「仲間」の意味が強いのだろう)のページに載せている、と。
理穂子さんは、その写真にうっとりした。
「素敵」
「うん」
僕達は、その写真をしばらく見つづけた。
理穂子さんは、自分の手元(だと思う)に目を落とした。
「わたしも、ここに行けたら良いのに」
僕は、その一言に俯いた。「行けるよ」と言わなかったのは、彼女の言わんとする事が分かったからだ。「自分は、三次元の世界には行けない」と。だから彼女と同じように、僕も「うん」と笑う事しかできなかった。
僕は、右手のマウスを動かした。
「次は、何を見る?」
「次は……他の場所を見たいです」
「分かった」
僕は喫茶店のホームページを閉じて、代わりにネットの地図をクリックした。
「何処の場所が良い?」
「進くんの行きたい所で」
「了解」
僕は、地図上の建物を無造作にクリックしていった。店の中は汚いけれど、棚の上に並ぶ商品は非常に美味いパン屋。外の看板だけが立派な歯医者。外の看板すらもお粗末な靴屋。最近、潰されてしまった個人経営の電器屋。その電器屋の前にある(潰れていないよ?)、家族経営の蕎麦屋。そして……。
僕は、次の建物をクリックした。
「この建物は……その、今までの建物とは少し違うんだけど」
彼女は不思議そうな顔で、その建物に目をやった。
彼女の表情が変わったのは、正にその瞬間だった。
彼女は、その建物をまじまじと見た。
僕は、彼女の反応に眉を上げた。
「理穂子さん?」
「ハッ」
「だ、大丈夫?」
彼女は、僕の不安に微笑んだ。
「大丈夫です。多分、気のせいだと思うので。だから、気にしないで下さい」
「そ、そう?」
僕は、画面の建物に意識を戻した。
「この建物は、『先生』の家なんだ」
「先生の家?」
「正確には、マンションの三階だけど」
僕は、自分の手元に目を落とした。
「高山昴先生。僕のクラスを受け持つ」
「担任の先生、ですか?」
「うん。歳は、三十くらいだけど。凄く良い先生なんだ。生徒の悩みをちゃんと聞いてくれるし、僕も……うん。学校の授業で分からない所を教えて貰った」
「素敵な先生ですね」
「うん、本当に。先生は」
僕は、椅子の背もたれに寄り掛かった。
「僕も先生のような人になれたらな」
「なれますよ、絶対に。進くんなら」
僕は、彼女の言葉に胸を打たれた。
「ありがとう!」
「はい!」
「……でも、やっぱり無理かな」
彼女の表情が変わった。
「どうしてですか?」
僕の気持ちも変わった。
「先生、結婚しているし。リアルの人と。僕には」
「進くん!」
彼女は真剣な顔で、僕の目を見つめた。
「その人は、結婚しているんですか?」
「ああうん。友達の話では。凄い美人らしいよ」
「そうですか」
「理穂子さん?」
彼女は、僕の声に応えなかった。
僕は、その態度に驚いた。彼女がなぜ、そんな態度を取ったのか分からなかったから。僕は真面目な顔で、彼女の声を待ちつづけた。だが、「う、うう」
彼女の声は、やはり聞こえなかった。
部屋の時計に目をやる。
「十一時半、か」
僕は、画面の彼女に視線を戻した。
「理穂子さん?」
無言。
「理穂子さん?」
またもや無言。だから今度は、少し強めに呼びかける。
「理穂子さん!」
「は、はい?」
僕は、その反応にホッとした。
「今日のデートなんだけど。時間も時間だし」
「ああ、本当だ! ごめんなさい」
彼女は、自分の失態(的なもの)に苦笑した。
「進くん」
「はい」
「今日は、ありがとう」
頬の奥が熱くなった。
「ぼ、僕も! 今日は、どうもありがとう!」
彼女は、今の場所から立ち上がった。「おやすみなさい」
僕も、パソコンの前から立ち上がった。「おやすみなさい」
僕達は、それぞれに部屋の電気を消した。
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