第8話 ネットデートの約束

「ただいま」


「おかえり」


 流し台に弁当箱を置く。


 俺は、自分の部屋に向かった。部屋の中ではもちろん、彼女達が僕の帰りを待っていた。僕は机の横に鞄を置くと、いつもの服に着替えて、机の椅子に座った。


「ただいま、みんな」


「お帰りなさい、進くん」


「おかえり、スーちゃん!」


「お帰りなさい。今日も一日、ご苦労様」


 天道寺さんは、僕に微笑んだ。


「学校は、楽しかった?」


「ああうん、まあ。それなり、ですか? 学校の授業は大変だし」


「何の授業が大変だったの?」


「英語の読解、ですか。と言うか、英語自体が苦手で」


「ふーん」


 天道寺さんは、何やら考えはじめた。


「英語自体が苦手って事は、そのリスニングもヤバいって事?」


「は、はい、基本的には。意味の分からない民族音楽を聴かされている気分です。

『Yes』とか『No』とか『Pen』とかの単語は分かりますが。それ以外は」


「なるほど。それは、かなり重症ね」


 彼女の瞳が光った。


「片瀬君」


「は、はい?」


「英語の勉強、あたしが教えてあげようか?」


「天道寺さんが?」


「そう。あたしは今、『スマホの中』に入っているからね。音楽データの再生もできるし、場合によっては、動画のデータも落とす事ができる。ネットの中に飛び込んでね。君も、動画の投稿サイトくらいは観るでしょう?」


「え、ええ、まあ、それなりに。最近はその、あまり観ていませんけど」

 理穂子さんがパソコンの画面に出ているから、下手なモノは観られないし。


「その動画サイトがどうしたんですか?」


「あたしがそのサイトから、適当な動画を見付けてあげる。君の勉強に役立つような」


「え?」と、僕は驚いた。彼女の提案に驚いたからではなく、理穂子さんの「え?」に驚いて。

 

 理穂子さんは、スマホの画面をマジマジと見た。


「秋音さんって、そんな事ができるんですか?」


「あら? 理穂子ちゃんはできないの? スマホよりもずっと、高性能な機械なのに?」

 

 理穂子さんの顔が暗くなる。


「はい。私には、できません」


「そう。それは、残念ね」


 僕は、理穂子さんの表情に胸を痛めた。だから……。


「理穂子さん」


「はい?」


 その憂いを「少しでも取り除きたい」と思った。


「今日のこれからだけど。君の所で色々と調べても良い?」


「私の所で、ですか?」


「うん。パソコンの方が……その、画面が大きいから。文字とか画像も見やすいし」


 僕は、彼女の目を見つめた。


「どうかな?」


「良い、ですよ?」


「本当!」


「ただし」


 彼女の頬が赤くなる。


「エッチなサイトは、ダメですよ? それと、わたし以外の二次元おんなのこを見たり、観たり、覧たりするのも!」


 僕は、彼女の言葉に動揺した。


「あ、当たり前だよ! 理穂子さん以外の裸を観たいなんて!」


 あ! と、気づいた時にはもう遅かった。


「進くん」


「は、はい!」


 彼女は上目遣いで、僕の顔を睨んだ。


「進くんは、わたしの裸を見たいんですか?」

 

 僕は、その答えに言い淀んだ。


「え、ええっと」


「スケベです」


「え?」


「進くんは、スケベです!」


 彼女は「ぷいっ」と、そっぽを向いた。


 僕は、その態度に慌てた。


「り、理穂子さん!」

 

 僕は、画面の彼女に謝った。彼女の怒りを何とか鎮めようとして。だがいくら謝っても、僕の「ごめんね」はおろか、「許してください」の土下座にもまったく応えてくれなかった。

 

 僕は、自分の失敗に項垂れた。

 

 天道寺さんは、その様子に微笑んだ。


「大変ね」


 僕は、彼女の言葉にムッとした。


「他人事みたいに言わないでください」


「だって、本当に他人事だもの。あたしにとっては、ね」


 彼女は、理穂子さんに話しかけた。


「理穂子ちゃん?」


「な、何です?」


「さっきのあれは、冗談よ? あたしには、そんな能力は無いわ。ネットの世界に入り込むのも。ましてや」


「秋音さん?」


「あたしは、『普通』の女子高生だし。サイトの動画を落とすとか」


「そ、それじゃ! どうして、あんな事を言ったんですか?」


「知りたい?」


「はい!」


「『彼の耳を癒そう』と思って」


「進くんの耳を癒す?」


 天道寺さんは、僕の顔に目をやった。


「片瀬君」


「はい?」


「最近、出している?」


 彼女の質問に固まった。質問の意味に驚いたからではなく、その意図にただ驚いて。僕は、彼女の意図に俯いたが……。


「なっ、なっ」


 理穂子さんは、僕のように俯かなかった。


「秋音さん!」


 天道寺さんは、彼女の怒声を無視した。加えて、こころちゃんの「ふぇ?」にも。 彼女は楽しげな顔で、理穂子さんの反応を「クスクス」と笑った。

 

 こころちゃんは、その光景にポカンとした。


「ねぇ、ねぇ、出しているって?」


「こ、こころちゃんは、知らなくて良いの!」


 こころちゃんは、彼女の怒声に怯んだ。


「う、うん」


 天道寺さんは、僕の答えを促した。


「ねぇ? いつから出していないの?」


「一週間くらい前、から」


「ふーん。それじゃ、それ以降は出していないのね?」


「は、はい。まったく」


「そう。なら、相当溜っているんじゃない? 君の」


「『それが何だ』って言うんですか!」


 理穂子さんは、彼女の言葉を遮った。


「『一週間出していないから』って、その」


「問題ないわけがないじゃない? 彼は、年頃の男の子なのよ? 自分の下半身を愉しむのは」


「あわわわわ!」


 僕は慌てて、彼女の言葉を遮った。


「て、天道寺さん、ストップ! それ以上は……」


「片瀬君?」


「ここには一応、小学生のもいるんで」


「刺激が強すぎる?」


「はい」


「君の彼女にも強すぎるんじゃない?」


 僕は、理穂子さんの顔に目をやった。理穂子の顔は……やばい! 完熟のトマトよりも真っ赤になっている。瞳の方も潤んでいるようで、僕が「理穂子さん」と話しかけると、間髪を入れずに「う、ううう」と俯いてしまった。

 

 僕は、その様子に戸惑った。

 

 天道寺さんは、僕達の反応を笑った。


「君達は本当、最高に面白いわ! あたしがちょっとからかっただけで、こんなに」


「天道寺さん!」


「今日の夜は、君の『アレ』を慰めるつもりだった。一週間分の不満が溜った『アレ』を。あたしには、それを満たすだけの技がある。スマホのイヤホンを使って。本当は」


「僕に勉強を教えるつもりは、なかったんですね? 勉強に役立つ動画を見つけるのも」


「うん」


 彼女は、僕にウインクした。


「ごめんね」


「良いですよ、別に。僕も本気で怒っていたわけじゃないですから」


「フフフ、ありがとう」


 彼女は、理穂子さんに視線を移した。


「理穂子ちゃん」


「何です?」


「今日の夜は、楽しんでね」


「え?」


「『え?』って、そう言う約束だったんじゃないの? 片瀬君とネットデートする。さっき、片瀬君も言っていたじゃない?」


 理穂子さんは、僕の目を見た。僕も、彼女の目を見かえした。僕達は、互いの目をしばらく見合った。最初に笑ったのは、理穂子さんだった。

 

 彼女は恥ずかしげな顔で、僕の目から視線を逸らした。


「進くん、その」


「は、はい」


「ごめんなさい」


「え?」


「あなたの事、『スケベ』とか言って。わたし」


「そ、そんな事はないよ。アレは、どう考えたって」


 彼女は、僕の顔に視線を戻した。そして、「プッ」

 

 どうして、笑ったのかは分からない。彼女がなぜ、僕の事を許したのかも。


 彼女は、優しげな顔で僕に笑いかけた。


「今夜は、何を調べるんですか?」


「何を?」


 うーん、と、少し考える。


「明日の天気とか、海外の事件とか」


「なるほど。なら、ネットの中を散歩しましょう」


「ネットの中を散歩する?」


「はい。ネットの中には、色々なモノがありますから。二人で散歩するにも」


「僕が調べた情報は、そっちの世界ではどんな風に見えるの?」


「あなたがパソコン越しで『わたし』を見ているように、わたしもパソコン越しから『あなた』を見ているんです。だから、パソコンの画面には」


「僕が調べた情報が出るんだね?」


「はい」


「ワタシも同じだよ!」


 こころちゃんは、目をキラキラさせた。


「ワタシの目の前に『大きな壁?』があって、そこからスーちゃんの事を見ているんだ」


「あたしも同じように、君の事を見ている」


 僕は、正面の彼女に視線を戻した。


「そ、そうだったんだ。それじゃ、画面の外にも」


「いいえ、言った事はありません。と言うか、『行きたい』と気持ちにならないんです。たとえ、部屋の出口が見えていたとしても。なぜか」


「ふ、ふーん。じゃあ、食事やトイレはどうしているの?」


「それはもちろん、しているわよ。あたし達だって生きているんだし、何日も『飲まず食わず』ってわけにはいかないわ」


「そ、そうですよね。でも」


「『食べ物とかは、どうしているのか?』って?」


「は、はい……」


「食べ物は、なぜかあるわ」


「なぜかある?」


「朝の時間に起きるとね、テーブルの上に置いてあるんだ! それと昼ご飯も、晩ご飯も。晩ご飯は、七時くらいに出るかな?」


「なるほど。自動で用意してくれる食事、か。食事のメニューは、決まっているの?」


「わかんない!」


「分からない?」


「ワタシは、お菓子が好きなんだけどね。出てくるのはいつも、給食みたいなヤツなんだ。お盆の上にパンとか牛乳が乗っかっていて。ワタシ、牛乳苦手なのにぃ」


「わたしも、こころちゃんと同じ『給食』です。とてもバランスが取れた。わたしは、特に好き嫌いはありませんけど」


「あたしは、時間によってマチマチだね。朝は主に洋食、お昼は『手作り?』の弁当で、夜は外食のようなメニューが多い」


「不思議ですね」


「ええ、本当に不思議」


 僕達は、今の話にしばらく黙りつづけた。


 天道寺さんは、その沈黙に咳払いした。


「とにかく」


 彼女は、僕と理穂子さんに目をやった。


「二人はデート、楽しんでね」


「は、はい」


「あ、有り難うございます」


 僕達は、同時に「う、ううう」と俯いた。


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