第22話:日本初のインターネット関連株
そんな1997年1月に寛太は幸夫の部屋に呼ばれ、3月にヤフーという日本
初のインターネット関連株が上場するので投資しないかと持ちかけられ、もし化
けたら大きな儲けになると説明され、一緒に買いを入れることにした。1997
年11月にヤフー1株、200万円を寛太と幸夫が1株200万円で買った。
これが、大当たりして1999年11月には何と6億5千万円になって売った。
これにより、とんでもない資産を作り、更に、かなり前1978年1月に購入
したセブンイレブン株が11倍の分割で1万株が11万株になり1960円で
売却でき2億2千万円の利益を得て、103588万円と天文学的金額になった
ので、幸夫さんに借りた金5千万円を返すというと、いらないと言われた。
その後、幸夫は自分の資産を安江、寛太、好恵、鉄郎、仁美の口座を利用して、
毎年1200万円ずつ移動し始めた。1997年3月12日、良三の長男、良一
が誕生した。そこで幸夫が良三に、金は貸すから、内科医院を開業しないかと、
持ちかけた。そして、幸夫と寛太が良三に1億円の融資の書類を作成し融資した。
すると開業するとしても、苫小牧よりも大都会、札幌の方が良いと言った。
2000年に入り2月22日ヤフージャパンが1億6790万円の最高値を
記録した。ところが日本株のピークだったようで、その後バブルがはじけて
急激に株の大きなが下げの波が押し寄せた。3月31日-4月27日 光通信
、20営業日連続ストップ安という下げの新記録をつくった。光通信の信用の
失墜は、光通信の関連企業だけでなく、日本のIT業界全体に波及し他のIT
ベンチャーの株価まで急落させる事態になりました。日本のITバブル崩壊は
光通信の架空契約発覚から起きて、関連するITバブル銘柄、光通信、
ソフトバンク、ヤフー、NTTドコモ、楽天で、かなり激しい下げを演じた。
また米国では2000年度年間売上高1110億ドル(全米第7位)
2001年の社員数21000名という全米でも有数の大企業であった。
しかし巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算が明るみに出て、
2001年12月に破綻に追い込まれた(エンロンショック)。
破綻時の負債総額は諸説あるが少なくとも310億ドル、簿外債務を
含めると400億ドルを超えていたのではないかとも言われている。
その後2001年を迎え、この頃から日本の都市部を中心に急に地価が
下がりだし、それを見て寛太は2001年2月に札幌の不動産屋さんを
まわってビルをさがすとバブル崩壊で下がって売れないビルも出てきたと
聞いたので5-6階建てで駅から近く便の良い所で売れなくて困ってる
物件を安く買って欲しいと言い、いくつかの物件情報が届いた。
その中で札幌駅と苗穂駅の間で札幌厚生病院近くに土地100坪で
6階建ての建坪500坪、築2年の物件が2億円で出ていたが、現状渡しで
1.5億円なら交渉できるとと言ったので、その週の2月20日の日曜日、
寛太と幸夫と良三で見に言った。
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