第21話:安江の父の死と孫の誕生ラッシュ

 米国では、黒人差別に反対してロサンゼルスで黒人暴動が起きた。日本も世界

も人々の鬱積した不満がたまり、時に爆発するという不安定な情勢だった。


しばらくして1992年となり、1992年は6月に、長女の和子(1954生)

38才が、同じ苫小牧東高校に勤める数学教師、東出浩一(1950生)42才

と結婚し、安江の元から出て行った。


 この年も株価低迷で下げてきたトヨタ株を1992年2月に1300円で

1万株買い、残金が2629万円となった。


 この年に嵐山家の実家で母、安江の父、嵐山太郎(1910生)82才で11

月に脳溢血で入院していたが、死去した。その後、彼の奥さん嵐山聡子は、実家

を出て寛太の家に入ってきて、寛太の家は聡子、安江、寛太、和子、二郎、良三、

鉄郎の8人の大家族になり安江の仕事が増えて港での仕事ができなくなった。

 しばらくして1993年を迎え欧州経済共同体に加盟する12か国による世界

最大の単一市場・EUが出現した。1993年は6月に三男の良三(1957生)

36才が同じ王子総合病院に勤める看護婦、山田博子(1971生)22才と結

婚し1973年9月22日に長女、早苗が誕生した。


 その後、やっと1994年に株価が上昇し始め寛太は1994年3月にソニー

株1万株を3100万円で売り、1805万円の利益を得て、残金4434万円。


 1994年6月16日には寛太と好恵の間に長女、仁美が誕生した。この2年

で2人の孫誕生に、安江の母、聡子(1913年生)81才も忙しい安江と一緒

に2人の孫の面倒をみるようになり元気をを取り戻してきた。



 翌年、1995年にソニー株が下げてきたので、1995年3月にソニー株

1万株を1880円で買い指値を入れて買った。残金2554万円。


 この頃には、幸夫おじさんの株のもうけが大きくなり、寛太たちが以前住んで

いた倉庫を壊して、新しい、大きな離れ着きの5LDKの大きな家を寛太と折半

で建てた。この家は5月に契約して8月に完成した。10月には寛太の家族4人

と離れを幸夫の書斎と寝室として住むようになり、こうして安江の住む家が少し

広くなったので長女の和子も泊まりに来るようになった。


 1996年4月に、三男の良三の3人家族が王子総合病院の社宅に空きが出た

ので、そちらに引っ越していった。すると長女の和子夫婦が引っ越して安江の家

に入ってきて家事を手伝う様になった。その年の9月に、良三が急に結婚すると、

3才年下の彼女、柳田智子さんを母の安江に紹介するために嵐山家に連れてきた。

 安江がもしかして智子さん、おめでたと聞くと恥ずかしいんですが妊娠4ヶ月

ですと言った。結婚式はいつにするのと聞くので身内だけで来月あげたいのです

がと言い10月17日、近くの結婚式場で結婚式を挙げた。これにより、安江は、

随分楽になり、また港で仕事を始めるようになった。


 和子と亭主の東出浩一は寛太の長男、鉄郎、小学校5年生の勉強を見てやる様

になり一層懸命に勉強するなった。1997年になり鉄郎は地元の公立中学に通

う様になり和子と亭主の東出浩一は安江の家の8畳の部屋で週に4日、国語、

英語、数学の塾を開いて、月6万ずつ、安江に支払うようになった。その時に

鉄郎も無料で教えてもらうようになり、塾で、鉄郎は、数学に興味を持つ

様になり、成績も上がってきた。

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