第20話:北海道をドライブ2
6月は苫小牧から南下して函館まで足を伸ばし夜遅くに苫小牧に帰ってきた。
2人交代で運転すると楽だと幸夫おじさんが言った。8月は朝早く起きて、
富良野のラベンダー畑へを見に言った。ラベンダーを初めて見た君恵は素敵と
多くの写真を撮った。9月は千歳経由で帯広へ言った。10月は、札幌へ行き、
狸小路や円山公園を散歩して楽しんだ。今年は、11月から雪が降り出し家に
こもる日が多くなり年の瀬を迎え、また1989年が明けた。
今年は初詣でに行き鉄郎を家族や仲間達の健康を祈願した。新年会で、良三が
王子総合病院に就職できるかも知れないと言った。北海大学付属病院から出たく
ない医者が多い様で、もし今年就職できたら良いんだけれどと抱負を述べていた。
長女の和子も苫小牧東高校の国語の教師が長くなってきたが、やはり札幌周辺
の高校を希望する先生が多い様で、お陰で長くいられると話してくれた。
3月になりトヨタ株が上昇して来て2400円の売り指値を入れて待つと4月
に売れて1565万円の儲けで残金が2165万円になった。9月に入りソニー
株が上昇し始め4300円で売り指し値し、売れ、2964万円の利益で、残金
が5129万円となった。
今年は5月の連休に、幸夫さんのお誘いで寛太と好恵と鉄郎と一緒に函館から
松前、江差をまわって登別の温泉に一泊して帰ってきた。8月には、富良野の
ラベンダー畑を見て美瑛の美しい丘を散策し、旭川に宿泊し、稚内まで行き、
帰りは札幌に宿泊して苫小牧に帰った。近くの幼稚園に空きが出て長男の鉄郎が
入園した。最初は母、好恵と別れるのをいやがって、ぐずっていたが、入園して
2ケ月すると、幼稚園で友達ができ、楽しみに通うようになった。雪が降り始め、
時化の日が多くなり1990年になった。
1990年入ると2月に株価が大きく下げた。2月23日には936円安の
終値3万4891円,2月26日には1569円安の終値3万3322円と
不安な幕開けだった。10月には遂に2万円割れまで大きく下げた。
世界情勢も混沌としており8月にイラク軍がクウェートに侵攻した。また10
月3日、ドイツにとっては、記念すべき東・西ドイツの統一が実現した。日本では、
株価低迷と共に銀行の合併が多く行われ始め、景気低迷を象徴する出来事だった。
そして日本中が重苦しい雰囲気で1991年を迎えた。1991年は1月17
日、クエートで湾岸戦争が勃発し、日本でも多くの時間を割いて報道した。6月
3日には、雲仙普賢岳で火砕流発生で死者・行方不明43人となった。嵐山家では
、寛太の息子・鉄郎が小学校に入学した。
株価低迷の中、ソニー株が下げてるのをみて1991年10月にソニー株
1200円で100株を購入し残金が3929円となった。
やがて1992年が明けた。この年も、日本株が低迷して、静かに大蔵省主導の
元に国民に知られずに、密かに多くの地方の脆弱な銀行が次々に救済合併という
名の元に倒産していった。政治、経済は自分たちの国の運営の失敗を国民に知ら
れない様にして、帳消しにして、後々にそのツケを国民に払わせる下準備をした
という時代だった。
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