第19話:北海道をドライブ1

 12月もあっという間に過ぎ1987年が終わり1988年を迎えた。

 鉄郎が2才になり寒さ厳しい2月に鉄郎が風邪を引いて真っ赤な顔で、みんなを

心配させた。ちょうど王子総合病院の内科の良三がいたので処置の方法を教えて

もらい頭をひやせ水を飲ませろ薬を定期的にのませろと指導されて5日ほどで熱が

落ちて普通通りに戻った。良三が母の免疫から鉄郎自身の免疫、つまり最近や

ウイルスと戦う力を試され始めたと言うことだと話してくれた。


 1987年3月にソニー株が下げてきたので1180円で1万株、買い指値を

出し、買えた。残金が601万円になった。


 やがて5月になり鉄郎が立って歩く日が多くなり目が離せなくなった。頭が重

いせいか、すぐ転げてしまうのだ。8月になる事には立って歩く様になり転げな

くなっていった。家の周りの砂の多い場所で寛太が鉄郎を遊ばせる日が多くなっ

ていた。その後、天気の良い休みの日は鉄郎は寛太と散歩するのが楽しみの

ようで、すぐに玄関へ行き出て行きたい素振りをした。もう一人前に御飯を

食べて元気いっぱいに遊ぶようになった。


 今年は夏休みに寛太と鉄郎と君恵で新冠のサラブレッド牧場へ馬を見に言った。

 馬を見ると鉄郎は喜んで、はしゃいで走り回った。9月20日に2才の誕生日

を迎え、すっかり元気な男のと言った感じになり、その頃、幸夫おじさんが三菱

パジェロという4輪駆動の車を買ったので見せに来た。7人乗りで、どこでも

走れると言い、そのうちドライブに行こうと言ってくれた。翌週の日曜日に電話

が入り洞爺湖と支笏湖をドライブして、たくさんの写真を撮ってきた。その翌週

の日曜は朝早く出発して襟裳岬までロングドライブを楽しんだ。寛太、お前も、

運転免許取れと言われ10月から時間を見ては運転免許の学科試験の本を勉強し

て人気のない場所を見つけては内緒でハンドルを握り運転の練習をして11月に

は免許を取った。その頃には雪が降り出し時化の日が続いた。そんな日は寛太は、

鉄郎とボール遊びしたり、輪投げをしたして遊んでいた。


 この頃から正月に、あれだけ多くの人がに集まっていたのが、めっきり減って

きた。それでも君恵の実家のご両親や、幸夫おじさん、港の商店のおばさん達は、

来てくれた。この年1988年は、株の方は、あまり大きな動きがなかった。

 1988年の4月23日に二郎の次男、嵐山啓二が誕生した。手の甲が厚く、

がっちりした感じで将来、大きな身体になりそうな予感する逞しそうな男の子だ

った。これで兄弟で1番の子沢山で3人の子供のパパになった。5月になり幸夫

おじさんがドライブに誘ってくれるようになり札幌まで連れてってくれた。途中、

大きな道では寛太に運転を交代して運転させてくれた。来年あたりは泊まり込み、

出かけようと言ってくれた。

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