第18話:寛太の子・鉄郎の、お披露目

 その時に特に印象に残ったのは漁協の山下社長の一言だった。山下社長が来て

出産おめでとう、玉の様な元気そうな男の子を見て17年前、1968年に亡く

なった、寛太の父、嵐山正一も、天国から、寛太の子をみて、さぞかし喜んでる

だろうと涙ぐんで、しみじみと本当におめでとうと言ってくれた。それを聞いて

いた母の安江が社長に抱き付き、あの人に孫の顔を見せたかったと言いながら泣

き崩れた。それを見ていた家族も思わずもらい泣きした。


 社長が一升瓶と祝儀袋を安江に手渡してくれた。次に社長が、寛太を呼んで、

でかした、お前の子供は、俺等の宝だ、良い子に育てろよと荒っぽく、肩を強く

たたいた。次に君恵の実家の両親が訪ねてきて君恵の父の佐藤秀夫が俺等の子供

は君恵一人で大事に育てた。その娘が子供を産んで佐藤家の3代目ができたんだ、

うれしいよ、これで、また次の世代に橋渡しできたんだ鉄郎には逞しい、でっかい

男になって欲しい。本当にうれしいよと男泣きしたのだった。


 そして寛太を呼んで良い子に育ててくれと肩を抱き合って喜んだ。また港の職場

や近くの商店の人達も鉄郎の可愛いい顔を見て元気をもらえるよと喜んでくれ、

また港の方に鉄郎を見せに来てくれと言った。寛太が港の有名人になっていて、

その息子誕生を、港の関係者全員で祝福してくれた。こうして、寛太にとって一番、

忙しいかった1986年の正月が過ぎた。その後、寛太は仕事が空くと急いで家に

戻り鉄郎の顔を見ては、あやして帰る日々が続いた。


 少しずつ暖かくなり4月を迎え君恵も実家の食堂の手伝いを始めた。4月は、

1日おきに出て5月の連休明けの頃から普段通り週5日の仕事を始めた。寛太は、

以前の様に日曜日に幸夫の所へ行かなくなり鉄郎のそばから離れなかった。

 株の方は激しい動きはなかった。鉄郎は生後、半年を過ぎるとハイハイをする

様になり表情も出てきて時折見せる笑顔は、まるで天使の様で、みんなを笑顔に

してくれた。港の仲間達も、その鉄郎の笑顔見たさに手土産をもって頻繁に訪問

してくれた。もちろん家族達は、その笑顔見たさに仕事を終わると早く帰ってく

る日々が続いた。夏が過ぎ涼しくなったかと思うと海が荒れ始め11月、12月

と時が急いで過ぎていき1987年を迎えた。


 今年も正月から可愛い鉄郎見たさに大勢の人の訪問があった。15畳のリビン

グと8畳の部屋とダイニングルームに大勢の人達が集まってきた。幸い差入があ

るので酒とつまみは、十分だったが、食器を運んだり料理したり女性達は、てん

てこ舞いで大勢の客の応対をするのだった。そして鉄郎へのお年玉袋の数もその

分多かった。この頃には時折、立ったりする様になり、もう少しで立つ予感をさ

せてくれた。

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