第17話:寛太の結婚
1983年は嵐山家や幸夫の周辺でも平穏な年だった。やがて1984年が明
け年初、幸夫が風邪をこじらせて昨年の12月29日から嵐山家の2階の6畳の
部屋で寝ていた。新年会にきた良三が近くの病院へ行きレントゲンを撮ったりし
て、肺炎の兆候は見られないといわれ安心し1月3日には元気を取り戻し普通
通りの食事ができるまで回復した。
1月4日の大発会にトヨタ株が上昇して1140円で売り指し値をして、売れ、
利益1112万円を得て、残金が1679万円となった。
4月に、良三が苫小牧の王子総合病院の救急センターに赴任して来た。
家から病院に通うようになった。これには母の安江が喜んで、せっせと弁当を
作って送り出す様になった。この年、寛太が港の食堂の娘さん斉藤君恵さんを母
の安江の所へ連れてきて、つき合って3年目になったが結婚したいと言った。
なれそめは寛太が朝早くから港の市場の下働きをして手が空く9時過ぎに何か
手伝うことはないかと言われ、市場の風雪食堂の手伝いをし始めて高校を出たば
かりの君恵と一緒に仕事をする様になり仲良くなったそうだ。もともと店主の父、
佐藤秀夫も母、佐藤友子も寛太の仕事のぶりを気に入っていたので結婚を喜んで
くれたらしい。寛太31才、君恵19才だった。数日後、漁協の集会所で仲間内
30人ほどが集まって、結婚式をした。幸夫も寛太の結婚を祝福してくれた。
新婚旅行は日曜日に新冠のサラブレッド牧場へ行き母馬に寄り添う可愛い子馬
を見て、こんな可愛い子が早く欲しいわといって喜んだと教えてくれた。その後
1985年となり1985年、寛太の8畳の部屋に一緒に住んだ、君恵が、おめ
でただとわかり、仕事を休む事になり、最初の3ヶ月間は心配だからと言うので
母の安江が一緒についてやる事にした。
株の方ではトヨタ株が下がってきて2月に753円で1万株買って残金が92
6万円となり、6月にソニー株が上昇し2200円で1万株を売り、855万円
の利益が出て残金が1781万円となった。
1985年9月20日、2900gの男の子を出産し、名前を元気で逞しい子
に育てと嵐山鉄郎と名付けた。出産後、まもなく10月には家に戻り心配なので
3ヶ月間、母の安江が仕事を休んで見てやることにし、やがて1985年は終わ
り1986年を迎えた。この年の嵐山家の新年会は生まれたばかりの嵐山鉄郎を
見たいという人が多く元日から多くの訪問客が手土産を持ってに訪ねてきた。
そのお陰で数日、買い物に行かなくて良いくらいに食べ物がいっぱいになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます