第14話:寛太の株式投資の勉強
おもむろに、母の安江が、実は寛太には苦労をかけ、私一人の稼ぎでは食って
いけないのを助けてくれ、一銭も無駄遣いせずに、家に金を入れてくれたんだと
言い、朝一番に漁港へ行き、みんなに挨拶して何かあったら言ってくれ、手伝う
からといい、港のみんなの手伝いや下働きをして稼いだ金も、みんな、家に
入れてくれたんだよと言うと、弟たちも兄ちゃんありがとうと抱きついてきた。
すると寛太が、もう少ししたら、もっと良い暮らしができるから期待して待っ
てろと言い、詳しい事は金ができてから話すと言った。そんな、うれしい新年会
を終えて幸夫は帰っていった。
その後、寛太は1978年1月にトヨタ株365円で1万株365万円で、
ソニー株を615円2万株で1230万円で買い残金が238万円となった。
また、英語の勉強、特に話す、英会話の勉強を中心に始めた。株の方は四季報
の見方、連結貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書、有価証券報告
書の見方を学んだ。5~7月の日曜日、北海道大学の一般人向け教養講座1クー
ル10回の最終日7月25日の「君はいかにして生きるべきか」を聴講にしに行
った。その後、近くの喫茶店で、感想を聞くと、賢い人は、すごいね。学問って
本当に奥が深いねと、終始、感動しているようだった。また、次の講座の予約が
取れたら、また来ようと良い、帰っていった。その後も8,9,10、11月も
勉強を続け寛太は簡単な日常英会話をマスターした。投資の方もPER、PBR、
ROE、キャッシュフロー、フリーキャッシュフローも理解していった。
1978年が終わり1979年が明け、1979年のイラン革命によりイラン
での石油生産が中断したため、イランから大量の原油を購入していた日本は需給
が逼迫した。また1978年末にOPECが「翌1979年より原油価格を4段
階に分けて計14.5%値上げする」ことを決定し原油価格が上昇。第1次石油危
機並に原油価格が高騰した。第一次オイルショックの経験から、省エネルギー政
策の浸透(深夜のテレビ番組放送の自粛や第1次同様のガソリンスタンドの日曜
祝日休業などが行われた)これにより原子力や風力、太陽光など非石油エネルギ
ーの活用の模索、また省エネルギー技術の研究開発への促進の契機ともなった。
寛太は、その後も勉強を継続して化学、物理、文学の勉強もしていった。
そうして1980年を迎えた。この年はモスクワオリンピックが開催されたが、
前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、
集団ボイコットという事態に至った。日本、アメリカなど67ヶ国のIOC加盟
国が不参加、ボイコットを表明した。
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