第15話:コンビニの将来性に賭ける

 1980年の大きな出来事はイランイラク戦争開始、イラクの奇襲1980年

9月22日未明、イラク軍が全面攻撃、イランの10の空軍基地を爆撃、イラン

軍が迎撃するという形で戦争は始まり、翌日、イラクは両国の644kmに渡る

国境線を越え三方向から地上軍を侵攻。南部戦線ではフーゼスターン州に橋頭堡

を確保しシャッタルアラブ川流域のアーバーダーンやホラムシャハルを包囲する

目的だった。1980年は、こんな激動の1年だった。


 この年1980年8月に米国のセブンイレブン、朝7時から、夜11時までの

営業している便利な店・コンビニエンス・ストアーが日本に上陸して、株を上場

すると言う情報が入り、この新しい業態の店に興味を持った幸夫は証券会社から

資料を取り寄せたり、直接証券会社に出向いて、話を聞き、この会社は個性的で

当たればでかいと思い、その後、株価を注視して買い場を探していた。1981

年の株式市場の大発会(初日)で寛太は108円で1万株、108万円で買い指

値を入れてセブンイレブン株を買い、残金は307万円になった。


 嵐山家では王子製紙に務めている寛太の弟の二郎が、同じ職場に勤める2才年

下の池田益子さんと1980年10月に結婚式を苫小牧市内であげた。その時に

益子さんは妊娠6ヶ月の身重であり、いわゆる、できちゃった婚のはしりだった。

 その後1981年が明け嵐山家の新年会に行った。長女の和子は苫小牧東高校で

、国語の先生をめて、いろんな経験の毎日だと話していた。


 また北海道大学医学部の良三が24才になり今年、研修医になる事になるが、

内科系に行くか外科系に行くか、悩んでいると言い、最前線の医者になりたい

と考えれば内科系であり自分が診察して何科に行くべきかを知らせる医者に

なりたいと思ったのであり内科を目指すべきかと考えていると話してくれた。

医者になって多くの人命を救うとしたら外科より内科かも知れないと考えた。

その後、やはり、内科の研修医になることを決心したと連絡が入り、4月に

内科研修医として北海道大学付属病院で研修を始めた様だ。また1981年

4月26日二郎に長女、嵐山比奈子が誕生した。


 この年も冬場の時化が激しく、何日も漁に出られず、漁協の仕事もなく、

幸夫の家で英語の本を読んだり、小説を読んだりしていた。3月頃から毎日、

漁に出られるようになり、市場も食堂も活気が出てきた。寛太は4月も、

忙しく働いていた。


 この頃からトヨタとソニー株が上昇して来たので売値を検討し、トヨタ千円、

ソニー2650円の売り指値を入れ、数日後、売れ2700万円の儲けで残金

が2977万円になった。

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