第12話:嵐山家の子供達の将来3

 やがて1976年を迎えロッキード事件が2月5日に米国で発覚して戦後最大

の汚職事件となり7月には田中角栄元首相が逮捕される事態となった。この年の

5月に幸夫が寛太を家に呼び、お前も22才になったが、高校の勉強をしないか

と言うと、この年で高校へ行けと言うのですかと聞き返すと今、ラジオ高校講座

というものをやっているから土曜日もやってるし全教科受ける必要もないんだと

言い、また録音しておいて勉強する事もできるとNHK高校講座の雑誌を見せて

くれた。良かったらタイマー録音できるカセットテープレコーダーで授業を録音

してやるから始めてみないかと言った。NHK高校講座の雑誌を貸してくれます

かと言うので渡すと考えてからに返事すると言うので了解した。


 翌週の日曜に寛太がやってきて鉛筆で丸した授業を受けたいと言い、もし幸夫

さんが留守録でとっておいたら、それを聞きながら勉強しますと言ったので録音

したカセット渡す約束をし家で勉強するのが嫌だったら休みの日、ここへ来て

勉強しても良いと言い、もしわからない所があれば、言ってくれ、多分、

教えられると思うと話した。


 英語1、ベーシック数学、数学Ⅱ、数学、理科、地理、日本史、物理、基礎

、国語に印がついていたので録音し、最近、嵐山家の子供達は個々に出かける様に

なったので夏休みの旅行は取りやめた。カセットに各教科の単元を録音したもの

ができはじめて、海がしけて仕事のない時、休祭日に寛太が頻繁に幸夫の家に

来て勉強し始め、9月、10月、11月、1976年12月になり1977年

を迎えた。


 新年の挨拶に幸夫が嵐山家を訪ねた時、長女の和子に北大を出たら次は何する

のと聞くと私は既に大学で教職課程を取っているので卒業した後、研修を受け

ながら7月の教員採用試験に合格すれば道内の高校の教師になれると言った。

 ですから、最短で今年の7月に試験に合格する目標で勉強していると言った。


 良三には医学部での状況を聞くと医者になるには6年過ぎて24才で研修医に

なり2年間の研修期間、病院で研修を受け、26才になって自分の希望する専門

の科(内科、外科、整形外科・・)の医者になって病院で実地訓練を受けて腕を

磨くことになるので、まだまだですと笑った。


 1,2月と荒れた日々が続き寛太は幸夫の家に来て高校講座のカセットを聴き

ながら寝そうになると起きろと幸夫に怒られながらも地道に勉強していった。母

の安江が家に帰ってこない寛太を不思議に思い、そっと後をつけ、幸夫の家に入

るのを見て幸夫の家をノックをし入ってきた。


 そこには、こたつに寝てる寛太がいて、幸夫は、そっとして起こさない様にし

て安江に通信高校講座の事を話すと声を上げずに涙をぽろぽろながして、そんな

ことしてたのと驚いた。小さな声で、あの子は昔から計算が早く人との話しもす

ぐに理解する賢い子だったので高校に行かないと言ったときには、本当に可哀想

な事をしたと思ったと話してくれた。寛太が起きる前に帰るからと言って、

そっと部屋を出ていった。

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