第11話:嵐山家の子供達の将来2

今年は嵐の日が多く、外に出られない日が続き、やがて1995年を迎え、新

年の挨拶に行き、お餅と簡単なおせち料理をご馳走になった。和子も良三も札幌

から帰ってきて、末っ子の好恵が和子に、お姉ちゃん、休みの日に札幌に行って

言いといい、一緒にショッピングや、洋服屋を見に行かないかと言うと、札幌に

来る日を前もって言ってくれれば2時間位つき合ってあげると言った。じゃー、

そのうち電話するよと言い良三の方はと言えば大学の勉強と家庭教師のアルバイ

トで忙しく、今年初めて里帰りしたと言った。そして勉強に疲れた時は広い大学

のキャンパスの緑の中を散歩すると、いろんなアイディが湧いてきて良い環境だ

と喜んでいた。


 みんなの元気な姿を見て、また今年も宜しくと言って幸夫は嵐山家を後にした。

 3月に好恵が苫前商業高校を受験して合格し、その知らせを聞いて幸夫が嵐山

家を訪ねてきて合格の祝いを言って何か記念になるものを買ってやるから母さん

と一緒に苫小牧の町に買いに行こう誘い、家を出て2時間位で帰ってきて素敵な

冬コートを買ってもらい好恵が上機嫌で帰ってきて、それを着て、ぐるっとモデ

ルの様にまわって見せると安江が似合ってるよ可愛いよと言うと男連中は、興味

なさそうに見ていた。嵐山家の男って何も言わない優しくない男ばかりだと言う

ので幸夫が素敵だよ。最高だよと言うと、ありがとうと微笑んだ。少しして帰る

時に好恵と母の安江が、こんな高いもの買ってもらってありがとうねと言った。


 その後、好恵は商業高校の帰りに毎日の様に町中の洋品店のウインドウショッ

ピングを欠かさないようで、お得なセールの情報を嵐山家の連中に教えていた。

 その後、好恵が高速バスで札幌に出かけ和子とショッピングして、たまに安江

も好恵と一緒に高速バスで札幌へ出る様になった。今年の夏休みは7月27日、

札幌の先、小樽に行ってみる計画を立て、その出発当日、幸夫が安江と寛太と好

恵と二郎と一緒に朝早い電車で小樽へ向け出発し、2時間半かけて小樽に着くと

和子と良三が小樽の駅で待っていて、運河沿いを散歩して、硝子工芸の店を見て

回り昼は有名な寿司屋に入り昼食をとった。天狗山に登り眼下に広がる雄大な海

を眺めたりした。旧日本銀行や名所、旧跡が多い素敵な所だった。夕飯用に、

海産物を南樽市場で干物を買って帰った。9月、10月と涼しい時期を過ぎ、

寒くなって来た。


 株の方では1973年10月に買ったソニー株が上昇してきて1975年11月

に1400円で売り利益が546万円、残金が673万円となった。


 1975年は南ベトナムの首都、サイゴンが陥落して、ベトナム戦争が

終わった。陥落直前に米兵や南ベトナム高官をのせたと思われるヘリコプター

が逃げるように飛び立ったのが思い出されアメリカの衰退を象徴している

かの様であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る