第10話:嵐山家の子供達の将来1

 寛太が俺も株で儲け始めたので何とかなるよと言い、最後に良三が、もし万が

一の時は、お願いしますと幸夫に頭を下げた。よし、わかった頑張って北海道大学

の医学部に入れと激励した。今年は良三の受験のこともあって夏休みの旅行は

新冠のサラブレッド牧場に日帰りで行く事にしたが、それでも安江と寛太と好恵

と二郎と幸夫の5人で出かけて楽しんだ。


 その後、寛太は10月にソニー株を1600円で売り、儲けが713万円とな

り1973年中に残金が1041万円となった。その年の12月、再びトヨタ株

が下げてきて155円で4万株を620万円で買え、残金421万円となった。


 二郎も昨年入社した王子製紙で工場の保守点検の仕事について上司に可愛がら

れている話を聞いて安心した。涼しくなったと思うと急に寒くなり年末が駆け足

でやってきて、1973年が終わり、1974年を迎えた。


 今年は何と言っても嵐山家の三男・良三の北海道大学医学部の受験の年。

 良三は体調管理に気をつけ風邪を引かない様にコンディションを整えながら受

験の最終調整に入り、2月の受験を終え帰って来て母の安江が、どうだったと聞

くと問題なかったとクールに言い、その言葉通り3月に合格の発表が届いた。

 この合格の話は苫小牧東高校でも珍しい様で、近所で評判になった様だ。

 貧しい漁師の息子が北海道大学医学部に受かったと漁協でも、いろんなものを

差入れにもってきてくれる人が増えて非常に助かった。数日後、幸夫が嵐山家に、

すき焼き肉を合格祝いにもってきた。そして今日は合格祝いの品物はもってこな

かったと言い良三に何が欲しいと聞くと格好いい防寒コートが欲しいと言うので、

今週日曜に苫小牧の町に見に行こうと言い、数日後、気に入った防寒コートが見

つかり、早速、良三が着て帰ってきた。良三が幸夫にお礼を言って頑張って良い

医者になって、ここに戻ってきて病院で働くよと言った。それを聞いて、そうだ、

この漁村の守り神になってくれと言われると、良三は、わかった、頑張るよと、

みんなに宣言した。


 来週に札幌に行き学生寮か下宿かアパートを探しにいくと言い、この年は昨年、

1973年のオイルショックで石油の値段が上がり日本中に不景気の風が吹き荒れ

、1974年も不景気が続き、東京では学生運動の過激派による三菱重工ビル

爆破事件など暗い年になり、ベトナム戦争の米国の敗戦が濃厚になりつつあり、

ベトナム反戦の活動も活発になっていた。


 今年の嵐山家の夏の家族旅行は7月29日に札幌に出かけ藻岩山や北海道神宮、

円山動物園を散策して歩き、良三は大学の寮に入り札幌市内で家庭教師を掛け持

ちして学校の勉強とアルバイトに忙しい日々を送っていた。


 夏休みを過ぎて秋の紅葉、寒い風、気がつけば10月。株の方ではソニー株が

安くなり1974年10月に490円6千株で294万円で買い残金が

127万円となった。


 嵐山家の一番末っ子の次女好恵は、料理、裁縫が好きで、母、安江の手伝いを

していて高校は苫小牧の商業高校を目指して将来は服飾・デザインの仕事で東京

へ出たいと夢を見ていた。

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