第9話:札幌旅行と良三が北大・医学部へ!

 その後、大通り公園から宿のある中島公園まで歩いて行きホテルにチェック

インし3部屋に別れ買ってきた夕飯を食べたら散歩で疲れたのか、すぐに寝に

ついた。翌朝、安江は昨日教えてもらった和子の下宿先の商店に行き店の人に

宜しくお願いしますと挨拶して和子と別れて札幌駅から苫小牧行きの電車で

午後3時に苫小牧について嵐山家の人と幸夫が別れて家に帰った。


 寛太の話では来年、苫小牧工業高校を卒業する二郎が夏休み就職活動の一環と

して、希望する企業、夏休みのアルバイトを始めたと聞いた。その後、二郎の第

一希望が王子製紙で第二希望が日本製紙だと教えてくれ8月28日に幸夫が嵐山

家を訪問して、二郎に、その後の状況を聞くと王子製紙が家からも近くて通いや

すいと言った。アルバイトを通じて学校の先輩とパイプを作り真面目に働いてい

たので入れそうな気がすると話してくれた。しばらくして1973年を迎えた。


 次郎の言葉通り3月に念願の王子製紙に就職する事が決まり就職祝いにコロッケ

、メンチ、ハムカツをいっぱい持参して幸夫が嵐山家を訪ね、夕飯を共にとって

就職を祝い幸夫が二郎に小さな包みを渡した。空けて良いと聞くの構わないよと

言うと広げた袋の箱の中には万年筆が入っていた。これ高い万年筆だねと喜んで

くれた。帰り際に二郎が俺、頑張って母ちゃんに楽してもらうようにすると言

ったので頼んだとぞ頑張れよと二郎の頭をなでて帰っていった。その後、良三は

苫小牧東高校に合格して数学が得意で成績は主席であり将来、楽しみだった。


 寛太が1970年に買った株が1973年になり上昇してきた。4月に

トヨタ株を320円で売り263万円の利益を手にし残金が328万円となった。


 5月の連休に寛太と安江と良三が幸夫の所を訪ねてきて、ちょっと相談が

あってきたと言った。相談とはと聞くと良三から話せと安江が言うと話し始めた。

 昔の事だが親父が亡くなった1968年4月20日、俺が10才の時、親父の

死を目のあたりにみて、なんて惨めな死に方なんだと、悔しくて仕方がなかった

と言い、その後、診療所の先生が来て死亡の確認をして救急車で大きな病院へ運

ばれ死因を調べ急性心筋梗塞による死亡だとわかり診療所の先生が事務的に死亡

診断書をもってきて確認のハンコを押してくれと言った。これを見ていて無性

に腹が立ったと言い、都会なら身体の具合が少しでも悪ければ医者に行き病気を

診断してもらい、薬をもらい、生活指導も受けられ、急死することも稀だ。


 しかし、こんな田舎の漁港では多少無理しても漁には出なくて行けない検診も

する人は、ほとんどいない。具合が悪ければ少し寝てろと言うだけ診療所も遠い。

 死んだ時さえ事務的に診療所の先生は診ようともせず、機械的に大きな病院に

検視を任せ自分は死亡診断書にハンコをもらいに来るだけ、あれなら馬鹿でもで

きる。こんな差別は許せねえと思ったと言い、俺は、こんな理不尽な医療的差別

を無くしていきたい。そのために北海道大学の医学部に入りたいときっぱりと言

った。そのためには奨学金をもらってでも行きたいと力強く言った。



 これには、さすがの幸夫も驚いた。良三は苫小牧東高で主席の成績で多分、入

れるし奨学金ももらえると言ったが、もし金が足りない時には援助して欲しいと

言い、幸夫はこの話を聞いて、何も言えず、わかったと言うしかなかった。

 良三は寛太みたいに思った事をすぐ言う男ではないと思っていたが、こんなに

冷静にみる奴だとは想像もしていなかった。

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