五位鷺【中】

 慶長四年。

 於督自身だけでなく周囲も驚き大いに動揺したのだが、前年身籠もった事が発覚した於督は、その年如月に無事男児を出産した。


 於督にとっては初めての男児であり、今現在の夫との間に出来た、初めての子だった。


 其の前年に太閤は病で歿しており、再びきな臭い空気が伏見だけでなく国中に充満していると承知していたが、於督はあくまでも己の事情と幸福で一杯一杯な状態で、豊家がどうなろうが知った事ではない、と思っていた。


 弟も既に太閤の養女扱いで嫁いで来た妻との間に姫を設けており、豊家の若君との許婚の約束さえなければ、我が子の嫁に欲しかったのに、などと夫相手に軽口を言ったりしたが、夫は最初冗談とは思わず吃驚仰天したようで、とても愛らしい貌をして彼女を笑わせた。


 日に日に夫と婚家への愛着は深まって来ているのを自覚していたものの、それでも於督の内には確かに父の血が流れている。


 無条件に婚家を支持する心算は微塵も無かったし、己がいる以上、婚家と実家との関係を悪化させたり、最悪の事態ー手切れや敵対する立場に立つなどーに至らせる気は無い。


 何としてでもー未だ心情的には豊家の恩に報いようとー豊家の若君側にある夫の忠誠心を父と実家に向けねばならない。

 それが己に課せられた務めであるだけでなく、於督自身が夫や子達と共に今後も幸せに安楽に暮らして行く為の唯一の手立てと信じていた。


 父と徳川家を敵視する者は多く、父が不当に責められ攻撃されているような気がして、於督はー心配はしていないもののー卑怯な振る舞いをする輩を許せず、夫に対して文句を言う、という事が多くなっていた。


 その度に夫が申し訳無さそうな目をすると気付き慌てて於督も口を噤むのだが、元々、父や弟と違って、姉共々はっきり口をきく質である於督は、面白く無い事が起きると又誡めや憚りを忘れてつい、余計な事を言ってしまうのだ。


「……申し訳ありません。旦那様。私の事、とんでもなく煩く、生意気な事を言うおなごと、思っておられるでしょう?」

 気になってある夜謝ってみたが、これにも夫は驚いた目をした後すぐ微かに笑って頭を振った。


「いや。督は気持ち良いおなごだ。気性も真っ直ぐで竹を割ったようであるな。……男ならば良い武将になったであろうに」

「まぁ」

 父にも以前言われたような事を夫が言うのに、つい唇を尖らせたが、夫が笑って唇で触れてくるのにどうでも良くなり抱き着いてその夜も終わる。


 とても幸せでーこのままずっと、このような日々が続くとー続いて欲しいと願っていたのだが。


 父が国政の代行者として会津討伐に出征する事となり、当然、夫も赴く事となった。

 父と違って、裏の事情をさり気なく示唆してくれる事も多い弟に相談してみたかったが、弟も忙しいらしくなかなか捕まらず、結局、やっと掴まり立ちが出来るようになった幼い息子共々、父や弟達、夫が率いる一団を見送る。


(またも戦が起きるなど)


 胸が締め付けられるような痛みを感じはしたが、今回は於督は攻撃される立場にはない。

 それどころか、婚家と実家が対立している訳でもないのだから、と彼女は己を慰め、大切な人々の武運、というよりも無事を願い、祈り続けたのだが。


 遠い所で起きた小火としか意識していなかったのが、自分達の周辺で激しく燃え盛る炎となったとは、直ぐに於督だけでなく他家の者達、伏見、いや畿内に住まう者達は皆思い知ったことだろう。


 上杉討伐軍が去った後、石田治部少輔が集めたという軍が畿内を席巻したのだ。

 於督の父の不倶戴天の敵などと面白可笑しく京人等は喋り散らしているという、父の政敵であった男、父に隠居に追い込まれていた豊家の忠臣だ。


 邸の者達に門を閉じ守備を固めるよう反射的に命じてから、於督は徳川邸は大丈夫だろうかとつい実家のことを思ったが、良く良く考えてみれば、父の側室達は伏見城に入っているし、世嗣の弟の妻子はとうに江戸へ下っている。


(……やはり以前から予測しておられたのか)

 相変わらず忌々しく感じる父や弟等の周到さ、抜け目の無さではあるが、味方であるのだから、頼もしい事この上ないと思うべきなのだろう。


(それにしても。事前に私にも一言あっても良いであろうに)

 不快ではあったが、父と弟達の考えや行動は完全に理に適っていて首尾一貫、一種、痛快な感すらある。


(父上達は良い。問題は輝政様だわ。……輝政様の御心を迷わせたりしないよう、私達が万が一にも人質になっては、ならぬ)


 夫の輝政も又豊家の忠臣だ。

 今は、上杉討伐ということで父の指図に従ってくれているが、朋輩である石田治部少輔が挙兵したと知れば、どうするか。


 石田治部少輔が豊家の為、若君の為と声高に主張しているのを聞き流す事が出来るのか、あるいは偽りと断じて父に味方してくれるかどうか、於督には分からなかった。


 輝政が他の武将等と同じく同輩の石田治部少輔を嫌っており、一度は殺そうと試みた事を知っているが、若君の為という錦の御旗に抗えるのかどうか。


 於督は夫の男児を産みはしたものの、嫡男は既に前妻が産んでいて立派に成長し、夫と共に会津へ向かっている。

 そして夫が、於督故に父の側に立ってくれる程に、己に執着しているとは、於督には到底思えなかった。


『敵』が人質を取るらしいという噂を小者が仕入れて来たのに、於督はすぐに警備を強化した。

 守る者などいない伏見大坂双方の徳川邸より、馬や武器、糧食ごと家来衆を引っ張ってきて邸に入れたのだ。


 父から事前に指図が無かったのはつまりは己の裁量で何とかせよという意味と解釈し、無論使える手蔓を有効活用した訳だ。


 いざとなれば一合戦と気合いを入れている時に、登城命令が届いたかと思うと、細川邸から火の手が上がったという報せがあり、防火準備をしている所に、今度は細川家の奥方が石田方に下るのを嫌い自害したとの報せが届く。


 無論、於督自身も人質になるような辱めを受ける位ならば自害すべしという考えの持ち主であるが、それでも頬を叩かれたような衝撃を感じた。


(そうだ。私は徳川家康の娘なのだ。……決して敵の手に落ちる訳にはいかぬ)


 次には覚悟を改めて己に言い聞かせ、薙刀を持って来させる。

 侍女達だけでなく下働きの者達迄皆に、自らを守る為武装するよう命じた。


 その夜は邸中ーおそらく他家においてもー殺気と緊迫感が漲り、それこそ戦前夜の如き空気が充ちていたが。

 何事も無く、敵の来襲無く、城よりの伝達も無く過ぎた翌朝、大名家の子女の登城命令は撤回されたとの報が届いた。


 強行すれば他家の者達も皆、細川家の妻女のように自害も辞さずという気配を敵方は察し、怖じけたか、無駄無用な策と覚ったのだろう。

 他に無事大坂や伏見から逃げ、領国へ向かった者達も居たと聞く。


 細川家の奥方には気の毒で申し訳ないが、於督には非常に幸先良く喜ばしい出来事と思えた。


(父上が勝つ。……決して徳川は負けるものか!)


 完全に父親に服し、同意している訳ではないが、それでも父が常に戦い続けているひとである事は否めない。

 父の不屈の精神、何があろうと強かに生き残ろうとするしぶとさ、能力は、何よりも信じる事が出来た。


(輝政様もどうか、父上の味方になって下さいますように。……もう二度と、夫が父上に負ける所など見たくない)


 警戒は緩めぬようにと家臣等に命じてから、於督は仏間で懸命に祈り続けた。

 父の勝利ではなく、夫が己を選び、無事己の許へ帰って来てくれる事を。


 *


 後から思い返せば、実際の戦は味方側の大勝利であり、政争においては父の一人勝ちだった。


 弟が一端伏見の徳川邸に入り落城した城の調査を行うと聞き、矢も楯もたまらず於督は弟の元を訪れた。

 弟が徳川主軍を総大将として率いながらも関ヶ原の大戦に間に合わなかったという、とんでもない失態話は、既に於督だけでなく上方どころか国中に知れ渡っていただろう。


「姉上。お久し振りです。ご健勝そうで何よりです」

 だが気落ちし憔悴しているのではないかと思っていた弟は、全く常と変わらぬ様子で彼女を迎えた。

 幾分拍子抜けしつつ、於督も応じる。


「そなたこそ。随分暢気ではないの。……大丈夫なの?」

「ええ。少々腹具合は悪くなりましたが。野宿続きでしたからね。もう平気です」

「……」


 強がっているだけだろうかと疑ったが、於督には弟の本心は読み取れなかった。


「ところで姉上。もしや私を案じて駆け付けて来て下さったのでしょうか。……困りましたね」

「別に困ることは」

「私と姉上は同じ父を持つ姉弟ですとあれ程申し上げましたのに」

「阿呆!」


 どうやら空元気という訳ではないと判断して、於督は常通り、弟を叱り飛ばした。


「ああ。相変わらずお元気だ。安堵致しました。父上にもお伝えしておきましょう」

「ええ。そうして」


 父と弟の関係はどうやら噂で出回っている程悪くはないと理解して、於督は内心安堵の吐息を吐いていた。

 家中で揉め事が起きては、ようやく安定に向かうと思われる世の情勢迄もが覆されてしまうだろう。

 そうすれば、婚家も夫も子達も巻き添えを食うのは必死だ。


「ところで私の所へいらしていて宜しいのでしょうか?そろそろ義兄上も到着される筈ですが」

「え。そうなの?」

「ええ。国許に戻る前に妻子を迎えに行きたいと父上に申し出ておられました」


 良かったですね、などと冷やかされるのに表向きはむっとした貌を作りつつ、心が軽くなると同時に胸の鼓動が高まってくるのを感じる。


「国許に戻られる前に一度お邪魔しても良いですか?甥と会っておきたいので」

「ええ。構わなくてよ」

 弟の配慮に感謝しつつ横柄に応じた姉に、秀忠はくすりと小さく可笑しそうに笑った。


 幼い頃は愛らしかったのに全く喰えない男に育ってしまったものだと思いながら、しかし未だ未だ若造という年頃の弟にやられっぱなしというのは悔しくて、於督は笑顔を取り繕い、攻撃を仕掛けてみた。


「秀忠殿も早く国許へ帰れると良いわねぇ。きっと北の方と娘達が首を長くして待っているわよ。ああ、でも姫達はまだ幼いから、父親の顔なんて忘れてしまっているかも」

「……まさか。姫達は幼くとも賢く素直で優しい子等ですから、私のことは確り覚えております」


 文もくれましたし、などと判読不明な絵と文字が描かれた怪文書を懐から取り出して見せるのに、於督は苦笑を堪えた。

 年若い弟が正妻に生ませた三人の姫達を目に入れても痛くない程可愛がっているとは、一門の間に既に知れ渡っている話だ。


「……どうかしらねぇ?お千は四歳だったわね。もう人見知りする頃よね。……貴男が戻っても『知らないおじちゃんなんか嫌い!』とか言って寄りつかないわよ、きっと」

「左様な事はございません!」

「下の子達は、二歳と一歳でしょう?これはもう完全に覚えていないっていうより、父親がいる事も認識していない年頃よ。あ~らあら可哀想♪」

「……」

「ほほほほほっ見物だわ。私も貴男が戻る頃、江戸へ行こうかしら♪」


 存分に弟をからかった後で、父や弟達の消息、今後の予定を確かめてから、於督は婚家へ戻った。

 弟が教えてくれた通り、既に邸内に慌ただしい空気が充ちているのに、部屋に戻って手早く身支度を整えている内に、聞き覚えのある足音が聞こえて来た。


(良かった。これで……何もかも、という訳ではないけれど一安心だわ)


 無事己の許へ戻って来た男の腕の中で於督はそう今回の戦については判定を下した。


 一先ず、己の夫となった男は、迷わず己と婚家の側に付いてくれた。

 父が期待した役割を自分が無事果たせた事は明らかであったし、己の夫が父や弟達を助けてくれたのだと思うと尚更嬉しく、自分を抱いてくれる男が有り難かった。


「共に、領国へ下ってくれるか?」

 恐る恐るという風に訊ねて来た夫に於督は心からの笑顔を向けた。


 *


 実際に於督が夫や家臣等と共に領国へ赴いたのは、新たに池田家が姫路に加増移封された後、つまりは姫路城に入った。

 嬉しそうな夫から、他の大名等の新たな配置を聞き出して、於督は成る程、などと思いはしたが黙っておいた。

 夫が素直に加増を喜んでいるのだから、余計な心配をさせることはないだろう、と判断したのだ。


(まだまだ私の役割は終わっていないという事なのね。……全く人使いの荒い男達だこと)


 少々忌々しくは感じたものの、父を最早十代の小娘の頃のように恨めしく思ってはいない。

 寧ろ己を信頼してくれている証と、前向きに受け止めるようにしている。

 そうでなければ徳川家の娘などやっていられないのだ。


「徳川の家督を継ぐのは秀忠殿と定まっているのか」

 夫の二人目の子を身籠もっている時に、夫が唐突に質問してきたのに、於督は内心ヒヤリとしつつ、穏やかな笑みを返した。

 少し前に大坂辺りから文が来たとは、実家から付き従って来た侍女から報告を受けている。


「ええ。無論です。……秀忠殿は幼い頃より、父より格別の傅育を受けておりまする。他の弟達とは別格でございますから」

「……しかし、武勇では秀康殿や忠吉殿が先んじていると専らの噂だが」

「徳川宗主には、武勇だけではなれませぬよ。それは秀康も忠吉も承知しております。愚かな考えを抱けば我が身に災いが降り掛かってくるとも分かっている筈。御懸念は無用にございます」

「……そうか」


 夫が気圧されたように黙るのを確認してから、於督は父に文を出そうと決めた。

 彼女も当然、徳川家中内は外から見る程一致団結している訳ではないと知っている。

 だが外様大名等がそのように『噂』するとなると、見過ごしてはおけないだろう。

 そこには、何らかの、何者かの意図が働いていると考えた方が良い。


 それから程無くして、父が家臣達及び一部側近の大名等の前で、己の跡継ぎを正式に三男の秀忠に定めると宣言した、と聞いた。


 更に、二人目の子も男児であったのに、於督は驚くと同時に安堵と喜びを覚えたものの。

 前夫との娘がーこれは夫の前妻の息子の正妻として迎えられたのだがーこの年、亡くなってしまい、彼女にとっては悲喜こもごもという年であった。


(憐れな姫達じゃ。……国を、父を亡くしただけでなく二人共このように早くに儚くなってしまうとは)


 娘を亡くした於督を夫も憐れに思ったのだろう、常よりも優しく暖かな気遣いを示してくれるのに、於督は随分と慰められたし、短い間ではあったが娘の夫でもあった継子が娘を惜しんでくれたのも有り難かった。


(姫達の代わり、という訳ではないが……この子達を私は大切に育てて……守ってやらねばならぬ)


 幼い息子達を眺めながら何度も心に誓い、京と江戸の情勢に常に注意を向け続けた。

 己が父に忠誠を示す事で、婚家と夫や子達を守る事が出来るのだと確信している。


 父が朝廷より征夷大将軍の位を授かると事前に聞いて、流石に豊家の臣として動揺を示した夫にも、於督は先ずは穏やかに夫を力付け宥めた。


「本当に内府様には謀叛の心は無いのであろうな?……もしや若君を」

「まさか。父は確かに、一筋縄ではいかぬ御人ですが。一端交わした約定は必ず守ります。……盟約の為に、今迄己の妻や子をも殺して来たひとなのですよ」

「それは」

 夫がぎょっとして息を呑むのに、於督は優しく微笑むだけでなく夫の肩を撫でた。


「父は亡き太閤殿下と約束しておられます。そうでございましょう?……秀頼君が成人する迄お守りする、と」

「あ、ああ。そうだ」

「ならば。何も心配はいりません。一度言葉として残し、それを多くの者が耳にした以上、決して父には裏切る事は出来ぬのです。喩えそうしたくとも、一端裏切ってしまえば、今迄の御自分の生き方を無為にしてしまい、又大名諸候のご信頼を失うことになります故、出来ませぬ」


 於督がはっきり言い切ったのに、夫は安堵し、舅の将軍職拝命の為に上洛した。

 夫に伝えた言葉は、やがて夫が懇意にしている外様大名にも伝わって行くだろう。


 更に弟が無事家督を継いだだけでなく将軍職まで引き継いだ年には、江戸へ下向したいと思っていたのだが、その頃於督は立て続けに夫の子を身籠もり出産していた為、諦めた。

 体力には自信はあるものの、江戸迄の道中、延々と乗り物に揺られ続けるなど、もしも子に影響があればと考えると怖ろしくて出来なかった。


 もう二度と、子に先立たれるような目には遭いたくないというのが本音だ。


 弟の妻ー弟が征夷大将軍職を継いだと同時に、将軍家御台所と呼ばれるようになっているーからは、こまめに便りと進物が届けられ、江戸の様子と香を於督は感じ取ってはいるものの、弟の誉れを直接言祝いでやれなかったのは、悔やまれてならなかった。


 於督が念願を漸く果たせたのは、婚家が他の大名達と同様、江戸城の普請に駆り出された際で、産後ではあったものの無理矢理付いていった。

 夫はぎりぎり迄反対していたものの、於督がこの年亡くなった母を江戸の菩提寺に弔いたいとの主張を受け入れてくれた。


 無論半ばは口実に過ぎないが、母の位牌を江戸城にも置いてやりたいという気持ちは持っている。


 曲がりなりにも父の側室であったのだから、本領においても祀るのが本来だ。

 殆どを上方で暮らした後年を母がどのように感じ何を思っていたのか、於督には分からないが、若い側室等が父を取り囲んでいるのを眺めているのは寂しかっただろうし、時に辛く口惜しい思いもしたに違いない。


 母にとっては己が唯一人の娘なのだから、出来る限りの事をしてやりたかった。


 普請中ということで、徳川家の姫とはいえ、城内に泊まり込む事は出来なかったが、それ程懐かしさも執着も無い城だ。

 生まれ育った地は、彼女にとってあくまでも三河だった。


 登城して夫は他の大名諸侯も居る表御殿に留まったが、於督は奥殿内へ直接案内された。


 導かれた先には、大勢の侍女達に囲まれた幼い子達が待っていた。

 その身なりだけでなく年齢などから将軍家、つまりは弟の子達である。


(御台所は)


 何かと噂は聞いているものの、於督が徳川家を出てから嫁いで来た義妹だ。

 文を交わしてはいても、未だ直接顔を合わせた事は無かった。


(まだ来ていないのか)


 何となく安堵して、於督は室内へ堂々と入場した。

 身分としては、己が弟だけでなく義妹よりもずっと低く礼を尽くさねばならない立場とは承知している。

 だが弟と、私的な場において会う場合は、姉弟という関係は何時だろうと変わらないと確信しているし、弟の妻も同様と考えている。


 だが相手は豊家の養女であった訳で、当然、自尊心も誇りも自負心も高い女人だろうから、気安い口を利いたり弟妹達に対するように接するのは難しいに違いないと思ったりもする。


 要は弟の妻に対する態度を、於督は未だ決めかねていたのだ。


 だが現状、義妹が義姉である於督を待っていた訳ではなく、おそらく於督の到着を待ってから現れる心算であるということは、表向きの身分及び立場を相手が重視するのが当然と考えていると推察出来る。


 となると於督が取るべき態度も決まってくるというものだ。


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