野風【下】
今度こそと辰千代は真剣に元服と初陣を願い出た。
既に早逝した弟の代わりに武蔵国を相続しているのだから、己は子供ではないと主張したのだが。
「阿呆。そちのような童に国を与えたのではない!徳川一門での所領とする為にそちの名を使っただけだ!」
などと父は無情なーだがおそらく現実的なー答えと共に、常の如く辰千代を叱り飛ばした。
元服だの初陣だのとほざく前に悪戯や乱暴を止めろという、既に聞き飽きた叱言だ。
結局、辰千代が見たことなど無い、それこそ未曾有の大軍と言うべきではないかと思う軍勢を引き連れて父や兄達は江戸を去った。
辰千代は、病弱な異母兄を留守居役とする江戸城で燻っているしか無かった。
戦の情勢は常に気になっていたし、あるいは父や兄達が苦境に陥ったら己が助けに行き、皆に己の力を示してやるのだ、とかあるいは城が敵軍に囲まれたとしても己が出陣して蹴散らしてやる、だのと夢想して日を過ごした。
そうするしか無かったのだ。
母や側室達は流石に御家存亡の危機と理解しているのだろう。
日常的な下らない諍いは止め、奥の差配役でもある阿茶局の指揮の下、女達で自警団を組織したり、神仏に味方の勝利を祈祷したりとこれ又忙しくー辰千代の目から見るとー楽しげだ。
あるいは戦というものは、皆の気分を良くし幸福にさせるものなのではないか、などと辰千代は単純に思った。
未だ戦で人が死ぬ、死んだ者は戻ってこないし二度と会えないのだ、という実感を辰千代は当然持っていない。
だが辰千代の期待や、城に住む皆達の不安に又も反して、辰千代からは遠く離れた場所で戦は終わってしまった。
父や兄達が率いる徳川軍及び諸候軍の勝利に、城中だけでなく国中がお祭り騒ぎになりはしたが、辰千代には面白くも何ともない。
戦と戦勝の昂奮が過ぎ去ってしまえば、以前と変わらぬ面白くも何ともない退屈な日々の連続だ。
母も戦時のように辰千代を常に目の届く所に置きたがるという事はなくなり、自由に駆け回ったり隠れたり木に登ったり出来るようになったのは嬉しかったが、戦に比べればつまらない。
それでも小姓等を家来や足軽に見立てて合戦ごっこをしたり、築山を城に見立てて突撃したりするのに、以前のように、ごく普通な、日々の楽しみを見出し始めた。
城の暮らしが元に戻って行っただけでなく、徳川主軍を率いる兄が戻って来ると聞いたのは、戦の翌年になってからだった。
関ヶ原に遅参した兄が敗残兵を追って九州勢ともう一戦望んでいるのではないかとまことしやかに噂する者が居たが、穏やかで物静かーと辰千代は思っているーな気性の兄は特に何も気にしていないのではないだろうか、と辰千代は考えた。
戦に遅れるなど、とんでもない恥辱と辰千代ならば感じたかもしれないが、兄が己とは違う所で違うモノを見ている人間だとは薄々勘付いている。
他家に養子に出された事で世嗣から外された更に上の異母兄や、世嗣の兄とは同母の、そして此度関ヶ原で初陣と共に先陣を飾ったという兄と異なり、江戸城に三人の娘と妻を残している兄は、普段から武張った所は見せず、生真面目に日々の務めを果たす事に意義を見出しているように見える。
辰千代は自身では勇ましく華々しく戦に出て、それこそ四兄忠吉のように手柄を立てたかったが、父が時折子等には諫めるように、どうやら世の中は戦や武人だけで成り立つものではないらしい。
(でも俺には学問など無用だ。どうせ俺は余計者でみそっかすの六男なんだから。学問なんかしたって、駄目だ。……これからも九州や、東北の大名を征伐する筈。次こそは必ず俺も戦に出る!)
そんな風に勝手に心を決め、父が戻り次第元服を再度請おうと思っていた。
戦の前に、辰千代は伊達藩主の娘と許婚の約束をー父がー交わしていたが、それも反故になるだろう。
いや、いっそ此方から詰まらぬ約束など破棄して、ちょこまかと徳川家を誤魔化し好き勝手に動き回る輩など、一気に成敗してやれば良い。
兄は予定通り戻って来て、城は完全に元通り、平和で長閑な日常を取り戻した感がした。
少なくとも兄は妻子と共に過ごし、幼い姪達は久し振りに会う父親にくっついて離れない。
戦勝祝いと機嫌伺いに辰千代と母が訪れた際も姫達が父親の膝や肩、背中にそれぞれ貼り付いているのを辰千代は軽蔑と共に眺めただけだった。
これだからおなごは役立たずだと言うのだろう。
ー心中、いや心の奥底で疼くモノがある、とは気付かぬフリ、見て見ぬフリをした。
既に辰千代は己を童ではない、と思っている。
だが辰千代が実際に元服する事が叶ったのはその翌年、慶長七年の事だった。
そしてその翌年には、なんと父家康が征夷大将軍という武門第一の位職を朝廷より頂き、それに伴って、なのか、辰千代自身、領地を加増移封された。
父と御家の誉れだけでなく自身にも措置があったと聞いた時単純に辰千代は喜んだものの、辰千代の無邪気で素直な誇らしさや嬉しさは、何時も通り、母の心ない、というより考え無しな一言に地に落とされた。
「ま。たったの十二万石!秀康殿は六十七万石、忠吉殿は五十二万石、寝たり起きたりの信吉殿ですら二十五万石ですよ!……戦に遅れた秀忠殿は、そっくり御家督と将軍職を引き継がれるというのに、そなたはたったの十二万石!しかも赤子同然の五郎太丸殿に迄、二十五万石も与えられたというのに!何故そなただけが!」
父の仕打ちよりも母の言葉の方が、辰千代の心に深く突き刺さったとは、母は気付かなかったろう。
母のこうした所が、あるいは父に遠ざけられ、辰千代共々冷ややかに遇された遠因かもしれないと考えたのは、もっと後の事だった。
父と話どころか顔や姿も滅多に見る事が叶わない状況では、自分で己の事を童と思っていなくても実際は未だ未だ幼い辰千代の心や考えは完全に母親の支配下にあった。
夏になる前、七歳の姪の千姫が大坂へ輿入れの為江戸を発った際、それを見送る者達が涙ぐんでいるのを眺めた際も、何とも思わなかった。
未だ辰千代、改め忠輝は、あくまでも己の個人的憤懣と遣り切れなさに囚われていた。
兄嫁が僅か二歳の四の姫を京極家の養女とする為、千姫の一行に加わったとは後で知ったがこれにも特に興味は覚えなかった。
所詮女子供の事、と忠輝は片付けていたのだが、その同じ女である母の考えは当然違った。
兄嫁の留守中、奥殿の局等は兄の傍に女を置こうとあの手この手を尽くしたらしいが結局果たせず、兄は臨時の男鰥な暮らしを守り、政務と残った姫の世話に明け暮れていると知って、新たな愚かしい企みを思い付いたのだ。
「そなたが秀忠殿の養子となれば良い。秀忠殿は次に将軍職を継がれる御方だが、未だ男児には恵まれておられぬ。そなたが秀忠殿の養子になれば、父上にも親孝行となろうぞ。徳川宗家を守るのじゃ」
母の拗くれた望みは、短い間にどんどんと膨れ上がり、何かと忠輝を兄に近付けようと画策するようになっていたのだが。
しかし兄嫁が戻ってきて、差程日が経たぬ内にあっさりと兄嫁が又も身籠もった際に、母の野望は当然大きくひび割れた。
それでも母は、「御新造様は女腹じゃ。今度もおなごに決まっている」などと言い散らしていたが、これも翌年裏切られる。
ようやく叶った次の世継ぎとなるべき若君の誕生に城中及び国中が喜びに湧いている時に、母と忠輝の周囲は暗く打ち沈んでいた。
「まことに……そなたは運悪い御子じゃ。何故、斯様にそなただけが、惨い目に遭わねばならぬのだろう」
母の言葉に、忠輝は心の深い所が又も傷付くのを感じたが、既に痛みは感じなかった。
母の言う通り、己は運悪く不幸な定めの下に生まれ、生きる者なのだ。
父が早々に将軍職を退き、家督と共に兄秀忠に譲り、兄が徳川家二代将軍となった際も、忠輝は己だけが蚊帳の外であったように感じた。
特に新将軍を囲んで、次兄と四兄が今後は兄弟で新将軍を盛り立てていこうと誓っている姿を傍で眺めた際は、己は何者なのだろうと改めて思った。
父だけでなく、更には新将軍となった兄だけでなく他の兄達にとっても、己は共に手を携える者では無いらしい。
破棄されることなくずるずると続いていた許婚の約定に従って、東北の外様大名の長女と祝言を挙げた時に、忠輝は少しだけ安堵した。
新たな縁を得て、己の居場所が出来たような気がしたし、実際婚姻する事で忠輝は少し己の血族等と距離を置く事が叶った。
更に越後高田藩という江戸から離れた場所の藩主に任じられたのに、ようやく徳川家という血の軛から逃れられたような気がした。
寒冷の雪深く湿った地というのは好きではなかったが、海があるだけマシだ、などと思い、豪放磊落な舅との繋がり故に一層大切に思える、だが舅と違って繊細で女らしい妻と共に新しい暮らしを愉しみ、埋没した。
少なくとも、彼自身はそうした心算だったのだ。
家老格であった大久保長安が断罪されたのも己には関係ない事と考えていたし、己の言動や遊びを、父や兄が僅かでも気に掛けるとは全く思っていなかった。
今迄自分は無視され、存在しない者も同然であったのだから、現状も今後もそれは変わらないと思い込んでいた。
兄の将軍職就任時の挨拶時に大坂へ使者として赴いた縁で、時折大坂に赴き、豊家の若君や後家と付き合っているのを、父や兄、更にはそれ以上に幕閣連中が快く思っていない、とも。
更には、妻共々、切支丹に改宗すると共に舅の勧めに従って南蛮人等を保護し、父や兄の紅毛人重視政策に逆らう形になったとも。
忠輝は、結局、何も見えておらず、何も分かっていなかった。
大坂攻めの際、最初の戦では留守居を命じられ腐ったものの、二度目の戦には喜び勇んで出陣したのは、既に自分では拘りも恨みも無く、純粋に一門の為に戦い務めを果たす、そうした心意気であったのだ。
舅のーその思惑の真が何処にあったのか、忠輝には結局最後迄分からなかったがー勧めにより攻撃を控えた事を後で父に叱責された際も何となく懐かしく感じたのを覚えている。
無論、隠居の身である父親にいい年して叱り飛ばされるなど決して心地良いものではないが、父とは叱られる以外に接触あるいは遭遇の記憶など無かったから、叱責自体を父との関わりと受け止め諦める部分が彼には在った。
父が倒れた際、他の兄弟同様、父の居城に駆け付けたというのに、己だけが最期迄父と会う事すら、その姿を眺める事すら許されなかった時に、初めて、忠輝は父が己に対して抱いていた根深く深刻な怒りと憎悪を覚ったのだ。
少なくとも自分ではそうなのだと思った。
父の死後、己の不始末と孤立を無理矢理思い知らされたが、最早全てが手遅れだった。
思えば彼の不幸は、身近に誰一人として親身に、彼の事を思って正しい忠言をしてくれる者がー肉親でも家臣でもー居なかった事、なのだろう。
兄と最後に直接対面したのは何時の事だったか。
兄将軍も又父と同様怒っているのだろうと忠輝は考えていたが、実際は少し違っていた。
弁明を願い、何度も訴えた上漸く忠輝は兄との対面叶ったが、無論、それは表御殿内であって、家族として迎えられはしなかった。
又も母が金切り声と怨嗟の声を上げるのを聞いた気がしたが、最早そんな過去の亡霊に囚われているべきではないと、自らに強く言い聞かせ、大坂で再会した、だが意外と老けてはいない兄の顔色を窺った。
とはいえ、幼い頃より兄が何を考えているかが分かった例しはない。
「……其の方、その貌だと何も分かっておらぬようだな」
兄の方は分かっているようでー更に随分と、父の生前に比べれば威厳も気迫も増した、と忠輝は心中で評する。
以前はただ優しいだけ、真面目なだけでしか無かった筈の兄が、とてつもなく怖ろしく大きい存在となって眼前に立ちはだかっていた。
(このひとこそが、化け物だったのか。今迄ずっと、身を潜め、猫を装っていた虎だったのか)
「詰まらぬ、無分別ばかりしおって。其の方は亡き父上の教えを一つも理解しておらぬようだ」
「……」
(あの人は俺には何も教えてなどくれなかった)
反射的に思った言葉を忠輝は口にしなかったが、兄が過たず彼の想いを読み取ったのは明らかだった。
「甘えるな。私だとて、父上から言葉で説明を受けた事など無いぞ。言葉など、与えられずとも分かる筈」
「左様な事、」
有り得ないという一言も飲み込む。
兄将軍にとっても、更には今や神として祀られる事となった亡き父にも無礼不躾かもしれぬと思った。
また一言の下に否定出来る程、父と兄の事を知らない。
親子兄弟といいながら、近しく過ごした事など無いのだから、と苦々しい思いに貌が歪むのを感じた。
「愚か者めが。それが其の方の罪だ」
「上様」
「徳川一門でありながら、父上の子でありながら、そなたは自ら耳を塞ぎ、目を閉じた。何故、そなたに備わった能を生かさなかった?与えられた力を無駄にしたのだ、そなたは」
「……」
兄に己を許す気が無いとだけは今回も忠輝には充分過ぎる程に理解出来た。
元々、父も兄も、肉親だからといって甘く見たり、手心を加えたりする質ではない。
寧ろ、血の繋がりがあるからこそ、見せしめの為、この兄ならば厳しく容赦しない、であろう。
「……分かっているではないか」
「……兄上」
「だから申したであろうに」
もう良い下がれ、という一言が、兄によって与えられた最後の言葉だった。
計らずも兄が己を認めてくれていたとーあるいは父も又己に期待していたのかもしれないとー気付いても、遅過ぎた。
忠輝は兄が去る前にと、ずっと心に掛かっていた事をー兄の答えなど期待せずー口にする。
「義姉上はお元気でいらっしゃいますか?」
「……」
「お千は……子が出来たと聞きました。息災で、良かった、です」
「……」
「義姉上のこと、申し訳ありませんでした。私は……決して義姉上を軽んじていた訳ではありません。ただ私は……」
「……」
「……兄上に、大切にされている義姉上と、御子達が嫉ましかった。私には無いモノを与えられていると、思って」
兄は結局そのまま立ち上がり、忠輝には一瞥すら与えず退室してしまった。
誰も居ないー兄の小姓等や側仕え達も兄に従って出て行ったー部屋で一人、忠輝は告白を続ける。
「義姉上さえ居なければ……居なくなってくれれば、私が兄上の御子になれると、母上が仰せになったのです。義姉上を害する気持ちでは無かった。ただ、邪魔なだけだった。目の前から居なくなってくれれば……兄上から愛されなくなれば良いと思っただけで」
何もかも見透かしている兄の眼差しに晒される迄、忠輝自身忘れていたー己のせいではない、と思っていたー全てが繋がり、明らかになった。
義姉がずっと父や兄達からさり気なく遠ざけられているーと母が屡々声高に主張し訴えていたー忠輝の事を案じていたと承知していた。
身重の義姉が優しい文を屡々寄越してくるのに、忠輝はただ江城の庭で遊んだ日々が懐かしいと書き送ってやっただけだ。
庭で木登りをし、木の実を採ったり蝉を捕まえたりしたと、空蝉を集めたりした、などと単なる思い出話として連ねたのを、義姉がどのように受け止め考えるか、はっきり予想出来た訳ではない。
蓋然性は非常に高いとは、本能的に察知していたが、正しいとは言えないと己を誤魔化した。
だが義姉がー木登りした訳ではなくー高い処から落ちたと聞いた時に、ひやりとしたのは確かだ。
無事であったと聞いたから、安堵したものの、微妙に失望したのを覚えている。
あの時、義姉が流産でもしてくれていたら兄の嫡男である竹千代は生まれなかったし、又男児を流してしまったことが家中に明らかになれば、妻を殊の外大切にしているーだが未だ家督を継いではいなかったー兄であっても庇いきれず遠ざけねばならなかっただろう。
そうすれば国松も生まれなかった筈、と後々屡々考えて残念にも思った。
大坂に赴き、大坂城の城主とその母親と知り合いになって、頼み事をされた際も、特に深くは考えず引き受けた。
彼自身、大坂の御母堂の主張は至極当然のものと思えたのだ。
『危急の際に、妹の身を守る者を妹の傍に置きたいのです』
作り物めいた、だが確かに美しい笑顔で優しく囁かれたのが、忠輝には物珍しく面白かった。
相手が心中で燻らせている徳川家への遺恨、父や兄への憎悪の念を忠輝は明白に感じ取っていたので。
『それに妹は竹千代君の産で死にかけた、と聞きました。これ以上の危険は冒せられません。……聞けば竹千代君は、妹が命懸けで出産したにも関わらず、病弱で何時儚くなるか分からぬ、とか。……よく考えて下さい。妹がもし、再び男児を身籠もったら……如何なりましょうや』
『妹へ、御夫君の傍から下がるよう文を書きました。妹に渡して欲しいのです。何やら秀忠殿には誤解があるらしく、私が素直に文を出しても妹の手許には届かぬようなので』
『妹がこれ以上、子を産まず、竹千代君がこのままであれば、とても徳川家の家督を継ぐ事叶いますまい。そうなれば……次は何方でしょうね。肉親である弟君が御家の為にご奉公すべきなのでは?』
『妹を支える為にも傍に人を置かせて下さい。忠輝殿の推挙であれば、誰も疑わぬでしょう。いざという時には、必ずや良きように働きまする』
蜜の如く滴る毒を、思い起こすだけで忠輝の頭脳は痺れたように、反応が鈍くなる。
忠輝としてはただ単純に、義姉に肉親からの文を手渡し、更に実家ーと考えれば良いだけの話だと、忠輝はあの際も己に言い訳したーの家人を義姉の周囲に置いただけ、だ。
別に自分は何も悪い事はしていない、と思い続けてきた。
結局、淀の御方からの文は何の役にも立たず、下女や小者も同様で、義姉は実際には国松だけでなく和姫も続けて出産したし、何時の間にか忠輝を介して江城に雇われた者達は城から居なくなっていた。
女如きに動かされ、無意味な事をしてしまった、と腹立たしく感じ、全て忘れようと決め。
越後へ赴いてからは、いや妻を娶ってからは完全に、忘れ去っていた『事実』だった。
(俺は……兄上を裏切っていた。兄上も御存知だったのだ)
その日以降、忠輝は抗うのを止めた。
幕閣等に訴状を出すのも、己を見張り束縛しようとする将軍家家中の者等を拒絶するのも止めた。
出家した癖に相変わらず声高に亡き父と将軍家に恨み言を繰り返す母を追い払い、早々に髷を落とした。
己を慕い信じてくれた妻とはとうに離縁している。
何もかもから切り離され、遠い地に唯一人で暮らすようになって、忠輝は今度こそ本当に自由になったのだと侘びしくー嬉しく感じた。
*
野に吹く風が、物悲しい笛の音のように聞こえる。
そんなことをぼんやりと考えながら、彼も又笛を唇に当てた。
兄を通してー正確には兄の家臣を通じてー渡された父の遺品だ。
傍に居る時は、どうしても忠輝は父や兄達を信じる事が出来なかった。
だからこそ、頑なに父も兄達も拒み続け、背を向け続けて来たし、己は正しいと、己には理由があるのだと信じていた。
だが今は。
笛の音と風の音が絡まり合い、溶けて散っていくのを感じる。
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