第2話
それから2ヶ月が過ぎた頃、僕は兄上を訪ね騎士団寮へ来ていた。兄上は強くてかっこよくて、騎士団の人からは恐れられているらしく、弟の僕まで騎士団の人は怖がっているようだった。初日の扱いとは真逆の、なんだか偉い人のような扱いをされていて少し困るくらいだ。
兄上の部屋は二階にある。階段を登っていると、怒っているような声が聞こえ、僕は少しビックリしてピタリと進むのを辞めた。
「最低だ!!俺以外にもそういう相手がいんの!?」
「当たり前だろう。恋人でもなんでもないじゃないか」
「……セックスだけがしたいなら娼館にでも行けばいいじゃん!」
「お前がしようと言ったんだろう? 俺はそれに応えただけだ、勝手に被害者面されても困るんだが」
兄上の酷く落ち着いた低い声。その後にパシンっ、と音が響いて、ドタドタと階段を降りてくる人がいた。金色の髪の、小柄な男だった。小柄と言っても僕よりは大きいけど。
僕は兄上に渡そうとしていた職場で貰ったお土産を渡すことが出来ずにそのまま自室へと帰った。
頭が混乱していて、意味もなく胸がズキズキ痛む。
同性婚も異性婚も承認されているこの国では性別は指して問題ない。それよりも違う部分に僕が混乱する問題があると思われる。
兄上が、多数の人と身体を重ねている。僕ももう子どもじゃない、セックスという行為の経験はなくとも理解はある。たが、僕の認識と兄上の認識はだいぶ違っているようだ。そういった行為は好きな人と、より親密になるための行為だと思っていた。
きちんと事前に、今日兄上の元へ向かいますと、そう言っておけばあんな場面を聞くことにはならなかっただろう。出来れば、知りたくなかった。
自室の寝台で気分を落ち着かせ、明日もう一度訪ねようと思った。そして、弟である僕がしっかりと兄上に誠実にあるようにと伝えよう。
ズキズキと痛む胸の痛みを無視して、僕はそのまま眠りについた。
翌日、仕事を終えた僕はまた騎士団寮へと足を向けていた。週の真ん中に1度、寮で兄上と会う約束をして会っていたため、騎士団寮の構造をだいぶ覚えてきた。見慣れた廊下を進み、階段を上がる。今日はちゃんと、兄上の部屋へ向かうと人伝いに言ってもらった。
厚い扉をノックし、名前を言う。すると兄上が笑顔で迎え入れてくれた。右頬がほんの少し赤くなっているように見えた。
「兄上、今日はこれを一緒に食べたいと思って来たんです」
昨日渡そうとしていた職場で貰ったお土産を手渡す。
「先輩に頂いたのですが、有名店の焼き菓子だそうです。一人で食べるのには少し量が多かったので、兄上にも……と思いまして」
「そうか。フェルは小さい頃から、美味いものは共有しようとしてくれていたね。懐かしい」
「一人で食べるよりも二人で食べたほうが美味しい、と母上も仰ってましたから」
兄上が焼き菓子を袋から取り出し、個包装になっているそれを渡してくる。
「母上と言えば兄上が帰ってこない、と言って怒っていました。僕は2週間に1度戻っていますが、兄上はどうされるのですか?」
「意味がなくなったし、もう帰ってもいいな」
「帰らない理由があったのですか?」
首をかしげて尋ねたが兄上は焼き菓子を口に入れ、そのまま僕の問いには答えなかった。
「これは美味いな」
「はい、こっちもざらざらの砂糖が乗っていて美味しいです」
「貴重な砂糖がこれだけ使われていたら高いだろう、……これをくれたのは男か?」
「はい、男性の方ですよ。他の人は焼き菓子1枚だったのですが、僕は最近頑張っているからと箱ごと頂きました!」
兄上が大きなため息をつく。
「兄として礼をしなければ。……そいつの名前は?」
「ライナス・ダベンポート、です」
「あまり迂闊に近づくなよ」
「はぁ……」
兄上はよく僕にそう言う。近づくな、触らせるな、ついて行くな、と。僕はお菓子でひょいひょいいろんな人について行く子どもだと思われているのだろうか。
「あの、兄上……、昨日のことなのですが」
「階段にいたのはフェルだったか」
「えっ、あ、……どうして」
「8年も騎士をやってるんだ、人の気配くらい分かる」
「すみません。立ち聞きするつもりはなかったのですが……」
何となく兄上を見れなくて、視線が下がった。
「……僕は、性行為は、好きな人と行うものだと思うのです。兄上の人生なので、兄上の生き方、やり方がある、そうは分かっていますが、不誠実なのは如何なものかと……」
「……」
「すみません、差し出がましいこと言ってしまって」
「……その好きな人が、結ばれることの出来ない人だった場合、俺はどうすればいいんだ」
兄上、好きな人がいるのか……。顔を上げ、兄上を見る。初めて見る顔だ。とても熱っぽい、熱い視線。兄上の好きな人は、こんな表情を見ることが出来るのか。また、ズキリと胸が傷んだ。
「兄上は……好きな人が、いるのですか……」
「あぁ、いるとも。すごく大切で大事な人だよ」
聞きたくない。僕の知らない声や顔、好きで好きでたまらない、と全てが物語っていた。
――あ、僕……兄上が好きだったんだ。
当たり前だ。僕は多分、何をどう頑張っても兄上以上に好きな人なんて出来ない。兄上が一番だ。
育児放棄で、酒とタバコ、快楽で溺れた両親を無くし、一人ぼっちだった僕の何も無かった狭い世界を変えてくれた兄上。兄上といると胸が高鳴るのも、胸がズキズキ痛むのも、全部好きだったからなんだ。
自分の気持ちに気づいた時には失恋しているなんて、こんなにも悲しいものなのか。
「フェル……?」
「へ? あっ、すみません……」
僕は泣いていた。兄上が困惑している。それはそうだろう、いきなり泣き出したのだから。
「兄上……、僕を好きな人の代わりにしてくれませんか。他の多数の人とじゃなくて、僕じゃ駄目ですか……」
兄上が好きな人と結ばれないのなら、少しくらい、僕だって兄上が欲しい。兄上が不誠実だと、そう言いに来たのに何を言い出してしまったんだろう。兄上からの返事が怖い、顔を見ることも出来ないけど、口から言葉が出てしまったのは仕方がない。後悔しても、もう聞かれている。
「何を言ってるんだ……、そうやって自身を軽くするな……」
「あに、ぅんっ……、っ……」
兄上の唇が、僕の唇に触れた。触れると同時に、少し開いた口の間から、舌が滑り込んでくる。初めての感覚に驚いたが兄上とキスしていると理解をして、僕は嬉しいと思っていた。
「俺がどれだけ我慢したと思っている、……簡単にそういうことを言うんじゃない」
「かっ、簡単なんかじゃありません!
好きな人と結ばれないのなら、僕が兄上を幸せにします、だから……好きな人じゃなくて、僕をっ、僕を見てください……」
どれくらいだろうか、沈黙が訪れる。気持ちの昂った僕の息遣いと、黙っている兄上。
気まずい沈黙を破ったのは兄上だった。
「フェルは……、俺が好きなのか……?」
「ぁ……たぶん、好き……です」
「たぶん……」
「いまさっき、自覚したのです……。僕が兄上を、好きだってことに。だから、たぶんと付けましたが、たぶんじゃ、……ないです」
自分でもわけのわからないことを口走りる。恥ずかしくて、下を向く。振られるとわかっているのに、告白をしてしまった。また涙が溢れてきて、視界が歪んだ。
「フェル、泣かないで。……俺の好きな人は」
「きっ、聞きたくないっ!嫌だ、嫌です……」
耳を両手で覆い、首を横に振る。兄上がそっと手を掴み、「聞いてくれ」ともう一度言った。
「髪が綺麗な金色、瞳は海のような青緑。6つ年下で俺を“兄上”と言って慕ってくれる子が、好きなんだ」
胸がドキドキと煩く高鳴っている。顔を上げると、兄上と目が合った。
「フェルが好きだ。ずっと前から、好きだった」
「ぼ、ぼくも、僕も兄上が、好きです……」
兄上と、2度目のキスをした。
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