第37話

 いやいやいや……うわ……何で引き受けたんだろ……。



 今、教室では遠足のオリエンテーションが開かれている……のだが、私の頭にはまるっきり入ってこない。耳から入っても、そのまま耳から抜けていく。


 そりゃそうだ。既に脳内容量がパンクしている私には他の情報を入れるスペースがないのだから。


 というのも、すべて先日の父の発言が原因だ。


 遠足のことで騒がしく盛り上がるクラスメイトを心底羨ましいと思いながら、私は小さくため息を吐いた。






「桜小路家の当主が夜瑠と宵凪の婚約を結びたがっている」



 父の口からこの話を聞いたとき、始めはジョークかと思った。現代日本に『親が婚約を決める』なんてことあるわけないだろーって。ましてや私たちはまだ小学生だから尚更。

 すぐに「冗談だよ」的な言葉が続くと思っていた。


 だけど、いつまで経っても父の顔は本気だった。


 そこで、ようやく私は自分が生まれた家の厄介さを理解した。

 上位の家には庶民だった私には理解できない理ってものがあるのだと。思わず悲鳴を上げながら、しみじみと思ったものだ。


 なるほど。これは前世よりもハードだな、と。




 続いた話によると父は別に宵凪のことを悪く思ってるわけではないらしい。むしろ、才能があり将来が楽しみな子と誉めていた。


 だが、その親である桜小路家の当主が嫌いなのだとか。


 曰く、子供を経営の駒としか見ていないらしい。

 だから、今回の婚約もおそらく……。


 子供にこんな話をするのはおかしいな、と父はそこで言葉を止めたが、私には続く言葉が分かってしまった。



『政略結婚』



 桜小路家の当主は夜瑠と宵凪を家の規模を広げるための手段にしようとしているのだと。


 宵凪はともかく、夜瑠をそういう扱いにするのはいただけない。控えめにいって禁固200年だ。


 私と同様で父も憤りを覚えているようだったが、相手が相手なだけあってバッサリと切り捨てる訳にはいかないのだとか。


 断れるだけの理由を並べる必要があるそうで、それが私に対する頼みだった。


 私に夜瑠の変わりをさせ、社交会に出させる。そこで相手が夜瑠ではなく私だと見抜けなかったら、婚約の資格がないと断る理由が出来る。


 とはいえ、性格や髪型は違えども顔立ちはそっくりな私たちだ。問題の髪型はヴィッグで、性格は私が口数を少なくすればカバーできる。十中八九見抜くことはできないだろう。相手からしたら無理ゲーにも程がある。


 婚約を破棄させたいだけの策だった。



 その場の勢いでついついOKしてしまったが、よくよく考えるととんでもない事を引き受けてしまったと思う。


 だって一人の人生を左右する役割だぞ……。


 今さらになって後悔してる。胃がすごく重い。お腹痛い。


 朝日や真昼ではなく私に頼んだのは性格が大人、みたいな理由ではなく単に二人の姿が見えなかっただけみたいだし。大人だから頼られてる!って思い込んでた自分が馬鹿みたいだ。





 冒頭に戻る。


 桜小路家が主催する社交会は二日後の土曜にある。そこが決戦の舞台らしい。


 天城院常葉と対立を決意したときも数日前から緊張したものだが、今回はその重みが違う。


 子供の喧嘩ではすまされない。文字通り人生が懸かっている。しかも自分のではなく夜瑠の人生が。



「夕ちゃん、大丈夫?」


 手で頭を抱える私を見て、体調が悪いとでも思ったのか、真昼がそんなことを言ってくる。


 気がつけばオリエンテーションは終わっていて、班決めが始まっていた。クラスメイトが自由に動き、話し、辺りは喧騒に包まれている。


「大丈夫って何が?」

「顔色悪いけど、熱?」


 すっとぼけていると、不意にひんやりした柔らかい手が額に当てられた。


「んー、熱はないみたいだね。……どうしたの?何かあった、よね?」


 今回の件は朝日や真昼、夜瑠にも説明してない。

 余計な心配を掛けないためにも事情を知るものは少ない方がいい。と言う父の意見に従った結果だ。

 何かあると察されてはいけない。


 だから私は、咄嗟に目を細めて、こう言った。

 

「ごめん、実は寝不足なんだ」


 と。


「そっか……」


 そんな私に対して真昼は何故か悲しそうな表情を浮かべた。





◇◇






「そっか―――……やっぱり私を頼ってくれないんだね………………」


 その声は誰にも届かず、喧騒の中に溶け込んでいった。


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