第38話
迎えた土曜。
その日は朝早くから準備で忙しく、ようやく一息吐けたのは、今回の社交界の舞台であるリゾートホテル=サクラコウジの化粧室に入ったときだった。
時刻は午前十時五十分。
あと十分で社交界が始まろうとしていた。
ホテルの最上階が社交界の会場なので、そろそろ父が呼びに来るだろう。
その前に、と私は再度鏡で身だしなみを確認する。
髪の毛が肩にかかるくらいのセミロング。
軽くパーマの掛かった前髪。
夜を連想させる黒のドレス。
うん。どこからどう見ても夜瑠だ。
きっとこれなら奏時や父、母でも見抜けないだろう。
そんなレベルの再現度だった。
唯一の不安は、髪型をウィッグで補っていることだが、このウィッグ。よほど腕の良い職人が作ったのか艶感も色彩もバッチリで、更に人工つむじも良くできている。
とりあえず、ウィッグが原因で正体がバレることもなさそうだ。
「夕だ……夜瑠!準備は出来たかい?…………凄いなぁ……まさかここまでとはね。こんなの誰も見抜けないだろうね」
「お父さんが私の名前を今みたいに言い間違えなければ見抜けないと思う」
「はは……ごめんごめん。気を付けるよ」
最終確認から一分開かず父が呼びに来たので、一緒にエレベーターに乗り最上階へと向かう。
「夜瑠。そろそろだけど、いつも通りの
「うん、分かってる……わ。お父さん」
「お待ちしておりました、西四辻様。会場はあちらの扉の向こうとなっております」
最上階に着くと、おそらくこのホテルの従業員だろう。スーツを着た青年が父の顔を見てそんな言葉と共に出迎えてくれた。
小さく会釈を交わす。
「では……。西四辻家当主、西四辻尊様。西四辻家御令嬢、西四辻夜瑠様のご入場です」
開けられた扉に入ると、拍手と興味深げな視線で迎えられる。
そんな中、視線を遮るようにしてちょっと肥満気味の……ごほんごほんっ!恰幅の良い男性が現れた。
「やぁやぁ。お待ちしておりましたぞ、尊様」
「こうして顔を会わせるのは二年前のクリスマス以来ですね、桜小路様」
どうやらこの人が桜小路の当主らしい。
前回のパーティーでは会うことがなかったから初顔合わせということになる。
顔立ちは流石宵凪の親。結構イケている感じだが、余計なお肉が多く……何と言うか、残念な感じだ。
ダイエットすればきっと格好いいんだろうな……とか思いつつ、挨拶をする。
「桜小路様、初めまして。西四辻家四女、西四辻夜瑠です」
「おお! 夜瑠さん。初めまして、私は
そう言って桜小路の当主―――克紀は私の顔をマジマジと見つめてきた。
「あの、え、何か……変なところでも……?」
「いや、そんなところはないよ。ただ、やはり四姉妹の中で夜瑠さんが一番可愛いと思ってね。ははは、見分けがつかないとか聞いていたんだが、全然そんなことないじゃないか」
「あ、はは」
紛らわしいことするなよ……、一瞬バレたかと焦ったじゃんか……。てか、実際見分けがついてないからな、お前。
見れば父の頬は少し緩んでいた。完全にこの話をネタに揺する気だ。
「桜小路様、少し向こうで本題について話し合いましょうか。夜瑠は……宵凪君と話しておいで。学友なのだろう?」
「おお、それはいいですね。おーい、宵凪!」
克紀が呼ぶと、宵凪が人混みの中から現れた。
「……呼びましたか、父上?」
「あぁ、今から私は尊様と話をするのだが……その間、お前は夜瑠さんの話し相手になってくれ」
「? 夜瑠……さん、ですか……。……なるほど。分かりました」
「テラスを使うと良い。二人きりで積もる話もあるだろう?」
宵凪は怪訝そうな顔を浮かべたが、すぐに理解したと頷く。
「じゃあ……テラスに向かいましょうか」
「そう……ね」
そして、そのまま私と宵凪はテラスに向かった。
「じゃあ来年も君たち四つ子はリレーに出るのか」
「え、ええ。宣戦布告をしたからね。その予定よ」
「なるほど。それは楽しみだ。次は負けないからな」
「そうね、クラスのため。朝日達に負けないようお互い頑張りましょう」
テラスに出て三十分ほどが経過しただろうか。夜瑠ならこう答えるかなと何気ない話題でも夜瑠らしさを意識しながら話をしていると、不意に宵凪が話題を切り換えた。
「こうして二人で会話していると一年生の遠足の時を思い出すな……あのときは早々にダウンしてしまってすまなかったな」
一年生の遠足?あぁ……覚えてる覚えてる。確か、宵凪は乗り物に弱いんだっけ。
「乗り物酔いだったんでしょ。仕方ないわよ……」
「……そう言ってもらえると助かる」
答えた瞬間、宵凪の目がギラリと輝いた気がするがおそらく気のせいだろう。
と、その時だった。
「夜瑠、帰るぞ!」
バンとテラスと室内を繋ぐ扉が開かれ、父が入ってきた。満面の笑み。作戦は成功したらしい。
「もうお帰りになられるのですか?」
「あぁ、宵凪君。すまないが……」
「いえ、平気ですよ。あぁ、そうそう……最後に一つだけ」
宵凪は眉をくいっと潜めると、私にだけ聞こえるように耳元に口を寄せて、こう囁いた。
「また会いましょう、夕立さん」
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