第27話

 その日は鏡の前に立ち、念入りに自身の体を眺めた。いつもならほとんど気にならない髪型も服装も、一切乱れがないかチェックする。


 何かしていないと落ち着かないのだ。

 私は年甲斐もなく緊張していた。


「こんな緊張するのは初めての就職試験以来だな」


 内定をもらったあの時はとても嬉しかった。

 まぁ、その後すぐにその嬉しさが絶望へと変化したのだが……。


 いかんいかん。

 心が現実を逃避したがっているのか、思考がどんどんと脱線していくのを感じた私は強制的に元へ戻す。



 おそらく今日、私はアクションを起こすことになる。

 これまで天城院は毎日の頻度で絡んできていた、らしい。

 遠足から土、日と挟んだので、多少日が空いたとはいえ、あの傲慢ちゃんが絡んでこないとは思えない。


 小さく嘆息。

 

 土日の間に既に脳内シミュレーションは出来ている。

 だが、決行に移すのはかなり覚悟がいることだ。



 そもそも私は自分から行動を起こすことが出来ない性格だった。下手に行動をするよりは現状維持を望む性だった。そしてそれは転職に失敗した日から余計に悪化した。

 理不尽なことをされても文句一つ言わない社畜となった。会社にとって都合のいい駒となったのだ。

 だから私は人生に意味を感じることなく呆気なく死んでしまった。



 そんな前世との決別。

 今回の対立は私にとってそのような意味をもつ。


 手の震えが収まらないのも仕方がないことだ。

 グイッと爪を立てて拳を作る。

 痛みが走るが、代わりに震えが少し収まった。


「よし……」


 パンと両頬を叩き、私は部屋を出た。

 頬にはうっすらと紅葉が浮かんでいた。





 対立の時は早かった。

 昼休みの時間。教室で坂寺と談笑していたら、食堂から戻ってきたのか、あらあらあら!と甲高い声を響かせ天城院はやって来た。

 何故かいつも小判鮫のように引っ付いている取り巻きの姿はない。



 好都合だ。内心そんなことを考えていると、もはや恒例になった家自慢が始まった。



 まだだ。まだ待て。

 私は緊張のあまり高ぶる心を落ち着かせる。


 天城院は必ず嫌みを混ぜてくるはずだ。その時まで、その時に……。

 だけど、もし嫌みを言わなかったら…………。


 ―――私、心弱すぎだろ。

 この期に及んで、やはり止めようか、なんて思ってしまう自分に失笑してしまう。


「―――何ですか? その態度は!!?」


 それが表情に出てしまったのか、気持ち良さそうに謳っていた天城院の顔が歪んだ。

 一気に眉と目がつり上がっていく。


「貴女、私を誰だと思って―――」

「もうやめてあげてよ!」


 激昂する天城院の言葉を遮ったのは坂寺の声だった。


 坂寺が一歩前に踏み出し、私を庇うようにして両手を広げる。

 朝日の話では、坂寺は天城院に逆らえない……と聞いていた。現にその足は震えている。だが、決してその両手を緩めようとはしなかった。

 

「朝日ちゃんをいじめないで!」

「う……うるさい……うるさいですわね! 大体、坂寺のくせに天城院に意見するなんて生意気でしてよ!」


 目に見えて困惑していた天城院がその手を高く振りかざし、そして。


「いい加減にしとけよ」


 気がつけば私はそんな言葉と共に天城院の手首を掴んでいた。


「あっ……」

「なっ……!? 離しなさい!」


 やっべぇ、何やってんだ私……。

 

 ひとまず狼狽え暴れだす天城院を押さえようと、グッと壁際に押し向ける。

 そして彼女の頭横の壁を残った片手で力強く叩きつけた。


「…………」

「…………」


 完全に無音。

 周りを見渡すと、いつの間にか、クラスメイト達は揃いも揃って唖然とした顔で視線を私たち、主に私に向けていた。その中には当然坂寺の姿もあった。


 えーと…………この後どうしよう。


「…………」

「…………あの、離してくださいますか?」


 固まっていると、天城院が普段の様子からは考えられないような弱々しい声を発した。顔が林檎のように真っ赤になっている。


 まぁ、恥ずかしいもんな。よくよく考えればこの体位、端から見れば壁ドンってやつだし。

 実際私だって顔から火が吹きそうなくらい恥ずかしい。


 だけど、簡単に要求を飲むわけにはいかない。

 私が優位なうちにここで一つ約束させておかなければ。


「もう坂寺にも私にもちょっかいを出さないと約束してくれる?」


 耳元に口を近づけて言うと、一刻も早く羞恥心から逃れたかったのだろう。天城院はコクリコクリと何度も頷いた。





 こうして西四辻朝日と天城院常葉の対立は終幕した。

 実際それから一週間ほど様子見をしていたわけだが、天城院から絡んでくる様子はなかった。むしろ、私の顔を見るとあの時のことを思い出してしまうのか顔を真っ赤にして逃げていく始末。


 全然シミュレーション通り行かなかったが、まぁ、終わりよければ全て良しってやつだろう。





 そして、更に三日後。

 私は朝日から夕立となり、朝日は夕立から朝日となった。もう大丈夫と判断したからだ。


「夕ちゃん、色々とありがとね」

「いいよ別に。それよりも早く坂寺と会ってきなよ」

「うん!」


 恐怖に抗ってまで「朝日」を庇ってくれた坂寺だ。きっと、朝日の良い友達になってくれるに違いない。

 それは良いことだ。

 なのに何故か私は、そこに立っているのが自分じゃないことに悲しみを覚えていた。


「入れ替わりにデメリットはほとんどないって思ってたけど、そうじゃないんだな……」


 結局、自分からアクションを起こすことができなかったから、前世と完全に決別するのはまだまだ先になりそうだし。

 悲しくなるし。

 踏んだり蹴ったりだ。









「な……なんで朝日さんを見ると心臓がバクバクと高鳴るのでしょうか………………」


 普段は大人しい朝日からは想像できない凛々しい行動。思い出す度に頬が熱くなる。甘やかされて育ってきた常葉には強烈すぎる出来事だった。

 これを俗にギャップ萌えと言う。

 常葉は禁断の領域へと足を踏み外してしまいそうになっていた。

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