第二十二話 少女も自覚する
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小学生から中学生へ。春は毎年やってくるのに、この年は一気に大人へ駆け上がった気がした。鏡に映った似合わない制服を着ている私はちっとも大人っぽく見えないのに。
中学に上がった私の日常には変わったものと変わらなかったものがある。
まず変わったのは、学校でいじめられなくなった事。
私をいじめていたグループのほとんどが別の学校に進学し、私と同じ学校に進学した二人も「今まで人をいじめたことありません」といった顔でクラスに溶け込んでいた。元々、リーダー格が仕切っていたグループだったから、こうなるのは必然とも思えた。
驚いたのは、私に声をかけてくるクラスメイトが何人もいたことだ。「幸野さんってどこの小学校に通っていたの?」「幸野さんって髪綺麗だよね」なんて気軽に話してくるから、新たなグループに目をつけられて揶揄われているんじゃないかと疑った。
実際、そんなことはなかったけれど、相槌ばかり打っていたせいで、親しい友達を作れないままクラスの交友関係は固まってしまった。警戒していたのもあるが、諏訪くん以外の同年代と会話する機会がほとんどなかったから何を話せばいいのか分からなかった。
傍から見れば、友達がいない寂しい女子にしか見えないだろうけど、小学校の時よりも快適な学校生活なのは間違いない。
家庭の方も以前よりは落ち着いていた。相変わらず父と母は仲が悪いし、私に暴力を振るうこともあるが、小学生の頃よりは減ったような気がする。そう感じるのは、学校での負担がなくなったのが影響していたのかもしれないけど。
そして、変わらなかったのは――。
「諏訪くん、ごめん。待った?」
「結構待った」
制服姿の諏訪くんはわざとらしくため息をついて、それから笑った。
「ごめんね。ホームルームが長引いちゃって」
「別に気にしてないって」
諏訪くんはポケットに手を入れて一人歩き出す。
私はその背中を追う。
中学に上がってからも諏訪くんとは毎日のように会っていた。
通っている学校は違うものの、そこまで離れているわけではない。学校から二、三十分歩いたところにある公園でいつも待ち合わせをして、二人で本屋やファミレスに行っていた。
私達が集まるのに理由はない。そもそも出会った頃から特別な理由なんてなかった。だから特に目的があるわけでもなく、学校帰りに寄り道してから帰ろう、みたいな軽いノリが続いているだけである。その軽いノリが生活の要であり、私を支えていた。
一年半前に諏訪くんと出会ってから変わらない日常。これからも変わらないと思っていた。
でも、この時の私は気付いていなかっただけで、ゆっくりと変わっていた。
ずっと一緒にいたことで私達は以前よりも踏み入った話をするようになっていたし、冗談を交えながらの会話も増えた。私は自分の制服姿が似合っていないと思っているけど、諏訪くんは何度も似合っていると揶揄ってくる。揶揄われる度に私は、彼の肩を軽く叩くことで恥ずかしがる自分を誤魔化そうとした。
けれど、月日が経つにつれて、すぐそこにあった彼の肩は少し手を伸ばさないと届かなくなり、彼の声は変わっていった。私自身も少しずつ変わっていき、教室で聞こえてくる会話の変化にも気付いていた。
誰と誰が付き合っているとか、クラスの男子と女子がキスしているところを見たとか、私には無関係の話なのに耳を傾けてしまう。仲の良い男女が周りから「付き合っちゃえば?」なんて揶揄われていたし、揶揄われた二人もまんざらでもない顔をしていた。
今まで私の周りにいる同級生は悩み事のない快適な人生を送っている人ばかりだと思っていた。悩み事を抱えながら生きている自分は周りよりも大人びていると言い聞かせて、何度も自分を励ましただろうか。
だけど今、私の周りにいる同級生達は恋をして、恋人を作っている。恋人なんてまだまだ先の話だと思っていた私からすれば、いつの間にか彼らが遠い存在になってしまったように思えてモヤモヤする。
もし、もしも自分に、恋人ができたら……と想像してみる。
真っ先に思い浮かんだのは、諏訪くんと手を繋いでいる私だった。
――それはありえない!
慌てて脳内に思い浮かんだ二人を、黒板消しで豪快に消すように消した。
諏訪くんは友達で、そういう関係ではない。友達と恋人では全然違う。いくら私と毎日遊んでくれている彼でも私のことを恋人として好きになるわけがない。
頭の中で必死に言い聞かせて落ち着かせる。
――私と諏訪くんは友達。
それ以上でもそれ以下でもない。
それでこの感情を抑えられるのなら、最初から悩んだりしない。
「幸野! 早く!」
「……え?」
目の前には「ゲームオーバー」の文字が並んでいる。
諏訪くんの家で、テレビゲームをしていた時だった。ゲームに集中している諏訪くんの横顔を見ていたら、操作を怠って敵の攻撃に当たってしまったらしい。
「あっ、ご、ごめんね。よそ見してたみたい」
「みたいって……大丈夫か? 気分が悪いとか」
私は手をバタバタさせながら、「だ、ダイジョウブダヨ!」と返す。
「いや、全然大丈夫そうに見えないんだが……」
そう言って、私の顔を覗き込むように見る諏訪くん。自分でも顔が赤くなっているのが分かる。だって、距離が近すぎるんだもん。
「きょ、今日はもう帰るねっ!」
逃げるように帰ろうとする私の手を諏訪くんが掴む。変な声を上げてしまうところだった。
「もう外暗くなっているし、送っていくよ」
遠慮する言葉も出てこず、私は頷くことしかできなかった。
横を歩く彼の顔を見れないまま家に帰り、しばらく握られた感触が残っていた……気がした。
それから数日後、二人で商店街にある喫茶店に行こうと私から誘ってみた。
今までは友達として気軽に誘えたのに、今回は誘うだけでも精神的に疲れてしまった。恋人でもないのにデートに誘っていいのか悩んでしまった。
「ここ……だね」
二人とも初めて入る喫茶店は不安を感じさせるほど年季の入った老舗だった。
「……入ろうか」
「……うん」
店内は思っていたより綺麗で、メニューも意外と普通でホッとした。
私と諏訪くんはトマトとモッツァレラのパスタを頼んで、店内にあるテレビを見ながら雑談をしながら待つ。しばらくしてから運ばれてきたパスタは山盛りで、その量に二人で驚いた。
「うまい!」
諏訪くんはそう言って、男の子らしくパスタを頬張る。
私も食べてみると、確かに美味しい。今まで食べたパスタの中で一番美味しいかもしれない。
「本当に美味しいね!」
量が多かったけど、手が止まることなく二人とも完食し、「美味しかった」と味の感想を言い合う。諏訪くんに喜んでもらえたのが嬉しくて、つい口が滑ってしまう。
「クラスの女子が美味しいって言っていてね。前から諏訪くんと一緒に行きたいと思っていたんだけど、来て正解だったね」
「僕と一緒に?」
「うん。凄く美味しいって絶賛していたから、諏訪くんと一緒に食べたいなって」
ちょっとだけ照れている仕草を見せる諏訪くんを見て、我に返った途端、恥ずかしさが込み上げてくる。
話を変えようとテレビの方を向く。テレビでは芸能人達が『お前達の恋は間違っている』などと罵り合っていて、諏訪くんがクスッと笑っていた。
『本当にその人のことが好きかどうかなんて簡単に判断できるわ!』
芸能人達が声を上げる。
「どうやって判断するんだろう?」
「さぁ?」
つい私も諏訪くんもテレビに目が釘付けになっていた。
『例えば、美味しいものを食べたり、美味しい店を知ったとするだろ? その時に食べさせたいとか、一緒に行きたいと思った相手が本当に好きな相手なんだよ!』
その瞬間、私はこの場から消えたいと思った。
諏訪くんの方をチラッと見ると、目が合った。そして、すぐに気まずそうな顔をして視線を逸らした。
……恥ずかしい。
消えたい。
それからどうやって会計をして別れたか憶えていない。家に帰って、すぐ布団の上で足をバタバタさせたことだけは憶えている。
人が恋に落ちる時はもっとロマンティックなものだと思っていた。
でも私は――この時、初めて諏訪くんのことが異性として好きだと自覚した。
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