第二十一話 春の訪れ
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「春の訪れを肌で感じられるでしょう」
テレビの中で気象予報士が毎年聞くフレーズを口にしていた。
三月に入っても諏訪くんは入院したままだった。
当の諏訪くん本人は入院が長引いて憂鬱に感じていたと思う。けれど、私の前では落ち込んでいる様子を見せなかったし、病室に入る度に笑って迎え入れてくれていたから、そのことに気付かないまま、私は病室に通い続けていた。
当時の私は同い年の諏訪くんが一回り大人に見えていた。
諏訪くんは四つ葉のクローバーを探してくれていた時も私のことを気にかけてくれたし、重い病気なのに弱音を吐いたりしなかった。そんな彼と、すぐに泣いて落ち込んでしまう私を比べれば、彼の方が大人に見える。諏訪くんは凄いな、って密かに憧れていた。
病室で遊ぶにはやれることが限られているから、必然的に以前より会話が増えていた。ほぼ毎日通い続けていたこともあって、短期間に諏訪くんの好きなものや嫌いなものを知れた。
諏訪くんはサッカーが好きで、「退院したらサッカーをしたい」とよく呟いていた。医者から「激しい運動は控えるように」と言われていたみたいで、お姉さんは「サッカーなんて絶対に駄目」と怒っていたが、私達は退院したらサッカーをやろうと約束していた。
お姉さんに内緒で交わした約束は、諏訪くんと仲良くなれた証明書のようなものであり、少しぐらいならサッカーをしても大丈夫だろうと楽観的に考えさせる魔力を持っていた。
逆に諏訪くんが嫌いなものはチョコレートなどの甘いもの全般。糖質制限のようなものがあったわけではないようだけど、「甘いものを食べすぎないように」とは昔から言われていたらしい。甘いもの自体は苦手ではないものの、「食べたら寿命が縮むような気がするから食べたくない」と本人は言う。お姉さんの言いつけを破ってサッカーをやろうとしていても、全く自分の体を気にしていないわけではなかった。
何気ない会話やトランプぐらいしかやることはなかったけど、病室で過ごした時間は私と諏訪くんの距離を縮めてくれた。
諏訪くんが退院したのは春休みに入った後だった。
本当は純粋な気持ちで退院を祝福したかったけど、今まではお見舞いとして諏訪くんと会えていたから、彼と気軽に会える口実がなくなってしまうのは正直なところ寂しく思えた。
そんな薄情な心配をしていた分、諏訪くんの方から家に誘われた時は飛び跳ねそうになるくらい嬉しかった。
「綾香ちゃん、いらっしゃい」
出迎えてくれた諏訪くんのお母さんに「こんにちは」と小さな声で挨拶をする。お母さんとは病室で何度か会ったけど、諏訪くんの家で会うのは初めてだから変に緊張してしまう。
リビングで諏訪くんと顔を合わせた時もなんだか恥ずかしくて、すぐに視線を足元に落としてしまった。
「諏訪くん、退院おめでとう」
「ありがとう」
明るく無邪気に笑う諏訪くんは、つい最近まで入院していたとは思えないほど元気そうに見える。難病とは無縁の、笑顔が眩しい男の子にしか見えなかった。
二階にある諏訪くんの部屋には机、ベッド、本棚が子供部屋らしく置かれていた。男の子の部屋は物が散乱しているイメージがあったけれど、諏訪くんの部屋は綺麗に物が収納されている。
けれど、机の上に飾られたサッカーボールを見て、やっぱり男の子の部屋なんだな、と実感した。
私がサッカーボールを見ていることに気付いた諏訪くんは「天気が良い日にサッカーしたいね」と言ってボールを手に取った。
「うん、そうだね。でも、私じゃ練習相手にもならないかも」
「僕だって上手くないし、ただ蹴って遊ぶだけだから大丈夫だよ」
「えー本当なの? 諏訪くんってなんでも出来るイメージがあるからサッカーも上手そう」
私がそう言うと、「僕が出来ることなんて限られているよ」と自嘲めいた返事が返ってきた。
「小学校に上がったばかりの頃、休み時間に友達とサッカーをやってね。その時に上手い友達がいて、そいつにボロ負けしたんだ。それが悔しくて練習を繰り返していたらサッカーを好きになったんだけど、そいつとは差が開く一方で、時々嫌になることがあるよ」
ため息をつくような喋り方に私は少しだけ困惑した。諏訪くんが弱音らしいことを言うのは、これが初めてだったから、彼でもそういう悩みがあるんだ、と驚いていたんだ。
「諏訪くんならもっと上手くなれるよ!」
私は諏訪くんを励まそうと声を出す。お世辞ではなく、本当に彼なら上手くなれると思っていたから。
「どうだろう……。体は弱いし、練習できる時間も少ないから……」
「大丈夫だよ。諏訪くんならきっとその人よりも上手くなれるよ」
私は、諏訪くんに諦めてほしくなかった。
きっと、この世界は諦めない人や努力している人を救ってくれるはずだから。
それを教えてくれたのは、諏訪くんだから。
「……うん、そうだね。もうちょっと頑張ってみるよ」
「私、応援しているから! だから頑張ろう!」
ありがとう、と諏訪くんがお礼を言うと、興奮気味だった私は急に恥ずかしくなる。でも、諏訪くんの役に立てたと思えば、とっても嬉しかった。
その後、リビングで諏訪くんとテレビゲームをして「前より上手くなっている」と褒めてもらって照れたり、諏訪くんのお母さんに「何回もお見舞いに来てくれてありがとうね」とお礼を言われて気恥ずかしくなったり、相変わらず心が乱れてばかりの私ではあったけど、この日が私にとって大きな一歩だったことは間違いない。
四つ葉のクローバー探しでも、お見舞いでもない。
本当の意味で友達として諏訪くんと遊んだのは、この日が初めてだったから。
六年生に上がった後も私達は毎日のように遊び、次第に些細な悩みを打ち明けるようになり、喋り方も変わっていった。
諏訪くんとやるテレビゲームも足を引っ張らなくなったし、表情から諏訪くんが何を考えているのか、ぼんやりと分かるようにもなっていた。
諏訪くんのことを親友だと思っていたし、諏訪くんも私のことを親友だと思っていた……と思う。
少なくとも、この頃の私は諏訪くんが友達として大好きだった。
家や学校で嫌なことがあっても、友達の諏訪くんと会えれば、それで満足だった。
けれど、中学に上がった私はようやく気付く。
私が諏訪くんに寄せている好意は、別のものであることを。
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