第二十三話 まだ子供だったから


 23


 前を歩くカップルを見て、あんな風に諏訪くんと手を繋げたら、と想像して、すぐに両手で顔を覆う。そんな願望めいた想像を一日に何回もして、同じ回数ため息をつく。


 一度意識してしまったら、もう元に戻ることはできない。あれから諏訪くんの顔をまともに見れなくなったし、諏訪くんに手を握られれば慌てて引っ込めてしまう。その度に諏訪くんと気まずくなって、家で反省会を開いて落ち込む。


 恋人になりたいけど、なれない。


 告白したいけど、告白する勇気なんてない。


 勇気があったとしても、フラれるのがオチである。


 ほぼ毎日会っているから嫌われているわけではなさそうだし、彼女もいないと思う。でも、私なんかを恋人にしたいとは思わないだろう。いつか諏訪くんに恋人ができて、また一人ぼっちになってしまうかもしれないと考えると、とても寂しくなる。


 臆病な私は、その「いつか」に怯えながらも諏訪くんとの友達関係は続き、月日は流れていった。


 中学三年生の秋になっても「いつか」はやってくることなく、私は諏訪くんの隣にいた。


 恋心を抱いた時よりちょっとだけ自信を持てるようになっていたけど、その自信はあまり喜ばしいものではなかった。


 諏訪くんは中学二年生と三年生の時に一回ずつ入院をした。あの日までは詳しいことは話してくれなかったけど、病室で見る彼はいつも陰りのある表情だった。


 私が知る限り、お見舞いに来ていたのは家族だけで、友達や恋人は見なかった。気になった私は「学校の友達とかはお見舞いに来ないの?」と訊いてみたが、諏訪くんはベッドの上で漫画を読みながら「来ない」とぼそりと呟いた。


 それを聞いた私は諏訪くんを支えられる一人の友人として、彼の好感度を上げられる、と内心喜んでいた。もっと正直に言ってしまえば、学校で知らないうちに恋人ができるより、病院にいてくれた方が安心できた。


 要するに中学に上がった後も私が一番、諏訪くんと親しい友達ということだ。これを自信と呼ぶのはどう考えても間違えている。不幸につけこんで好感度を上げるなんて最低だ。


 けれど、私みたいな人間が恋人を作るにはそうでもしないと無理だと思った。


 お見舞いに行ったって面白い話をできるわけでもなく、図書館で借りた本を持っていったり、病室にあるテレビを一緒に見たり、本当に暇つぶしの話し相手にしかなっていなかった。


 もし他に諏訪くんの友達が来たら、私なんて勝てっこない。家族とは仲が悪くて、学校では一人ぼっちの私に話のネタなんてない。諏訪くんに友達ができたら、私の役割なんてなくなってしまう。私が来るより話が面白い友達が来た方が諏訪くんだって嬉しいに決まっている。


「私には諏訪くんしかいない。お願いだから、私から諏訪くんを取らないで」なんて悲劇のヒロインぶったところで、諏訪くんの不幸を祈っていることに変わりない。


 小学生の頃からずっと変わらない。中学生になっても、「こういうやり方でしか人に好かれないのだから仕方ない」と疚しい気持ちに言い訳するのが私だ。


 そんな私でも中学三年の夏に諏訪くんが入院した時は、早く退院してほしいと強く願った。


 入院が予定より長引いて、夏休みが終わった後も続いていた。一緒に花火大会に行く約束をしていた彼は「ごめん」と今まで見たことのない暗い表情で謝ってきた。出会った頃の面影はなく、全くの別人と思えるような暗い表情で、嫌な不安を感じた。


 私は諏訪くんを元気づけようと、教室内で盗み聞きした話題を語り聞かせたり、その日あった出来事にフィクションを加えて笑みを引き出そうとしたが、どれも無駄だった。


 諏訪くんは私の話を聞いても相槌を打つか、無理に笑顔を作るだけ。本人も誤魔化せていないことには気付いているようで、会話をしても空気が重くなるばかり。


 次第に諏訪くんが寝ていて会話できない日やお互い無言で本を読む日も増えていき、私達の会話は減っていった。


 けれど、私は病室に通い続けた。学校帰りに立ち寄って、「元気?」「ぼちぼちだな」みたいな会話だけして帰る日もあったけど、時間が許す限り病室にいた。


 彼の横にいられるだけで、私は幸せだった。


 ある日、病室の椅子に座って本を読んでいると、「なあ、幸野」と突然諏訪くんが話しかけてきた。私は本から視線を移して、彼の方を見る。


「幸野って彼氏とかいるの?」


「…………え?」


 予想外の質問に言葉を失う私とは裏腹に、諏訪くんはベッドの上で横になりながら漫画をペラペラ捲っている。


「……いないけど、どうして?」


 ペラペラとページをめくる音が止まった。


「毎日見舞いに来ていて大丈夫なのかって思っただけ」


 素っ気ない言い方に何故か少しだけガッカリする自分がいた。


「前にも言ったでしょ~。私、友達いないから暇だって」


 事実だけど、事実じゃない。


 暇だから来ているわけではない。


「友達を作る気は?」


 ペラペラとページをめくる音が戻ってきた。


「作らないよ。あまり学校の人達と話したいって思わないし……それに……」


「それに?」


「こうして諏訪くんと一緒にいる方が楽しいから……なんて」


「……どこが楽しいんだよ。こんなところにいるより友達と遊びに行った方が楽しいだろ」


「そんなことないって。私、インドア派だし……あ、信じてないでしょ?」


 照れ笑いながら平静を装う私を横目で見る彼はしばらく黙り込んでいた。


 パンっと漫画の本を閉じて、枕元に置いた諏訪くんは仰向けに天井を見ながら呟くように言う。


「この前、医者に『もう長くない』って言われてさ」


 最初、諏訪くんが何を言っているのか理解できなかった。私が言葉を詰まらせている間も彼は難しいことを、聞きたくないことを口にしていた。


 確かに前から重たい病気だと聞かされていたし、たまに弱音を吐くこともあったけど、こんな機械的な話し方は初めてだった。


「だから、もし僕が死んだら幸野は一人に……」


 そう言いかけた彼の言葉を上から塗りつぶす。


「大丈夫だよ! 去年だって退院して元気だったでしょ? 今回も良くなるって」


 諏訪くんを励まそうとしているのか、自分に言い聞かせているのか分からない。


「どうかな。医者の話だと……」


「絶対に良くなるから! 難しいこと考えないの! 退院したら、またどこか遊びに行こうよ。ね?」


 明るく振る舞おうとする私の声は少し震えていて、手足に力が入らない。


 諏訪くんは何か言おうとしていたみたいだけど、諦めたように「退院できたらな」と言って額に手の甲を置いた。


 この時、諏訪くんはもっと別のことを言いたかったんだと思う。だけど、私はそれを聞く前に耐えられなくなって、彼の言葉を、気持ちごと潰してしまった。


 大丈夫だよ、と私は言い続ける。


 私だって諏訪くんと出会って大きく変われたんだ。


 諏訪くんだって良くなるよ。


 現実はきっと私達を裏切らない。



 その頃の私は、まだ夢見がちな子供だったから。

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