第十九話 私のものになって
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シロツメクサ。
私達がクローバーと呼んでいる植物の正体である。
三小葉であるシロツメクサだが、稀に葉が四枚あるものも存在する。一説によると、人や動物に踏まれるなど外的要因で傷ついた部分が分裂して、四つ葉になるらしい。
それを私達は四つ葉のクローバーと呼んでいる。
四つ葉のクローバーを見つけた翌日、学校のパソコンで調べて、これらのことを知った。少しだけ賢くなったような気はしたけれど、好奇心で調べたわけではない。
私が知りたかったのは、四つ葉のクローバーが見つかる確率だった。
四つ葉のクローバーが見つかる確率は一万分の一。交通事故に遭う確率とほぼ同じだとネットには書かれていた。
そのことを知ると同時に胸を撫で下ろした。
今はまだ諏訪くんと一緒にいたい。
今はまだ私の前に現れないでほしい。
交通事故と同じ確率なら、そう簡単に見つからないはず。そもそも一ヵ月も探して見つからなかったんだ。見つけた一本が運が良かっただけ。大丈夫、まだ大丈夫。
けれど、不安が全て解消されたわけではない。私なら再び一万分の一を引いてもおかしくない気がする。簡単に悪い方へ転がってしまうのが、私の人生。油断はできない。
だから、諏訪くんと探す時は出来るだけクローバーが生えていないような場所を探すようにした。クローバーが沢山生えている場所に行けば「あそこらへんは一人で探したけど、見つからなかったよ」なんて嘘をつき、少しでも諏訪くんを四つ葉のクローバーから遠ざけようと必死になっていた。
毎日、川原で探していたわけでもなく、普通に公園などで遊ぶ日もあったから、諏訪くんと出会ってから二ヵ月経っても、四つ葉のクローバーは見つからなかった。
その間も家族とは仲が悪いままだったし、学校でも一人ぼっちだったけれど、諏訪くんと一緒にいられる時間は幸せだった。嫌な時間を我慢すれば、諏訪くんと会える。私は諏訪くんとの時間だけを楽しみにして、生きていた。もし諏訪くんが私の前から消えてしまったら、何も残らない。だから、ずっと一緒にいられたら、なんて考える時間も増えていた。
四つ葉のクローバーには「幸福」や「約束」など複数の花言葉がある。
その中の「私のものになって」は、当時の私にピッタリの花言葉だった。
一人、たった一人でいいから、私だけを見ていてくれる味方が欲しかった。私のことを励ましてくれて、慰めてくれて、どこにも行かず、変わることのない味方が欲しかった。
救いようのないほど自分勝手な願いなことは分かっている。けれど、家族にも、友達にも、必要とされていない私はあまりに惨めだ。言い訳かもしれない。迷惑かもしれない。それでも一度くらい誰かに縋りつきたい。
焦燥感に駆られて生まれた独占欲は私の中で次第に大きくなっていく。
そんなある日、諏訪くんの家で遊ぶ機会が訪れた。
諏訪くんは「家にゲームがあるから一緒にやろうよ」なんて軽い口調で誘ってくれたけど、家を訪れた私は緊張して、借りてきた猫のようになっていた。
家には私と諏訪くんしかいなかったけれど、リビングには写真立てが飾ってあって、その中で小さい頃の諏訪くんが家族と一緒に笑っていた。
それを見て、私の中でモヤモヤと黒い感情が湧いてくる。微笑ましい写真なのに、それを見るのが辛かった。
今まで諏訪くんと友達や家族について話すことはほとんどなかった。私は訊かれたくなかったから口にしなかったけれど、諏訪くんも友達がいないんじゃないかと思っていた。いつも私と遊んでくれていたから、そんな勘違いをしてしまったんだ。
写真には諏訪くんと同い年ぐらいの女の子が写っていた。とても可愛らしい女の子で、諏訪くんと腕を組んでいる。他の写真にも彼女は写っていたし、横の諏訪くんも眩しいほどの笑顔でピースをしている。
私はその女の子に嫉妬していた。そして、諏訪くんには友達がいないと思い込んでいた自分が滑稽に思えて仕方がなかった。私なんかと遊んでくれているのだから、諏訪くんには友達がいない。身勝手な私の為に諏訪くんが付き合ってくれていただけなのに、なんて傲慢な妄想をしていたんだろう。
罪悪感に苛まれる私に、諏訪くんは「このゲームにハマっていて二人プレイできるんだけど、やらない?」と優しく話しかけてくる。純粋な瞳を直視できず、曖昧な返事しかできなかった。
私には諏訪くんしかいないけど、諏訪くんは違う。
諏訪くんには友達がいて、家族がいて、私とは違う。
ショックだったし、そのことにショックを受けている自分が醜い。目の前のゲームに集中することもできず、ミスばかりしてしまい、さらに自己嫌悪に陥ってしまう。
「ごめんね……」
「初めてやるんだから仕方ないよ」
「……足手まといになるし、私見ているよ」
コントローラーをテーブルに置くと、諏訪くんは「大丈夫だから」とコントローラーを手渡してくる。私はそれを受け取り、ミスしないように操作をするが、結局ミスを連発してしまう。
私がミスする度に、諏訪くんは「どんまい」「惜しかったね」と励ましてくれて、だからこそ、諏訪くんの優しさが胸に突き刺さる。
あれだけ楽しかった諏訪くんとの時間が苦痛になってしまった。今すぐ消えてなくなりたかった。幸野綾香という人間をこの世から消してほしかった。
でも、やっぱり諏訪くんを失うのが怖くて、帰り際に「明日も一緒に探してくれる?」と訊いてしまった。諏訪くんは「いいよ」と笑いながら答えてくれて、その返事にホッとした自分が大嫌いだった。
けれど、私は自己嫌悪に陥りながらも諏訪くんと会い続けた。今日で最後にしよう、と決意した分だけ怖くなって次の約束をしてしまう。
私の人生が大きく変わる出来事が起きたのは、それからすぐのことだった。
いつものように待ち合わせ場所にしている川原へ行くと、誰かが倒れていた。見慣れた服は遠目からでもはっきり見えて、慌てて駆け寄った。
倒れていたのは諏訪くんで、苦しそうに息をしている。
声をかけても返事はなく、私はどうすればいいのか分からず、頭が真っ白になりかけた。気が動転しつつもすぐに手を力強く握り、走りだすことができたのは奇跡かもしれない。
「助けを呼ばなきゃ……」
無我夢中で走り、泣きながら大人を探した。知らない人に話しかけるなんて普段の私では絶対に考えられないことだったけど、大人を見つけた瞬間、大声で助けを求めた。
気付いた時には病室にいて、ベッドに諏訪くんが寝ていた。呆然と立ち尽くしていた私は突然頭を撫でられてハッと現実に戻される。
「よく助けを呼んでくれたね」
医者は私にそう言った。
違う。私が嘘をついて四つ葉のクローバー探しなんかに付き合わせたから、諏訪くんが倒れてしまったんだ。そんな私を褒めたりしないでほしかった。
「和樹!」
後ろから大きな声が飛んできて、振り返ると見覚えのある女性が立っていた。
その女性は前に写真で見た、諏訪くんのお姉さんだった。
息を切らしながら、ベッドに駆け寄るお姉さんを見て、自分がしでかしたことの大きさを改めて実感し、怖くなって病室から飛び出てしまった。
こんな時に逃げてしまうなんて、私は本当にズルい人間だ。もう取り返しがつかない。終わりだ。何もかもが終わりだ。
それから三日間、諏訪くんと会う勇気がないまま、私は自分を責め続けていた。
自分を責めることで、逆に精神が落ち着かせていたのだ。それはとても卑怯なことに思える。けれど、その罪悪感のおかげで本当のことを話す決意を固めることができた。
諏訪くんの家に行き、家の前で十五分ぐらい悩んだ末にインターホンを押すと、諏訪くんのお姉さんが出てきた。しどろもどろになりながら、諏訪くんの知り合いであること、諏訪くんに会いたいことを話すと、お姉さんは諏訪くんが入院している病室を教えてくれた。
私はてっきりあの日のうちに病院から帰ったと思っていたから、入院していると聞かされた時は罪悪感が一層強まった。
諏訪くんがいる病室の前に辿り着いたものの足が震えて、手に力が入らない。嫌われているかもしれない。怖い。帰りたい。でも、もう逃げるわけにはいかない。
目を閉じて一度深呼吸をしてから、ドアを開ける。
病室に入り、真っ先に諏訪くんが目に入る。ベッドが一つしかない病室には諏訪くんしかいないようだ。ベッドの上で漫画を読んでいた諏訪くんは、すぐに私に気付き、「来てくれたんだ」と喜ぶように微笑む。
諏訪くんを見て緊張の糸が切れたのか、私はみっともなく泣き出してしまった。
嗚咽を漏らす私に諏訪くんは戸惑いながら「大丈夫?」と訊いてくる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
なんとか声を絞り出して謝るけれど、諏訪くんは「なんのこと?」と困惑しながらティッシュを手渡してくれて、余計に目頭が熱くなってしまう。
「泣かないで」
そう言って、ベッドから歩み寄ってきた諏訪くんは私の手を引いて、ベッドの縁に座るように促す。二人で並んでベッドの縁に座ると、諏訪くんは私の背中を優しく撫でてくれた。
「どうしたの?」
私は泣きじゃくりながら、本当のことを話した。
本当は四つ葉のクローバーを探していなかったこと。
見つけたけど、ポケットに隠してしまったこと。
諏訪くんと、ちゃんとした友達になりたかったこと。
上手く話すことはできなかったけど、私が言いたかったことは伝わったようだった。いつ背中を撫でる手が止まってもおかしくないと思った。いつ怒られても不思議ではないと思った。
でも、諏訪くんは笑う。
「そんなこと気にしなくてよかったのに」
予想外の返事に恐る恐る「……怒らないの?」と訊くが、諏訪くんは「なんで怒るのさ?」と訊き返されてしまう。
「だって、今まで探してもらっていたのに……。それに入院することになったのも……」
「別に好きで探していただけだし、入院したのも幸野のせいじゃないよ」
だから泣かないで、と諏訪くんは言う。
「でも、私迷惑ばかりかけていたし……ゲーム下手だし……」
「迷惑だなんて思ってないし、幸野と遊ぶのは楽しいよ」
「本当に?」
「本当だよ。そうだ、退院したら、またゲームやろうよ」
「…………」
また諏訪くんは無理をしているんじゃないかと思った私は、なんて返事をすればいいのか分からなかった。
けれど、諏訪くんが「やりたくない?」と不安そうに訊いてくるから、私は「……やりたい」と自分の気持ちを答えることにした。
彼は「じゃあ、早く元気にならないとね」と笑った。
こうして、私と諏訪くんは正式に友達になれた。諏訪くんの方は最初から友達だと思っていたようだけど、私はこの時初めて友達になれたと思っている。
そう、私はこの時――自分の命より大切な人ができたのだ。
そして――諏訪くんが心臓の病気を患っていることを知ったのも、この時だった。
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