第十八話 四つ葉のクローバー
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小学五年生の冬、諏訪くんと出会った。
彼と出会った頃の私は、めんどくさい事になってしまったな、と困っていた。
当時の私にとって一人でいられる時間はとても貴重で、大事な時間だった。家には家族がいる。学校には私をいじめる人間がいる。一日の大半は誰かと接して、嫌な思い出が蓄積される時間。放課後の一人でいられる時間だけが、心を休ませることができる。
それなのに。
「そっちはどう?」
ビクッと驚いた私は、慌てて首を横に振る。
諏訪くんと出会ってから一週間経ったこの日、彼と川原で四つ葉のクローバーを探していた。
どうやら諏訪くんは、四つ葉のクローバーが見つからないから一人で泣いていた、と勘違いしているらしく、あれから毎日手伝いに来てくれている。
四つ葉のクローバーなんて探していないのに、と罪悪感が湧くものの、本当のことを言えないまま一週間が経ってしまった。
基本的に諏訪くんとは「見つかった?」「見つからない」ぐらいしか会話をしない。知っているのは名前、同い年なこと、私とは違う小学校に通っていることだけ。
黙々と四つ葉のクローバーを探すのは、なかなか気まずい。この八方塞がりな日常を打破したかったし、誰かに弱音を吐きたいという気持ちも抱いていたが、いざこういう状況になると、一人の方が楽でいいんじゃないかと思ってしまう。
同い年の男の子に、私の抱えている問題を話してどうなる。出会ったばかりの私にそんなことを相談されても困ってしまうだろうし、引かれる可能性だってある。同情してもらえれば良い方だろう。もし諏訪くんが大人だったとしても私に相談できる勇気はなかったけれど。
「あ、あの……」
「見つかった?」
「そうじゃなくて……手伝ってもらうのも悪いし、急いでいるわけじゃないから……あとは私一人で探そうかな……なんて」
「別に気にしなくていいよ。暇だし」
「…………」
こうなってしまったら、もう四つ葉のクローバーを見つけるしかない。
なんて最初はすぐに見つかると甘く考えていたけれど、実際に探してみると全然見つからない。三つ葉が四つ葉に見えてしまったり、何時間も探し続けるのは大変だ。
結局、この日も見つからないまま明日も川原で集まる約束をして解散した。
それから次の日も、そのまた翌日も、川原で諏訪くんと会って、四つ葉のクローバーを探して、「明日こそ見つけよう」と彼に励まされて解散する日々が続いた。
そうしているうちに私達は次第に会話を増やしていき、探し飽きた日は川に石を投げたりして遊んだ。諏訪くんが投げた石は水面をぴょんぴょんと跳ねて遠くまで飛んでいき、私が投げた石は一度も跳ねることなく、ドボンと沈んでしまう。
近くの公園まで探しに行って遊具で遊ぶ日もあれば、諏訪くんが家からお菓子を持ってきてくれたり、四つ葉のクローバーを探さない日も何度かあった。そして、いつの間にか私達は自然と話し合う仲になっていた。
出会って二週間経ったある日、諏訪くんが訊いてきた。
「何か叶えたいことでもあるの?」
私は四つ葉のクローバーを探しながら訊き返す。
「叶えたいことって?」
「なんで四つ葉のクローバーを探すのか気になったから。叶えたいことでもあるの?」
今更、本当は四つ葉のクローバーを探していなかった、なんて言えるはずがない。
それに四つ葉のクローバーを見つけたら幸運になると言われている。流れ星みたいに願いごとを叶えてくれるわけではない……と思う。
でも、それでも願いごとが叶うとしたら、私は何を願うのだろうか。
私の――願いごと。
何も思いつかない。ただの例え話なのだから現実離れした願いごとでもいいのに、思いつかない。普通の家族になれますように。友達と仲良くなれますように。ハムスターが生き返りますように。それっぽいことは思いつくけど、現実的ではなくてイメージが湧かない。仮にそれらが私の願いごとだとしても、諏訪くんに言うわけにはいかないし。
「分からない」
「分からない?」
「幸せになりたいけど、どうなったら幸せになれるのか分からないの」
私の言葉に諏訪くんは「うーん」と腕を組む。
「好きな人と結婚するとか、金持ちになるとか?」
諏訪くんは提案するように言ってきたけど、どれもピンと来ない。どちらもイメージが湧かない。私からすれば、ハムスターが生き返るぐらいありえない未来にしか思えなかった。
「私、どうやっても幸せになれないのかも」
自傷的に笑うと、「そんなことないよ」と声が飛んでくる。
「楽しいと思うことだってあるでしょ?」
「どうだろう……」
私がそう言うと、諏訪くんはポケットから財布を取り出して、小銭を数えた。
そして、私の手を掴んだ。
「だったら、遊びに行こうよ」
いきなり手を握られて動揺した私は頷くことも、首を横に振ることもできずに、諏訪くんに手を引かれる。
諏訪くんについて行った先は、近所のスーパーマーケットにあるゲームコーナーだった。
メダルゲームのメダルを五百円分買った諏訪くんは「これで遊ぼうよ」とにっこり笑う。同い年の男の子に奢ってもらうなんて初めてのことだったから最初は遠慮したのだが、「一人でやっても楽しくないよ」と押し付けられる形でメダルを受け取ってしまった。
メダルゲームコーナーには様々なゲームが置かれていて、順番にやっていく。明らかに負けるように設定されているようなゲームばかりで、五百円分のメダルはすぐに減ってしまい、残り五枚になってから慎重に台を選ぶようになった。
私も諏訪くんも残り五枚をどうやったら増えるか真剣に考えて台を選び、小学五年生とは思えないほど無邪気にボタンを連打した。その甲斐あってかメダルが十七枚まで増えた時は二人で飛び跳ねて喜んだ。
結局、すぐにメダルは尽きてしまったけれど、その時だけ家のこと、学校のこと、嫌なことを全て忘れていられた。楽しいってこういうことなんだ、と思い出すような時間で不思議に思ったほどだ。
もっと諏訪くんと一緒にいられる時間が増えたらいいな。
多分、それが、私が見つけた願いごとだった。
もちろん彼には教えなかったけれど。
分岐点となったのは、諏訪くんと出会ってから一ヵ月が経った頃。
その日、下校中に転んで足を怪我してしまい、その足で諏訪くんのいる川原へ向かっていた。転んだのは後ろから突き飛ばされたことが原因で、犯人はいつもの面子。
一度、家に帰るか悩んだが、川原は家から離れていて、諏訪くんとの待ち合わせ時間に遅れる可能性があった。ひとまず、諏訪くんに事情を話してから家に帰ろうと、足を引きずるようにして川原へ向かった。
途中にある公園の水道で血を洗い流したものの、えぐれた部分は目立つ。痛みよりも傷ついた足を諏訪くんに見せるのが苦痛に感じた。
「どうしたの? 大丈夫?」
案の定、私を一目見るなり、足の傷に気付かれてしまい、私は手で足を隠しながら「大丈夫」と笑って誤魔化そうとした。
けれど、諏訪くんは「家から絆創膏を持ってくるから待ってて」と言い残して、一人走り出す。断ろうとした言葉を呑み込んで、走る諏訪くんの後ろ姿を見つめた。
また迷惑をかけてしまった。欲しくもない四つ葉のクローバーを探させて、ゲームセンターで奢ってもらって、絆創膏まで取りに行かせてしまい、なんだか申し訳ない気持ちになった。
いつかお礼がしたい。でも、そのいつかはやってくるのだろうか。私が仲良くなりたいと思った人間は私がいなくても問題なく生活をして、私の前から消えてしまう。
最初は家族も友達も大事だった。でも、私が大事に思っていても、彼らは私のことを大事に思ってくれるわけではない。私が近付こうとすると、真逆の結果になってしまう。
諏訪くんとはもっと仲良くなりたいけど、今までと同じような結末になってしまいそうで不安だ。この関係はいつまで続くのだろうか。
しばらく一人で俯きながら考え込んでいると、足元にクローバーが生えていた。
三つ葉ではない。
一、二、三、四。
心臓が締め付けられる。
足元のクローバーを地面から抜き、手に持って、もう一度数える。
一、二、三、四。
それは確かに四つ葉のクローバーだった。
多分、四つ葉のクローバーを見つけた人間は少なからず喜ぶと思う。幸せになれるなんて信じていなくてもラッキー程度には思うはずだ。
だけど、私は、四つ葉のクローバーを見つけてしまったことが、とても怖かった。
私と諏訪くんの関係はなんだろう。
諏訪くんにとって私はなんなのだろうか。ただ単に四つ葉のクローバーを探してくれているだけで、彼にとって私は何者でもないんじゃないか。いや、迷惑ばかりかけているんだから、煩わしく思っている可能性だって……。
この四つ葉のクローバーを諏訪くんに見せたら、私達の関係は終わってしまう。
そう思ったら怖くてたまらなくなった。また一人になってしまう。それは嫌だ。もっと諏訪くんと一緒にいたいし、お礼だってしたい。
「お待たせ」
後ろから声が飛んできて、私は慌てて四つ葉のクローバーを隠すように握りしめる。
諏訪くんは私の為に全力で走ってきてくれたのだろう。肩を上下に動かして息をしている。
手に持っていた絆創膏を受け取った私は、呟くように「ありがとう」とお礼を言う。嬉しいけど、凄く恥ずかしい気持ちだった。にっこり微笑む諏訪くんが眩しくて、目を合わせられない。
こんなにも諏訪くんは優しいのに、私はなんてズルい人間なんだろう。
四つ葉のクローバーをポケットに入れながら、そう思った。
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