第十三話 問題


 13


 五月二十六日。夕方。


「今日もお疲れ」


 校門の前には、にこにこしながら手を振る幸野がいた。


 僕はため息をつき、彼女を見なかったものとして素通りしようとする。


「ねぇ、無視しないでよ」


「学校に来るなって何度も言っているだろ」


 あの日から幸野が校門の前で待ち伏せをするようになった。学校での扱いを知られたくない僕からすれば好ましくないことなのだが……。


「どうして? 私が来たら困ることでもあるの?」


 と、素直にきょとんとした顔で訊いてくるから困ってしまう。


「あ、ひょっとして浮気しているんじゃ~?」


 悪戯っぽく笑いながら揶揄ってくる幸野。


「……バレてしまったのなら仕方ない」


 深刻そうな顔で揶揄い返す僕。


「え……? 嘘だよね……?」


「嘘」


「…………」


「いてっ、悪かったって」


 幸野にぽこぽこと肩を軽く叩かれている光景は、傍から見たら仲の良い恋人にしか見えないだろう。これが打算的な関係だと誰も思わないはずだし、現に僕達は、仲良くなった、と思う。


 もし、幸野が生き続けられるとしたら、僕はどうするのだろうか。


 ありえない未来だけれど、考えてしまう。彼女が死なずに今の関係を続けられるのなら、それも悪くないんじゃないか、と。最初はあれだけ鬱陶しい存在だったのに、今となっては彼女と過ごす時間が唯一の楽しみになっている。今の僕には幸野しか親しい人間がいないから、こうなることは必然だったのかもしれない。


 幸野は表面だけ見れば明るいが、どこか無理をしているようにも見える。自分を卑下したり、彼女の口から時折零れる言葉に心が痛むこともある。親に暴力を振るわれていたなんて、普段の彼女からは想像がつかない。


 身代わりになる前の幸野は今の僕よりも悲惨な人生を送っていたのかもしれない。そんな彼女を僕は利用しようとしている。罪悪感が湧かないはずがない。


 このまま最後まで彼女の恋人を演じ続けるべきか何度も考えたほどだ。


 でも、それでも、僕は拳を強く握る。


 一時の気の迷いで人生を台無しにするな。幸野が身代わりになれば、また元の生活に戻れるかもしれないんだぞ。前に読んだ小説のように死別で終わりなんて望んでいないだろ。身代わりになってもらう為に幸野と仲良くなったんだ。自分の為、それを忘れるな。


 順風満帆だったあの頃に戻る。


 余計なことは考えない。


 だから、僕は仮初の恋人を演じ続ける。


 しかし、そうも言っていられなくなる。


 問題が起きたのは、六月八日の朝。


 僕が登校するのはいつもホームルームが始まるギリギリの時間。教室のドアを開けると、チラッとクラスメイトがこちらを見てくるが、すぐに視線を逸らされた。目を合わせたらいけない奴が来た、みたいなそういう空気を肌で感じる。いつまで経っても慣れそうにない。


 窓際にある自分の席に座り、誰とも目を合わせないよう見飽きた外の景色に顔を向ける。すぐにドアが開く音がして、担任が入ってきたのかと思いきや、周りの雑談は続いたまま。僕より後に入ってくる生徒がいるなんて珍しい。僅かに聞こえる足音が少しずつ大きくなり、こちらへ近づいてくるのが分かった。


 そして肩をツンツンと突かれ、驚いて振り返る。


「おはよう」


 目の前に幸野がいた。


 制服姿の幸野がいた。


 入学式で目を奪われた時より少しだけ大人びて見えて、懐かしいようで新鮮さのある不思議な光景。正直、今も見惚れかけて困っている。


「……なんで?」


「あはは、ビックリした?」


 呑気に幸野が笑うと、周りの視線が集まる。クラスの嫌われ者と不登校だった生徒が会話しているんだ。皆、不可解な表情を浮かべている。


「なんで学校にいるんだよ」


「諏訪くんを驚かせたくて来ちゃった」


「来ちゃったじゃなくて……」


 と言いかけたところで、担任が教室に入ってきた。


「早く席に……ん?」


 どうやら担任も幸野が学校に来ることを知らなかったようだ。元々、二年生になってから一度も出席していなかったから、幸野の机を用意したりでホームルームの時間はほとんど潰れた。


 休み時間までの間、ずっと動揺していた。このタイミングで幸野が学校に来るのは予想外だった。いや、そもそも予想なんてできるか。


 順風満帆だった僕がクラスでハブられていることを幸野に知られるわけにはいかない。今日一日、何がなんでも隠し通してみせる。半年かけて彼女との距離を縮めたんだ。今更、嫌われて全てを台無しにされてたまるか。


「諏訪くん、なんか元気ないね」


 休み時間、幸野の第一声がそれだった。


「幸野がいきなり学校に来るからだよ」


 そう答えると、幸野は首を傾げた。


 休み時間になっても相変わらず視線を集める幸野ではあったが、真っ先に僕のところへ来るので、他の誰かと会話することはなさそうだった。


「学校に来て、体は平気なのか?」


「大丈夫だよ。普段から二人で出掛けているでしょ」


 幸野の発言で、周りの視線が鋭くなった気配がした。主に男子から。


 妬みを買わないようにしなければ、と思った矢先に幸野が耳元で囁いてくる。


「それに十月十日まで死なないから」


 周りの視線が余計に鋭くなった気がする。


「十月十日?」


「私が死ぬ日」


 にこっと笑う幸野。


 いや、にこっと笑うようなところじゃないだろ。


 その後も休み時間になる度に僕の席へやってきて、他の生徒とは一度も会話していない様子だった。まぁ、いきなり学校に来たクラスメイトと会話するのはなかなか勇気がいるし、僕への陰口も一緒にいれば耳にすることはないはずだから、今日一日ぐらいなら致命的なバレ方はしないだろう。


 案の定、何もないまま学校が終わり、幸野と二人で帰路につく。


「諏訪くん、授業中に外ばかり見てないで、ちゃんと先生の話を聞かなきゃ駄目だよ」


「同じ授業をもう一度聞くのは退屈なんだから仕方ないだろ」


 幸野の様子はいつもと変わらない。上手く乗り切れたようだ。


「今日、幸野が学校に来て思ったことなんだけど、仮に十月まで死なないにしてもそれまで体調を崩さないとは限らないし、あまり無茶しない方がいいんじゃないか?」


「無茶してないよ。それに八月十五日まで平気だから心配しないで」


「八月?」


「葛本くんは八月十五日に入院をして、それから学校へ来ることなく十月十日に亡くなったの。逆に言えば、それまでは大丈夫だよ。きっと」


「……そういうのはもっと早く言ってくれよ」


 初耳である。つまり八月からずっと入院していて、そのまま死んだってことだろ。入院してしまえば、身代わり石を投げに行けるかも怪しくなる。


「じゃあ、もし大地と全く同じ流れで症状が進むのなら自由に外出できるのは、あと二ヵ月ちょっとしか残されていないわけになるのか」


 かもしれないね、と呑気に言う幸野。


 予想していなかったわけではないが、そろそろ彼女に身代わり石を投げさせないとまずい。幸野が僕の身代わりになってくれるように、さりげなく誘導しなければ。


「そういうことだから今のうちに諏訪くんとの学校生活を満喫しておこうって思ってね」


「だったら、今からどこか行くか? 制服デートするなら今日しかないんだし」


 僕がそう言うと、幸野は「何言っているの」と笑った。


「今日から夏休みまで毎日通うつもりだよ」


「は?」


 本気で言っているのか。


 いや、どう見ても本気だ。


 この真顔は本気だ。


「いきなりどうしたんだよ。今まで学校に来なかったのに」


「だって暇なんだもん。家にはいたくないし、一人で外にいるのも退屈だし」


 頬を膨らませて不満を漏らす幸野は「それに」と付け足す。


「それに……?」


「それに諏訪くんと会える時間が増える……でしょ?」


 モジモジと照れながら上目遣いする幸野は不本意だが、とても可愛い。



 けれど、お願いだから学校には来ないでくれ。

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