第十一話 ベタな終わり方


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 五月五日。昼。


「あっ、あった! ここだよ、ここ!」


 幸野に手を引かれて連れてこられたのは、商店街にある古びた喫茶店。彼女の話によれば、ここのパスタがとてつもなく美味しいらしいのだが……。


「ここで合っているのか?」


「うん? どうしたの?」


 薄汚れた窓、今にも倒れそうな扉、握っただけで取れそうなドアノブ、何個か電球が割れているスタンド看板、レトロを通り越して廃墟とも言える外観である。商店街を歩いている時に何度か目に入ったことはあったが、営業中と書かれたプレートがなければ、潰れた店だと勘違いしていただろう。期待するには程遠い雰囲気だし、仮に美味しくてもデートで来るような店ではない。絶対に。


「もしかして、疑っている?」


「もしかしなくても疑っている」


「本当に美味しいんだって! 絶対にハマるから! 信じて!」


 分かりやすく苦い顔をしながら店に入ると、幸野は僕の顔を見て、嬉しそうに笑った。


 店内は予想していたよりも綺麗で、僕達の他にも年配の客が数人いた。腰の曲がったおばあさんに席へ案内されている最中、店の奥でよぼよぼなおじいさんが調理しているのが見えた。二人とも雰囲気が似ていて、夫婦であることは一目で分かった。


 老夫婦が経営している店で不安はあったが、意外と今時の喫茶店らしいメニューが並んでいる。その中から幸野が激しく勧めてきたトマトとモッツァレラのパスタを頼むことにした。


「ここ、私のお気に入りの店なんだ」


「……不安だな」


「なんでそんなに疑うの?」


 幸野と付き合い始めてから五ヶ月が経ち、僕は幸野の恋人として上手くやれていた。最初の頃はいろんな場所に連れていかれたり、病院に付き添いをしたり、煩わしく思っていたが、最近はそうでもない。


 幸野の相手をしていなければ一人で暇を持て余していただろうし、外見だけ見れば幸野は美人の分類だ。外を歩けば周りの視線を集める。その視線を浴びることが密かな楽しみになっていた。と、そんなことを言ってしまったら、美人な彼女を連れて歩くことに対して優越感に浸っているように見えるが、そういうわけではない。


 馬鹿なカップル共に現実を叩きこんでやれるのが爽快だった。身代わりになってから、視界に入るカップル全てが「自分達は特別な恋をしている」と勘違いしているように見えて仕方なかった。偶然近くにいただけで、特別な恋でもなんでもない。中には妥協した恋を、特別で、尊いものだと信じ込んでいるカップルさえ見かける。


 しかし、そんなカップルでさえ、幸野が横を歩けば目を奪われるのだ。彼氏の視線に気付いた彼女が顔をしかめているところも何度か見たことがある。もしお前が幸野と付き合えるとしたら、今の彼女とどっちを選ぶのか。お前は自分の恋を最良の恋だと信じたいのかもしれないが、それはただの妥協した恋だ。手に届きそうだったから、たまたま近くにいたから、異性なら誰でも良くて、周りに見栄を張りたくて、お前らの恋は特別でもなんでもないんだ。


 否定したい。


 僕が手に入れることのできなかった夢想を全て否定したい。


 我ながら本当に性格が悪くなった、と思う。何もかも身代わりになったことが原因。あの石の代償で、こんな捻くれてしまったんだ。


 そう言い訳をする度に自己嫌悪に陥る。もう石のせいにしなくてもいいのに。僕はなんで言い訳を考えてしまうのだろう。まだ僕は身代わりになる前の純粋だと自称していた頃の自分を捨て切れていないのだろうか。


「はい、お待ちどおさま」


 おばあさんの声でハッと意識を戻すと、目の前には山盛りのパスタが置かれていた。


「さ、食べてみてよ」


 目をキラキラさせて期待に満ちた眼差しを押し付けてくる幸野。


「やけに量多くないか?」


「それで普通なんだよ。少なめでこれだもん」


 そう言って自分の前に置かれたパスタを指差す。確かに彼女の方が半分くらい少ない気がするが、それでもそこそこ量がある。


「いただきまーす」


 幸野が両手を合わせているうちに一口目を味わう。


「美味しい……」


 思わず、口から言葉が漏れる。


「でしょぉ~」


 嬉しそうにドヤ顔をする幸野には、してやられた感があって若干悔しいが、確かに美味しい。どちらかと言えば、そこまでモッツァレラが好きじゃない僕でも自然と二口、三口と続く。


 店の外観などで不安は抱いたものの、実は少しだけ期待していた。


 この五ヶ月間、意外なことに幸野が勧めてくるものに外れがなかったからだ。幸野と上手くやれていたもう一つの理由とも言えるだろう。


 どうやら僕と彼女の好みは近いようで、彼女の自己犠牲で夢見がちな部分を除けば、一緒に行動していて不快に感じることはほとんどない。その不快に思う夢見がちな部分でさえ、身代わりになる前の僕とそっくりだし、最大の長所として受け入れていただろう。


 こんな出会い方じゃなければ、ひょっとしたら僕達は本当に恋人になれていたかもしれない。それこそ身代わりになる前の僕が信じ続けられるような特別な恋を。


 ――虫唾が走る。


 馬鹿みたいな考えは捨てろ。幸野は半年以内に死ぬ。ありえない未来を夢想して、彼女に情でも移ったらどうする。余命僅かな彼女を利用して、元の生活に戻るんだろ。優先するべきは自分の人生だ。決して、彼女に同情や共感をしてはいけない。


「もう食べ終わったの? 早いね」


 無言で山盛りだったパスタを食べ終えると、幸野が驚いた。自分でも案外早く食べれたな、とは思うが、食べきれない量ではなかった。


 その一方で、幸野の手は止まっていた。


 少なめで頼んでいた幸野ではあったが、食べきれずに残していた。大地の身代わりになってから小食になったとは言っていたが、当の本人も食べきれなかったのは意外だったようで、ショックを受けているようにも見えた。


「……食べる? ここら辺は綺麗だと思う」


 憐れむような目で見ていたのか、僕の視線に気付いた幸野は誤魔化すように笑った。


 ここで断ったら余計に気まずくなりそうで、幸野からパスタを受け取り、黙々と食べる。


 僕が食べ終わるまで、幸野はジッと眺めるように見ていた。


 長めの食休みをとってから喫茶店を後にして、商店街をぶらぶらと歩く。会話もせずに並んで歩いているだけ。でも、幸野はどこか嬉しそうであった。


 行く当てもないまま歩き、これといった理由なく本屋に入った。


 小さい頃からある老舗で、品揃えもそこまで良くないが、たまに千秋と来ていた。


「へぇ~、これ映画化するんだ」


 幸野が手に取ったのは、クリスマスまで生きたいカブトムシが主人公の小説だった。帯には「映画化決定!」と大きく書かれている。


 まじまじと見ていた幸野だったが、すぐに置いて、横にあった本を手に取る。


「これ、私のオススメ!」


 そう言って、僕に見せてきたのはテレビやネットで話題になっていた恋愛小説だった。こっちの帯にも「実写映画化!」と目立つように書かれている。


「諏訪くんも絶対にハマるから読んでみてよ!」


 幸野は自信満々に言い切った。


 けれど、その小説は今の僕からすれば、外れとしか言いようがなかった。


 身代わりになる前、千秋に勧められて読んだことがあった。ジャンルは恋愛小説で、簡単に言ってしまえば、「お涙頂戴モノ」である。女子高校生が主人公で、同い年の幼馴染と付き合い始めるが、ストーリー中盤で彼氏が不治の病であることが発覚する。あとは難病モノのテンプレ通りにスペックの高いクラスメイトに告白されるが、主人公は最期まで彼氏の恋人でいることを選ぶ。そして最後は彼氏が死んで、残された主人公が彼氏の分まで生きると決意する。


 読んだ当初は切なくて泣いたし、ハマったと言って差し支えない。幼馴染である千秋と付き合っていたから、読んでいて苦しくなるほど主人公達に感情移入してしまったのだ。


 だから、今回も幸野に対して的外れとは言えなかった。


 でも、今の僕にとっては外れである。


「それ読んだことあるけど、ハマらなかったな」


「え……?」


「個人的に最後が受け付けなかった。『こうすれば泣くんだろ』ってバッドエンドなのに無理やり綺麗にまとめた感じがして、合わなかった」


 こういう作品が存在するから、僕や幸野は夢を見て身代わりになってしまうんだ。助からない恋人を選ぶことが、死んだ人のことを想い続けることが、あたかも尊く美しいものであると勘違いさせる。本当に主人公のことが大切なのなら、彼氏は病気であることを隠して別れを告げるべきだし、主人公も新しい恋人を作って一生に一度しかない人生を堪能するべきだ。


 ある種の暴力だ。病に伏している恋人を見捨てる人間は薄情者だと思わせてしまうような価値観の押し付け。こんなのを読んでしまったばかりに、僕は千秋を見捨てられず、軽率な考えで身代わりになってしまったんだ。


「私はあの最後だから好きだけどなー」


「死んだ彼氏に執着したまま生きることが?」


「うん、強くてかっこいいと思う」


 それを聞いて、反射的に「強くてかっこいい?」と呆れた言い方で訊き返す。


「最後、主人公が彼氏の後を追って自殺しようとするけど、彼氏に説得されて生き続けることを決意するでしょ。大切な人がいなくなっても、悲しませない為に一人で生き続けるって凄く素敵なことだと思うの。もし同じ立場になったら、私には……できないかな」


 それは強いじゃなくて、壊れているだけだ。死人は悲しんだりしない。他の誰かと結婚したって文句は言わない。素敵でもなんでもない。


 突発的に出かかった言葉を呑み込み、自分を落ち着かせる。


「じゃあ、幸野が死んでも後を追わないように善処するよ」


「……私が死んだって別にショックじゃないでしょ」


 幸野は揶揄われたことに少し遅れて気付いたのか、少し不機嫌な顔をして言った。


「そんなことはない。きっと二日間くらいは泣くと思う」


 そう言って笑いながら本屋を出るが、「短い」とかそういう類のツッコミは飛んでこなかった。しばらく歩いたところで、幸野の顔色を窺うと目が合った。


「……ねぇ、諏訪くん」


「なに?」


「私達って……恋人でいいのかな?」


「いきなりどうした」


「いや、だって、最初は揶揄われているのかなーと思っていたんだけど、前にお姉さんと会った時に彼女って紹介していたから、本当に彼女なの……かなって、ずっと気になっていて」


 ずっと気になっていて、って四ヵ月も前の話だぞ。


「今更、何言っているんだよ。それとも僕じゃ不満?」


「え? そ、そんなことないけど! 私なんかで本当にいいのか心配で」


「幸野は卑屈に考えすぎだ」


「でもでも! 私と付き合っていた期間が黒歴史になるかもなんだよ?」


「黒歴史ってなんだよ……。幸野は可愛いんだし、もっと自分に自信持てよ」


 適当に励ますと、幸野は「か、か、か、かわっ……」と顔を赤くさせながら顔を赤くさせていた。揶揄ってはいるが、まぁ、実際可愛いし。


「可愛くなんかない……」


「はいはい、可愛い可愛い」


「……ッ!」


 時々考えてしまう。


 幸野が夢見がちでなければ……。


 あるいは僕が夢を捨ててなければ……。


 夢想にふけったところで意味なんてなく、自己嫌悪に陥るだけなのに。


 僕は決して――あの小説の主人公と同じ選択はしない。


 あんなベタで救いようのない終わりを――望んでなんかいないのだから。

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