第十話 理解したくない
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「こんなところで寝てないで、自分の部屋で寝ろよ」
「うるさいなぁ。どこで寝ようと勝手でしょ」
一月五日。昼。
家にいるのは僕と姉だけ。父は会社の人と釣りに、母はアイドルグループのライブで、二人とも朝早くに家を出た。そして残った姉をリビングから追い出そうと奮闘しているのが、今の状況である。
「これからクラスメイトが家に来るんだよ」
「はぁ? 正月に呼ばないでよ。っていうかアンタ、友達いたの」
露骨に嫌な顔をする姉がソファの上から移動するビジョンが見えない。それどころか大きなあくびをして、自分の右腕を枕にして目を瞑る。駄目そうだ、これは。
諦めかけていたその時、チャイムが鳴った。
彼女が来る予定の時間より十分以上早いが、到着してしまったらしい。
「ほら、早く部屋に行って」
急かすように肩を揺さぶると、流石の姉もぐうたらしている姿を知らない人に見られたくないのか億劫そうに起き上がった。
「……あ~もう、せっかくの正月なのに」
ぶつぶつ文句を言いながらソファから移動する姉は不機嫌そうに頭を掻く。正月とか関係なく、いつもゴロゴロしているだろ。
二回目のチャイムが鳴り、のそのそと廊下を歩く姉の横を通って玄関の扉を開ける。
そこには、いつもの鞄とコンビニ袋を持った幸野が立っていた。
「こんにちは」
緊張しているのか、ややぎこちない笑みを見せる。
「道に迷わなかった?」
「うん、すぐに分かったよ」
住所が書かれた紙を渡しておいたのだが、家の周りには同じような外観の一軒家が多く、探すのに手間取ると思っていた。予定時間より早く着いた辺り、余裕を持って来ていたのかもしれない。
玄関で靴を脱いだ幸野は「あ、お邪魔します」と会釈する。
彼女の先にいたのは、階段の前で階段を立ち止まっていた姉だった。
姉は理解不可能といった顔で、こちらを見ながら「どうも」と返す。
「えーっと、どちらさん?」
恐る恐る幸野に尋ねる姉。
「諏訪くんと同じクラスの幸野綾香です」
「綾香ちゃんね……。和樹とはどういう関係?」
姉にそう訊かれた幸野はチラッとこちらを見て、恥ずかしそうにモジモジする。
だから、代わりに僕が答える。
「彼女だよ」
「は……?」
腑抜けた姉の声。
「付き合っているんだって」
姉は眉間にシワを寄せて、頭に手を置く。まるで明日世界が滅ぶと知らされたかのような反応だ。
「……綾香ちゃん?」
「はい?」
「和樹に弱みでも握られているの?」
幸野は「え?」と驚き、僕は「弱みなんて握ってねぇよ!」と的確にツッコミを入れる。
「初対面で失礼なんだけど、こんな奴のどこがいいの?」
僕の顔を見る姉の目は、胡散臭い詐欺師を見る目と同じである。あと、僕に対して失礼だと思わないのか。
「えっと……」
その一方で僕の顔を見て、頬を赤らめる幸野は盲目的に騙されているような顔に見える。
どうやら僕に対して好意を抱き始めているのは間違いないようだ。大地の為に身代わりになったというのに、自分に好意を寄せる男がいると知ったら、簡単に落ちる。自分のことを好きな人が好きになる典型的で分かりやすい人間である。
別に幸野綾香は一途ではないのだ。単に恋をしている自分に酔っている。花に憧れているのも悲劇的なヒロインに酔いしれる為のこじつけかもしれない。
「全部ですっ!」
笑顔でそう答える幸野に、姉は渇いた苦笑いで答える。「ごゆっくり」と言い残して、逃げるように自分の部屋に戻る姉の姿は心許ない足取りだった。千秋と付き合い始めた時も同じような反応をしていた辺り、先に恋人を作られたことがショックなのだろう。多分。
「悪かったな。姉貴はなんでもそのまま言うタイプだから」
「ううん、かっこいいお姉さんだね」
「かっこいい? 姉貴が?」
うん、と幸野は頷く。さっきので、どこがかっこよかったのだろうか。恋をすると相手の家族まで盲目フィルターにかかってしまうのか。恐ろしい。
幸野をリビングに案内してソファに座らせる。適当にお茶を出すと、「あ、そうだ。これ、一緒に食べよ」とコンビニ袋を渡された。中にはよく見かけるお菓子が多数入っている。
「適当に選んだから合わなかったらごめんね」
「これはお姉さんに渡した方が喜んでくれるかも」と袋から出した甘ったるそうなチョコレート以外は煎餅みたいな地味なスナック菓子ばかりで、普通だったら「本当に適当に選んだんだな」と思わざるを得ない間違ったチョイスなのだが、甘いものが苦手な僕に対しては正解と言えるチョイスであった。
「こっちも適当に部屋から持ってきたから、好きなの選んで」
テレビゲームのソフトが数十本以上入っているおもちゃ箱みたいなケースを見せると、幸野は「沢山あるね」とはしゃぐように漁り始めた。
家でのんびりゲームする、というのが今日のデート。一昨日の登山デートでは休憩を挟んだり、幸野の体を気遣うのに疲れてしまった。外で何かあっても困るし、室内にいた方が気が楽だ。
それにどこまで僕が信用されているのかを確かめることもできた。普通なら二回目のデートで家に誘われるなんて警戒されるだろう。でも幸野はあっさり「え、諏訪くんの家行っていいの?」「行きたい!」と警戒のけの字も見せなかった。僕が信用されているというより恋を綺麗なものと勘違いしている方が正しい気もするが、今のところは順調と見て間違いないだろう。
「ねぇ、諏訪くんのオススメはどれ?」
ゲームソフトを漁る幸野に訊かれて、僕は返答に困ってしまう。
「これかな」
誰でも知っている有名なアクションゲームを取り出す。協力プレイもできて、身代わりになる前は千秋と一緒にやったこともある。
「へぇ、懐かしいね。他にはある?」
「他は……ないかな」
「これだけ沢山あるのに?」
「ほとんどやったことがないから、どれが面白いか分からない」
「え? これ諏訪くんのじゃないの?」
「部屋にあったから自分のだと思うけど、身代わりになる前はこんなに持ってなかった」
「……身代わりになったら部屋にあったってこと?」
「そう」
ゲームが入っているケースはこの世界線の部屋に置かれていたもので、身代わりになる前の部屋にはなかった。流行りのゲームは周りの会話についていけるように買っていたが、サッカー中心の生活だったから周りがやらなくなると同時に売っていた。
だから、ここにあるゲームの中にはやったこともなければ、存在すら知らなかったタイトルもある。さっき幸野にオススメしたゲームを含めて、小さい頃に千秋や姉と遊んだ一部のゲームしか分からない。きっと、走れなかった僕は運動もせずにゲームばかりやっていたのだろう。
「じゃあ、諏訪くんがオススメした『これ』やろうよ」
幸野からソフトを受け取り、準備をする。コードをテレビに繋いで電源をつけると、レトロゲーム特有の音楽が流れて、タイトルが表示された。ゲーム機本体は姉の物で、僕が生まれた頃に発売されたやつだ。
「これで大丈夫なはず」
二つあるコントローラーの片方を幸野に渡し、僕もソファに座る。横に座った瞬間、幸野がチラッとこちらを見て、すぐに画面に目線を戻した。
照れるように下唇を噛む幸野を不覚にも可愛いと思ってしまった。
考えてみれば、千秋以外の女子と家で二人っきりになるのは、これが初めてだ。正確には姉もいるが、室内で女子と二人っきりになった経験は僕もあまりない。
こんなことでいちいち気にしていたら、男慣れしていない幸野と大差がないではないか。しっかりしろ、自分。
ステージが進むごとに千秋との記憶が蘇る。僕も千秋もゲームは上手い方ではなかったけど、息ピッタリのコンビネーションでスムーズに進めていけた。
だから、知り合ったばかりの幸野が相方じゃグダグダになると思っていた。
ところが――意外にも幸野が上手い。
上手いというより僕に合わせてくれている。以心伝心とも言えるような操作で、僕をサポートする幸野の操作は明らかに初心者のモノではない。
「ひょっとして、このゲームやったことある?」
「うん、あるよ」
画面に夢中のまま幸野が答える。
「意外だな」
「そう? そんなにゲームしてなさそうに見える?」
「いや、一緒にやる友達がいたなんて」
僕がそう言うと、幸野がミスをして敵に当たってしまった。
「……なんで分かったの?」
「どう見たって協力プレイに慣れている動きだろ」
そう、どう見ても味方をサポートすることに専念した動きだ。それも僕の動きを先読みするかのような操作。これを一人プレイで身に付けられるとは考えにくい。
「前に『友達もいない私に価値なんてない。だから私みたいな人間が身代わりになるべき』とか言っていたわりに友達がいたんだな」
いたよ、と小さく呟くように幸野は答えた。
悲劇のヒロインぶる為に友達がいない設定になっているのか。友達が可哀想だな、なんて脳内で言いたい放題言っていたが、しばらくして幸野が口を開いた。
「その友達、死んじゃったんだけどね」
一瞬、気まずい空気が流れるが、平静を装ってゲームしながら会話を続ける。
「死んだ? 事故にでも遭ったのか?」
「ううん、病気」と幸野も画面を見ないまま平然と答える。
「亡くなる前からもうじき危ないとは聞いていたんだけどね。私、心の準備が出来ていなかったから……」
幸野の声よりボタンを押す音の方が大きい。
「それはショックだっただろうな」
「ショックだったよ」
テレビから流れるBGMとボタンの音にかき消されそうな声。静まり返っているわけではないのに普段よりハッキリ時計の秒針音が聞こえる気がする。
「でもね。心の準備を出来ていなかったのはきっと彼の方だったと思うんだ。私がショックを受けたのはそっちで、なんか残酷に思えたの」
横目で幸野を捉えながら「残酷?」と独り言のように口にする。
「自分の思い通りに死ぬのって難しいんだなーって。彼が死ぬまで、自分の親しい人間だけは事故に遭うことも、事件に巻き込まれることもなく、最期を見届けられると思っていたんだ。そんなことありえないってニュースを見ていれば分かるのにね」
幸野の言いたいことは分かる。
けれど、ちょっとだけ幸野らしくないように思えた。
「まさか『自分で死に方を選べるのは幸せな事なんだよ。だから私は身代わりになった』なんて言い出さないよな?」
「あ、バレちゃった?」
嬉しそうに笑う幸野と大きなため息を吐く僕。
「理解できないな」
「どうして? どうせ死ぬなら人を助けて死にたいでしょ? 諏訪くんは誰かの身代わりになって死ぬより通り魔に刺されて死ぬ方がいいの?」
「なんで通り魔に刺されて死ぬことが前提なんだよ!」
僕が鋭いツッコミを入れると、幸野は面白おかしく笑う。
「そうだね、諏訪くんはきっと平穏な最期だと思うよ」
「だけど、私は違うんだよ」と幸野は口にする。
「私の人生は通り魔に刺されて死ぬよりも悲惨な人生になっていたと思うの」
画面にボスが出てきても僕達はボタンを押して、会話を続けるだけ。
「諏訪くんだって通り魔に刺されると分かっていたら、身代わりになった方がマシだと思うでしょ?」
「……無駄死にするぐらいなら身代わりになった方がいいと思うけど、なんでそこまで自分の人生は悲惨だと信じられるんだ? 生きていたら人生なんていくらでも変わるだろ」
しかし、幸野は「変わらないよ」と言い切る。
何故、そこまで自信満々に言い切れるのか。
「なぁ、幸野」
「なに?」
「ひょっとして、その亡くなった友達って大地なんじゃないのか? 本当は付き合っていたけど、僕に明かすのが恥ずかしくて、会話したことがないことに……」
僕がそう言いかけると、幸野は「違いますー」と笑う。
「私が付き合うのは諏訪くんが初めてだし、最後だよ」
こちらを向いて無邪気に笑う幸野。テレビの画面にはゲームクリアの文字と打ち上がる花火。
「やっぱり理解できないな」
「きっと諏訪くんには理解できないと思うよ」
「あっそ」
「不貞腐れないでよ!」
僕を揶揄うように笑う幸野は、一年後には生きていない。なのに、どうしてこんなにも幸せそうに笑えるのか。僕には理解できないし、理解したくない。
それから適当に雑談をして、他のゲームをやって、空が暗くなる前に幸野は帰った。
「アンタ、彼女がいたなんて聞いてないんだけど」
部屋の前で姉が不服そうな顔で睨んでくる。
「言ってないんだから当たり前だろ。あとこれ、幸野が姉貴に渡してくれって」
「あ! 私の好きなチョコレート! 分かっているじゃん、あの子。アンタには勿体ない彼女だね」
姉の嫌味に「うるさい」と返して、僕は自分の部屋に戻った。
その後も幸野とはほぼ毎日のように会った。
川原で四つ葉のクローバーを探したり、家で勉強をしたり、公園で駄弁ったり、水族館や動物園に行ったり、千秋と行ったデートスポットに行ったり、とにかく幸野にとって最も親しい人間になるように努めた。
バレンタインデーには手作りのマフラーを貰い、ホワイトデーにはお返しとしてダサいキーホルダーを渡し、お揃いということで同じキーホルダーを付けるハメになった。
そして、あっという間に月日は流れ、桜が舞う四月。
幸野綾香が死ぬまで――半年を切った。
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