第九話 自己肯定
9
「諏訪くん、お待たせ」
えへへ、と照れ笑いしながら現れた幸野。
えへへ、じゃない。三十分遅刻だ。
一月三日。朝。
この日はデートする為に駅の改札で待ち合わせをしていた。普段とは少し違う雰囲気の幸野はグレーのセーターと淡いピンク色のタイトスカートを履いている。どうやらデートということで、彼女なりにお洒落をしてきたようだ。
「今日はいつもと服装が違うような」
「え、えっと! せっかくのデートだから……その、変じゃない?」
しどろもどろに答える彼女に、僕は彼氏らしく褒める。
「変じゃない。似合っている」
モジモジしながら顔を赤くさせる幸野は褒められるのに慣れていない様子だった。
チョロいもんだな、と思う。
幸野と付き合い始めて一週間以上が経った。
――僕と付き合わないか。
遊園地に行ったあの日、僕は幸野に告白をした。
彼女にとって一番大切な人間になって、もう一度身代わり石に玉を投げてもらう。本当にサガリバナに憧れていると言うのなら投げられるだろうし、投げられないのなら幸野綾香も人並みの価値観を持っていたことになる。
どっちに転ぼうと、僕は良かった。どちらに転んでも幸野の馬鹿みたいに純粋な考えを壊せる。今、僕が求めているのはそれだけだ。
唯一の問題は幸野がオーケーを出すかどうかだった。
迷惑になるから、なんて理由で大地に告白していなかったが、幸野自身は別に恋がしたくないわけでもなさそうに見えたし、川原で僕を引き止めたり、人恋しさを感じているのは確かである。
でも、幸野なら「葛本くん以外の人は好きにならない」とか「死ぬまで葛本くん一筋でいたいの」なんてロマンチックなことを言いだしてもおかしくないと思えた。
それでも死ぬまでの期間で、恋人じゃないにしても彼女にとって親しい人物になるのは容易だと考えていたし、あれだけ自分の命に価値がないと言うのだから身代わりになってもおかしくないだろう。
まずは幸野の反応を見て、それから慎重に動いていこう。
と、そこまで考えていたのだが。
「……どういう意味?」
幸野は状況を呑み込めずに困惑の表情を浮かべる。
「そのままの意味」
僕がそう答えると、幸野は取り乱しながら「そのままって……え? え? え? え?」と手をバタバタさせる。
「死ぬまで一人なんだろ。いつも川原で暇そうだし、せめて遊び相手ぐらいにはなってやろうかなって。友達よりは建前だけでも恋人の方が気楽だろ」
ダイレクトに「好き」と言うよりはこっちの方が警戒されないだろうと、あえて無愛想に言ったが、今思い返すと幸野以外だったら失敗していたと思う。
けれど、彼女に対しては正解だったようだ。
「幸野……?」
いつの間にか横にいた幸野の姿がなく、後ろを振り返る。
そこには呆けた顔で立ち尽くしている幸野がいた。
「いきなりどうしたんだよ」
「だって……だってぇ……」
「いや、マジでどうした」
ポロポロと涙を零す幸野に、今度は僕が困惑する。まるで僕が泣かせているような感じになって、とても気まずい。
「私、今まで友達いたことなかったから……嬉しくて……」
いやいや、大袈裟すぎるだろ。
嗚咽を漏らしながら泣き始めたのは完全に予想していない反応だった。どんな反応でもスマートに対応して計画が破綻しないように脳内でイメージトレーニングをしていたのだが、こればかりは最善手がすぐに出てこない。
落ち着け、と一度自分に言い聞かせる。悪い反応ではなく、むしろ喜んで泣いているのだから冷静に対処すればいいだけだ。とにかく優しい諏訪和樹を演じればいい。
「ほら、ハンカチ」
「……汚れちゃうから」
「いいから」
強引に渡したハンカチで涙を拭う幸野は「ありがと」と鼻をひくひくさせながら声を絞り出した。
「でも、いいの? 私なんかと一緒にいてもメリットなんかないし……」
「遊園地にまで連れてきて、今更何言っているんだよ。どうせ僕だって暇だし」
演技とは言っても、ここまでオーバーな反応が返ってくると照れくさい。
「むしろ好意もない男から、こんなこと言われても迷惑か?」
「ううん、そんなことない。凄く嬉しいよ。……じゃあ、」
――お願いしてもいいかな?
怯えるような声で上目遣いされると、流石に罪悪感が湧いてくる。それでも余命僅かの同級生より自分を優先するべきだ。僕は自分の手を強く握り、揺らいだ決意を固く結ぶ。
――あぁ、これからよろしく。
と、こんな感じで僕達は付き合うことになった。
彼女の自己肯定の低さもあって上手くいったのはいいが、ここから僕の身代わりになるように誘導していかなければならない。だから、幸野にとって理想の彼氏になろうと、「やりたい事や行きたいところがあったら気軽に言ってくれ」なんて言ってしまい、今日は彼女の希望で登山デートに付き合うことになった。
……登山デートってなんだよ?
幸野がデート先に山を選んだ理由はとても単純で、「元気なうちに行っておきたい」とのこと。別に山が好きなわけでもなく、年始から連れていかれる僕からしたら非常にめんどくさいチョイスだった。
電車に揺られている間も「ファミレスやゲームセンターとか近場でいいだろ」と心の中で不満を漏らしていた。その一方で横に座る幸野は楽しそうな顔をしてガイドブックを読んでいる。窓の景色からビルが減っていくにつれて、こんなことに付き合っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくるが、上手くいけば足が治るかもしれない。そう言い聞かせれば、大抵のことは我慢できそうに思えた。
最寄り駅に降りて、そこから十五分くらい歩いてリフト乗り場に辿り着く。往復チケットを二枚買って、幸野に手渡すと財布を取り出そうとしてきた。「僕が払うから」と言っても幸野は「もうじき死ぬ私がお金を持っていても意味ないから」と自虐を言い出して一歩も退かない。千秋とだったら、数秒で終わるやり取りも幸野が相手だと数分かかってしまう。
結局、幸野の方が折れたが、その後もしばらくお礼を言われてデートという感じがしない。自己査定が低すぎるのも問題だな、と頭を抱える。
リフトに乗る時も「え? 一緒に乗るの?」と言って耳を赤くさせる辺り、本当に友達も恋人もいなかったようだ。僕と幸野を乗せたリフトはどんどん上へ登っていく。
「諏訪くん、ごめんね」
「何が?」
「お金払ってもらった上に、一緒にリフトに乗ってくれて……大丈夫?」
大丈夫って訊いてきたが、もし僕が「降りろ」って言ったら、降りるのか。死ぬぞ。
「まだそんなこと言っているのか。別々に乗ったら、仲悪いカップルに思われるだろ」
そうだね、と控えめに笑う幸野はカップルという言葉が恥ずかしかったのか、下を向きながら足をブラブラさせる。景色を楽しめ、景色を。
リフトを降りるまでの十分間、僕は景色を眺めながらも横の幸野をチラ見して考えていた。もし幸野が僕の身代わりになるのなら、代償はどうなるのだろうか。
ひょっとしたら、幸野も走れなくなったりするのかもしれない。難病を抱えた上に足が不自由になる。ブラブラさせる足を見ながら、「不幸な人生だな」とほんの少しだけ心配してしまったが、それでも幸野のことだから花に憧れているとか言って満足するかもしれない。
仮に僕の身代わりになって、幸野だけ再び時間が戻るのなら周りと同じように僕も記憶が無くなっている状態だ。そうなれば、幸野のことも忘れて本当の意味で元通りになるだろう。大地に取られるくらいなら見舞いに通い続けていた頃に戻った方がマシだ。
夢見がちだった頃の僕がまた玉を投げてしまわないかだけが心配だが、もう少し仲良くなってから同情を誘っていけば幸野がなんとか止めてくれるかもしれない。記憶のない僕が幸野の言葉を信じるかは正直怪しいが。
リフトを降りてからは道沿いに進む。山を登っていることを忘れさせるくらい整備されている道は、少し傾斜の強い坂道を歩くのと大差ない。僕や幸野の他にもラフな服装で来ている登山者が多かったが、ほとんどがお年寄りで同年代は見当たらなかった。
幸野の体力的に山頂までは厳しいと判断して、途中にある展望台まで、と決めていた。最初は「余裕、余裕」と言っていた幸野だったが、次第に歩くペースが遅くなり、「大丈夫」と強がる彼女を説得してベンチで休ませた。
「諏訪くんは優しいね」
そう言って、持参した水筒を取り出して休憩する幸野は、僕の本心に全く気付いていない。
「こんなところで倒られたら、彼氏として困るからな」
「大丈夫だよ。十月までは死なないから」
ベンチで休憩した後、再び道を進み、十五分前後で展望台に辿り着いた。
「いい景色ッ!」
両手を上げて無邪気に喜ぶ幸野の隣はなかなか恥ずかしかった。
でも、確かに普段見ることのできない景色は綺麗だった。
「やっぱり山の上は空気も美味しいね」
目を瞑って深呼吸をする幸野に「そうだな」と頷いておいた。正直、空気の違いなんてよく分からない。
「そうだ、おにぎり握ってきたんだ! あそこのベンチで景色を見ながら食べようよ!」
ベンチに座り、幸野が鞄から取り出した大きさがバラバラのおにぎりが四個。紙コップも持ってきたようで、水筒に入ったお茶を僕の分まで注いでくれる。
笑顔でコップを渡してくる彼女を見て、ちょっとだけ心が痛んだ。本当にちょっとだけ。
「あそこに見えるのはなんだろう」「晴れて良かったねぇ」など、幸野の話に相槌を打ちながらおにぎりを食べる。おにぎりは全て、中におかかが入った飾り気のないものだったが、おかかが好きな僕としては素直に美味しいと思えた。
幸野は「私は大丈夫だから」と言って、一個しか食べなかった。小食というよりは病気で食事制限をしているのかもしれない。
「おにぎりだけで足りたかな。足りなかったら、どこかお店入る?」
「いや、足りたよ。作ってきてくれてありがとう」
正直に言えば足りてなかったが、少しでも好感度を上げておく為に礼を言っておく。
それから設置されている有料の望遠鏡で交互に覗いてスカイツリーや変な形をした建物を見つけたり、展望台の近くにあるお寺を参拝したり、お土産屋で饅頭を買ったり、幸野を連れて行ける範囲は見て回った。
幸野の体のことを考えて、夕方になる前にリフトで下山。景色を背にして登っていく行きとは違い、下山する時は景色を堪能できて、これを見にまた来てもいいと思った。今度はちゃんとした恋人と一緒に。
そんなことを考えていたら、急にパシャっとシャッター音が聞こえた。どうやらカメラが設置されていたらしく、リフトから降りると幸野とのツーショットが貼られていた。
素通りしようとしたが、幸野に「見て見て」と引き止められて結局買うことに。しかも見栄を張って彼女の分もお金を払った。おかげで財布の中身がとても軽い。
「今日は色々とありがとう。お金も出してもらっちゃって……」
「僕だっておにぎり作ってきてもらったし、クリスマスプレゼントだと思ってくれ」
これも足の為と言い聞かせて、優しい彼氏を最後まで演じる。
「クリスマスプレゼントかぁ……。私、初めて貰ったかも」
嬉しそうに顔を綻ばせる幸野に「初めて?」と訊ねる。
「……私、家族と仲悪いから今まで貰ったことなかったんだよね」
そういえば、家族と仲悪いと言っていたな。クリスマスもなかったということは、ただ単に仲が悪いだけではなさそうだ。
「てっきり幸野のことだから今でもサンタクロースを信じているのかと思った」
「えー、私そんな風に見られていたの?」
ショックを受けたような表情ではあったが、「でもクラスで一番最後までサンタさんを信じていたのは私だったかもなぁ」と呟く。
「プレゼントを貰ったことないのにサンタを信じていたのか」
「ううん、プレゼントを貰ったことないから信じていたの。周りの皆は貰っているのに私だけ貰えないから、きっと私が悪い子だから貰えないんだって、ずっと信じていたんだ。だから、皆がサンタさんの正体を気付いた後もずっと信じていたよ」
なるほど、と思った。自分が悪い子だと思い続けたから、今の自己肯定の低い彼女があるかもしれない。もちろん他にも原因はあるんだろうけど、僕が走れなくなっただけで人生が変わったように、幸野にも何かしらの原因があってもおかしくはない。
一度もクリスマスプレゼントを貰ったことのない女の子が一番サンタを信じていた。あまりに幸野らしくて笑いそうになる。
でも、それを滑稽だと嘲笑する気にはなれなかった。
帰りの電車。幸野に「次はどこに行きたい?」と訊ねると、「今度は諏訪くんが行きたい場所に行きたいな」と返ってきた。
「じゃあ、考えておくよ」
「うん。楽しみにしているね」
ツーショット写真を眺める幸野の横で、僕は窓に映った自分の顔を睨みつけるような鋭い目で見ながら帰った。
この調子で幸野綾香にとって一番大切な人間になればいい。
そうすれば、元の生活に戻れるかもしれないんだ。
これが僕にとって一番良い選択なんだ。
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