第二章

第七話 身代わりになった二人


 7


「ねぇねぇ。見てないで諏訪くんも手伝ってよ」


「……いい加減諦めたら?」


「諦めないよっ!」


 意地を張る幸野の後ろで、ため息をついた。


 十二月十七日。夕方。


 幸野と再会してからの一週間、学校帰りに彼女がいる川原に足を運んでいた。


 幸野は僕と再会する前から四つ葉のクローバーを探しているらしく、今日もこうして寒い中探している。僕は一緒に探すわけでもなく、手に息を吹きかけながら彼女の後ろ姿を眺めていた。


 手伝わない理由は、単に四つ葉のクローバーを探すことに意味を見出せないからだ。四つ葉のクローバーを見つけたところで何になる。いくら身代わりになる前の僕でも「四つ葉のクローバーを見つけたら幸せになれる」と信じて探すことはなかった。……いや、小さい頃はあったかもだけど、高校生になってからは四つ葉のクローバーの存在すら忘れていた。


 幸野が何故、四つ葉のクローバーを探しているのか気になってはいるが、これで直接訊いて「見つけたら幸せになれるんだよ」なんて無邪気な顔で返されたら返事に困ってしまう。彼女は来年の十月に死ぬ。余命僅かの少女が死の恐怖から逃れる為に縋るような想いで、四つ葉のクローバーを探しているのだとしたら、僕はなんて声をかければいいのか分からない。少なくとも本音である「高校生にもなって信じているのかよ」なんて絶対に口にできない。


 幸野が四つ葉のクローバーを見つけようが、見つけまいが、一年後には生きていない。


 そのことを幸野に教えるかどうかで悩み、彼女がいる川原へ足を運び続けていた。


 あと一年もしないで死ぬ――と分かっていたら僕なら何をするだろうか。貯金を使って欲しかった物を買うかもしれないし、家族と美味しいものを食べに行くかもしれない。具体的にどんな過ごし方になるかは分からないが、少なくとも貴重な時間を四つ葉のクローバー探しに費やすことはないだろう。


 つまり僕は、幸野に「四つ葉のクローバーなんて探してないで、今のうちにやりたいことを好き勝手にやるべきだ」と言いたい。余計なお節介かもしれないけど、未来が分かっている立場だからこそ黙っているのも見殺しにするようで罪悪感が湧いてしまうのだ。


 問題は「幸野、君は来年の十月に死ぬ。四つ葉のクローバーを探してないで、やりたいことをやるべきだ」と言ったところで幸野は納得しないだろうし、僕のことを白い目で見るだろう。結局、幸野にどうやって伝えるか悩んでいるうちに一週間経ってしまったわけだ。


「幸野って何人兄弟?」


 しゃがんで四つ葉のクローバーを探す幸野に訊ねた。


「一人っ子だけど?」


「あ、そう」


「えっ、何その反応? 凄く気になるんだけど」


 弟や妹に頼まれて四つ葉のクローバーを探しているわけではないらしい。こんな病人を探しに行かせる弟や妹がいても困るが、幸野自身の意志で探しているようだ。


 余命一年も残されていない高校生が四つ葉のクローバーを探す。時間の無駄としか思えない。この無駄な時間を少しでも家族と一緒に過ごした方がいいのではないか。一人娘を失う幸野の両親のことを考えると尚更だ。


「幸野って学校に来れないほどの重病なんだろ? こんなところで四つ葉のクローバーなんか探していて大丈夫なのか?」


 確か数日前に訊いた時は心臓の病気だと言っていた。一人で出歩いて大丈夫なのだろうか。


「うーん、大丈夫だけど大丈夫じゃないし、大丈夫じゃないけど大丈夫……みたいな?」


「……なんだよ、それ」


 幸野は分かりやすく痛いところを突かれたみたいな顔をしながら話す。


「今は落ち着いているから学校に通うこともできるんだけどね。……行く気ないの」


「要するにズル休みってことか」


「少し違うかな。もう学校に通っても意味ないから行かないの」


「意味がない?」と訊き返したが、何を言いたいのか理解していた。きっと幸野は自分の死期が近いと悟っていて、どうせ死ぬのだから学校に通っても意味がない、と諦めているのだろう。


 でも、僕が予想していたのとは少し違った。


「私ね、来年の十月に死ぬんだ」


 幸野は笑みを交えながら、そう言った。


 確信しているような口ぶりにも、ピンポイントで自分の死期を言い当てたことにも驚いた。


「なんで分かるんだよ。もっと生きるかもしれないだろ」


 いくら彼女の言っていることが当たっていても「その通り」と言えるわけがなく、代わりに気休めにもならない言葉が出てくる。


 しかし、幸野は「ううん、私分かるんだよ」と答える。


 初めて幸野の真顔を見たかもしれない。四つ葉のクローバーを探している時に見せる顔とは全然違う。どこか儚げで、美人薄命という言葉がピッタリだと思ってしまった。


 僕が見惚れていると、幸野は「あ、信じてないでしょー」と悪戯っぽく笑う。


「……当たり前だろ。第一、来年の十月に死ぬと分かっているなら、呑気に四つ葉のクローバーを探している場合じゃないだろ」


「んー? それは……」


 それは……?


「……他にやることがないから?」


 なるほど。


 どうやら時間を無駄にしていたのは僕の方らしい。


 もういい。言いたいことも言えたし、帰ろう。


「ちょ、ちょっと! いきなり帰らないでよ!」


 幸野は慌てて、立ち去ろうとする僕の通学鞄を後ろから掴んで引っ張る。


「お、おい! あまり強く引っ張るな! 千切れる!」


「か~え~ら~な~い~で~よ~」


 余命僅かの病人とは思えないほど強い力で引っ張ってくる幸野。いや、身代わりになったことで貧相な体になった自分の力が弱すぎるのか。走れないから上手く前に進むこともできないし。


「暇潰しで四つ葉のクローバーを探している奴の手伝いなんてしたくない!」


「一回も手伝ってくれてないよね! どんな理由なら手伝ってくれるの!」


「どんな理由でも手伝わない!」


「好きな人! 好きな人に幸せになってほしいから探しているの!」


「だから! どんな理由でも手伝わないって!」


「酷い! これでも覚悟を決めて打ち明けたのに!」


「お前の覚悟なんて知らない!」


「じゃあさ! 好きな人の身代わりになったって言ったら信じてくれる?」


 ――身代わり。


「身代わっ、うわっ!」


「きゃっ!」


 一瞬気が緩んだところを後ろから思いっきり引っ張られて体勢を崩し、すぐに立て直そうとしたが間に合わなかった。そのまま幸野を巻き込んで仰向けに倒れ込んでしまう。


 僕の視界には夕焼け空が広がり、背中から「諏訪くん……重い」と苦しそうな声が聞こえる。


「悪い、大丈夫だった?」


 急いで彼女の上から退くが、「……大丈夫じゃない」と涙を滲ませる幸野がそこにいた。


 手を貸して幸野を起こす。


「いきなり倒れないでよ。来年になる前に死んじゃうかと思った」


「お前が後ろから引っ張るからいけないんだろ」


「諏訪くんが私を一人にしようとするからいけないんだよ」


 頭を押さえる幸野は口をへの字に曲げる。


「そんなことより、さっき身代わりになったって言ったよな?」


 確かに幸野は「身代わりになった」と言った。


「そんなことより、じゃないよ。痛かったんだからね」


「分かったから、悪かったって」


 幸野は不服そうに僕を見た後、ツンと取り澄ました顔で「そうだよ。信じてくれないと思うけど」と答える。


「私、好きな人を助ける為に身代わりになったの。だから来年……」


「身代わりになった代償として、来年の十月に死ぬのか?」


 僕がそう訊くと、幸野はきょとんと気抜けした顔になる。


「そうだけど……私の話、信じるの?」


 幸野の表情から引き止める為に咄嗟に出てきた嘘ではないことを確信する。


 同時に巫女さんとの会話を思い出す。


『二人目は君と同じくらいの女の子で綺麗な子だったよ』


 他にいるとは思えない。


 巫女さんが話していたあの少女は、幸野だ。


「じゃあ、心臓の病気は身代わりになった代償で、身代わりになる前は健康だったのか?」


 こくこくと数回頷いた幸野は、話がスムーズに進み過ぎて困惑している様子だ。


 僕が身代わりになる前の世界線で、既に幸野は身代わりになっていた。もし僕と同じく身代わりになる前の記憶が残っているのなら、心臓の病気とは無縁の幸野。つまり、健康な彼女が学校に通っていた頃の記憶があるはずだ。


 だとすれば、その記憶の中にいる僕も身代わりになる前の、サッカーをやっていた頃の僕なのではないか。


「幸野、僕の入っている部活なんだと思う?」


「部活? いきなりどうしたの?」


「いいから!」


「んー……」


 顎に手を当てて考える幸野。


「サッカー部じゃないの?」


 この世界線で僕とサッカーを結び付けられる人間は、身代わりになる前の世界線を知っている人間を除いてゼロだろう。この貧相な体を見てサッカー部だと言える幸野には、やはり身代わりになる前の記憶がある、と考えて間違いない。


「あの、諏訪くん? 本当に私の話を信じているの?」


 恐る恐る訊いてくる幸野に、僕は答える。


「信じている。だって……」


「だって?」


「僕も身代わりになった人間だから」


「あーなるほどね。諏訪くんも…………え? ええ? えぇえええええ!?」



 この日、川原に幸野綾香の声が――轟いた。

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