閑話 幼神獣の見た夢


 ――幼神獣シズマがグラシアとの戦いで疲れて眠っていたときのこと。




 気がつけば、オレは懐かしい廃墟同然の教会に佇んでいた。


 もしかして、いままでのことはすべて夢だったのか?


 そう思ってオレは自分の身体を見るが、小さな体躯、小さな掌、小さな足が目に入る。頭には狼耳がぴょんぴょんと、尻には狼尻尾がもふもふと、これ以上ないほど自己主張していた。


「……」


 夢であったのなら死の直前に戻る。死にたくない気持ちはあるんだが、この小さい身体のままってのもいい気分じゃない。要するに不満だ。せめて大人になりたいものだった。


「遅かったですね、シズマ君」


「――ッ」


 声のするほうへ振り返ると、くたびれた服を着た神父が教会の長椅子に腰かけていた。いつものように穏やかな笑みを浮かべながらシズマを見つめている。

 これは夢なのか?

 触れた長椅子の感触は本物のようで、廃墟同然の教会には慣れ親しんだかび臭さを感じる。悪夢を見ているときのように体が重いような圧迫感もないし、ドラッグで気分がふっとんでいるような解放感もない。

 夢じゃないのか、これは?


「この世界は神獣の子供が己の力を学ぶために、神獣の魂によってつくられる世界です。この世界も、この私も、あなたが受け入れやすいように生み出されたものです」


「偽物、か?」


 すわ敵か、とオレが身構える。神父は、睡眠学習装置のようなものです、と語った。


「ほっほっほ、私はシズマ君の記憶から生み出されたですから。本当の世界の神父とは少し違うかもしれません」


 瓜二つ、いや本人とまるで変わらないがな……。

 神父はオレの思うことなど気にせず、話を続けた。


「私は神獣の子供に神獣の魂の記憶を学ばせるために生み出される存在です」


「……本当は神獣の子供は寝てばかり過ごすのでこの世界にはもっと早く訪れるはずなのですが……、シズマ君は、この世界に誕生するにしても、傍らにいる精霊神にしても、あまりに規格外れのためこのような事になってしまったようですね……」


 神父の話では、神獣は卵から生まれ出るらしく生まれた直後は神獣の巫女なる人物に手厚く育てられるため、ほぼ一日を眠って過ごすらしい。

 それがどうしたことか。

 高次元的存在はいいかげんなもので、オレの魂とやらを神獣の遺骸やらよくわからんものと混ぜ合わせて魂をつくった挙句、適当に人工培養した妖精族の身体に魂をぶち込んで、森の中に放り出したって言うんだからひどいものだ。

 神獣の巫女なる人物の代わりに、オレが搭載していたサポートAIを割り当てたらしいが、これもまた適当につくったものでしっかりとは機能していないようで……。

 セレスも不憫なものだ。前世では壊れかけのサポートAIで異世界に連れてこられてもポンコツの精霊神とは……。


「……大概ひでーな」


「高次元的存在は私たちとは異なる存在。考えなど、及びつきません」


「それで、どうするんだ? オレはここで何をすればいい」


「簡単です。与えられる記憶を受け入れてください」


 神父は教会の長椅子に置かれていた寸胴鍋をよいしょと持ち上げる。そして、俺の目の前にどっかりと置いて蓋を外した。前世を思い出すシチューの香りが溢れる。牛肉の切れ端とじゃがいもとにんじんと……教会が恵まれぬ者へ配るくず肉とくず野菜でつくられたシチューだ。


「食べるのか?」


「はい」


 神父はにっこりと笑いながらシチューをよそう。湯気の立つシチューを受け取って、ひんまがったスプーンでひとさじすくい、パクリと口に含む。

 すると、かつて神獣として生きていた生命体の力と記憶がほんのすこし流れ込んできた。神獣とは、神とは、悪神とは……精霊神とは。神父に読み聞かせられた聖書のお話のような世界がオレの中に、シチューの味と共に染みわたる。


「なるほど、わかった。わかったんだが…………、まさか、それを全部食えってんじゃないだろーな?」


 オレは三十人前はあろうかという寸胴鍋をスプーンで指す。


「おかわりもありますよ? ――なにせ最古の神獣の力と記憶なので」


 神父はにっこりと笑う。その後ろには寸胴鍋が三個控えていた。


 腹が破裂するわ!

 オレは内心、うんざりとしつつもゆっくりとシチューを食すことにした。唯一の救いは寸胴鍋の中身はそれぞれ違う香りが漂ってきていることだった――。


 ズズ、とシチューをすするたびに神獣に記憶が流れ込んでくる。他人の人生を物語で知るような不思議な気分だ。神獣の記憶からこの世界の知識を覚えていく。世界の成り立ちを、魔法を、言語を、貪るように学習していく。

 シチューは旨いが食べても食べても腹は膨れなかった。なんというか霞を食べているかのような気分になる。腹が膨れないので味を楽しむだけでいくらでも食えると言う何とも不思議な気分だ。


 ひとつ目の寸動鍋を空にしてから、オレは神父に話しかけた。


「なあ、神父」


「なんでしょう、シズマ君」


「セレスは敵なのか?」


 はて、と神父が首を傾げる。


「……それは、神獣と悪神と精霊神の関係性についてですか、シズマ君」


「それは学んだ。セレスが悪神よりの精霊神なのか、精霊神よりの悪神なのか、感情を持ったAIなのか。それとも……別の魂の……、説明しづらいんだが……そういうことが、聞きたい」


 オレはいま神獣の記憶を学ぶたびに、神獣へと近づいて、だんだんとという存在が希薄になっていくのがわかる。並んだ寸動鍋のシチューを食べ尽くしたとき、オレは神獣として目覚めるんだろう。

 神獣になったオレはセレスを殺すだろう。何故なら、悪神は神獣の敵だから。


「……私はシズマ君の記憶の中にある神父に過ぎません。シズマ君がわからないことは答えられませんよ」


「だが、お前は神父だ。迷える子羊を導くのが務めだと言ってたじゃないか」


「説法の時間はいつも行方をくらませていたシズマ君の言葉とは思えませんね、ほっほっほ」


「言ってろ」


 神父の語る神の言葉とやらはうっとうしいとばかり思っていた。でも、繰り返し聞かされるものだから自然と耳に残った。そうすると不思議なもので、日々の生活の節々で神父の言葉を思い出した。

 踏みとどまった、引き返せた、……こらえることもできた。

 だから、いま、オレの心でせめぎあう思いを導いてほしかった。


「オレは悪神を滅ぼしたい」


「何故ですか?」


「オレが神獣だからだ」


「……そうですね。悪神は神獣の敵ですからね。シズマ君はどう思っているのですか?」


「……悪神は生きるために人々を苦しめていく。娼婦から金を搾り、麻薬で人を壊し、孤児の臓器を奪う、マフィアと同じだ」


「悪神を殺したいのですか?」


「そうだ」


 ふたつ目の寸動鍋を空にした。最後の鍋の前にペタリと座り込む。

 湯気を立てているのはじっくりと煮込まれたホワイトシチューであった。淡々とシチューを救い上げてカップに注ぐ。


「では、セレス君のことはどう思っているのですか?」


「感謝してるよ。アレのおかげで殺し屋でやってこれたし、この世界でも生きていけるからな」


「そちらではありません」


 なんのことだ、と悩んだ。しばらくして神父の言いたいことが理解できた。ああ、……名前の由来をすっかり忘れていた。


「もしかして、娼婦のセレスのことか?」


「はい、シズマ君をいつもお世話していたセレス君のことです」


 本当の名前はセレスではないそうですが、と付け加えた。セレスは商売での名前で本当の名前は神父も知らないそうだ。


「そんな世話ばかりされてねーよ……」


「おやおや、シズマ君がベロベロに酔っ払ったときにいつも介抱してくれていたのは? AIを購入する費用をこっそりと水増して貯めていてくれたのは? たいした稼ぎもないのに孤児や娼婦たちを養えていたのは? 良妻賢母ですね、セレス君は」


「――んぐ!?」


 危うくシチューを吹き出しそうになるのをこらえた。ごくりと頬張っていたジャガイモの塊を飲み下す。


「はぁ!? ……な、ん……あいつは、んなこと一言も……っ!」


「おっと、つい口が滑ってしまいました。ご本人に知られたら怒られてしまいますね」


「神父てめー……なんでオレが知らんことを……」


「ほっほっほっほっほ――」


 神父は朗らかに笑うばかりである。


「ふんっ……」


 笑う神父に何を聞いても無駄だ。ガキの頃からのつきあいだから良く知っている。オレは神父から顔を背けて、八つ当たり気味にガフガフとシチューを掻きこんだ。


「ごちそうさん」


 オレは最後のシチューを食べきった。

 じわじわと神獣の力と記憶が馴染んでくると、ゆっくりと立ち上がり、神父から背を向けた。教会の扉へと歩いていく。

 この世界から目覚めたら神獣として生きていくことになる。


「シズマ君」


 振り返れば、いつもオレのことを気にかけてくれた神父の姿がある。すべての記憶を継承したいまなら理解できる。この世界は、高次元的存在がつくりだした過去も未来も現世も来世もつながっている超次元のひとつ。

 は神父だ。


「AIに魂はありません。魂のある存在はかつて魂をもっていた存在。生まれ変わり。人も獣も神も精霊も等しく同じ魂です」


「光ある来世を、とは祈りません。――どうか、良き人生を」


 廃墟同然の教会を一歩外に出ると、オレの意識は現実世界へと戻っていった。

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