第25話 神獣と悪神

 ――神獣と悪神の戦い、炎に包まれたアズナヴールの奴隷市場にて。




 ゲン・ラーハの胸から青白い稲妻の刃が生えて、バチバチバチ――ッと唸りを上げる。


「ぐがぁぁぁぁぁ――!? 神獣!? テメェ――!!!」


 悪神ゲン・ラーハの絶叫が響き渡る。

 ゲン・ラーハは両腕に仕込まれていた刃の魔道具を鎌のように伸ばす。背中のご主人様を突き殺そうと腕を伸ばした。ご主人様はゲン・ラーハの肩を蹴って鎌の射程から逃れる。


「ち、……心臓貫いて死なねーのか」


「ケケケ……俺様に心臓があると思ってるのかァい! つーか、テメェこそ何で生きてやがる!?」


「……オレがそう簡単に死ぬと思ってるのか? おめでたい野郎だな」


 ご主人様は地面に降り立つと、ふんすと鼻を鳴らす。ふてぶてしく腕を組んだ。幼い少女の姿だからどことなく可愛らしい。しかし、どこか無視できない威圧感を放っていた。


「答え合わせをしてやるよ」


 ご主人様は、突然、五人に分身した。


「なっ――!?」


 それは誰の驚きの声であったのか。おそらく、この場にいる全員の声だったに違いない。外野の驚きなど露知らず、五人のご主人様はゲン・ラーハへと間合いを詰めていく。


「お前が殺したのは魔法でつくりだした可視光帯域型のデコイだ」


デコイは自立行動型」


「オレが五人に増えたのと全く変わらないのさ」


「だから全員オレだ」


「その気になればもっと増やせるぜ? 五人で十分すぎるだろうけどな」


 五人のご主人様は一斉にゲン・ラーハに飛びかかった。


「くっ、テメェ……!?」


 ゲン・ラーハの顔から余裕が消える。

 マントから取り出した薬を呷り、大穴の開いた胴体と失われた左腕を再生させる。大きく後ろに飛び下がるとマントを外した。


「俺様がァ! たかが……神獣如きに、負けるはずがねェんだよォォォ――!」


 ゲン・ラーハがマントを引き裂く。すると、神獣の骸皮に悪神の血骨で鍛えられた骨刃が縫い込まれた呪術めいた奇妙な鞭が広がった。

 九本の鞭は多頭竜のようにゲン・ラーハの周囲を暴れまわり、竜巻のように地面を巻き上げる。骸皮からは金色に輝く呪詛が浮かび上がり、生きとし生ける者たちすべてに怨嗟をぶつけてくる。傍にいるだけで生命力を奪われるようなおぞましさだ。


「呪神鞭! この俺様の最高傑作、この世のすべての絶望と苦痛、喰らってみろやァァァ――!!!」


「っ……野郎――!」


 ゲン・ラーハは汚い。九本の鞭のうち数本はのたうちながらアーリーンたちに襲いかかる。ご主人様は分身を向かわせる。アーリーンとグラシア、そして盾を構えて立ちふさがっていたアリスターの前に飛び出した。

 変幻自在に宙を切りさく呪神鞭がご主人様の小さな分身をしたたかに打ち据える。神をも砕く一撃に、ご主人様の分身はガラスが砕け散るような破砕音と共に砕け散った。


「シズマ殿!?」


「神獣様ぁ――!」


「下がってろ! 身を守れ!」


 悲鳴を上げるアーリーンたちにご主人様が怒鳴る。


 鞭の猛攻は終わらない。ご主人様が分身を生み出すたびに生き物のように呪神鞭が暴れまわり、ご主人様の分身を次々と破壊していく。

 そして、鞭の一本がセレスに向かって飛んできた。動けないセレスには何もできない。眼前に迫る呪神鞭の呪詛を前に覚悟を決めた。


 が――、そこへご主人様の分身が割り込んだ。


「な……、ご主人、様……!?」


 背中で呪神鞭の一撃を背で受けて、ご主人様の分身はセレスに笑いかけて、そのまま霧散して消えていった。

 どうしてと言う疑問を問いかける暇はなかった。しかし、ご主人様がセレスの正体に気づいていないわけがない。気づいていながらセレスを助けようとする意味はいったいなんなのか。


 ご主人様の守勢一方の様子に、ゲン・ラーハが口元を歪める。


「カカカ、本気になり過ぎたかァ? 分身だかなんだかしらねぇが、ぶっ殺せば終わりだぜェ、ひゃはははは――!」


「そうかい。オレも同じこと考えてたよ………………、――撃てぇっ!」


 ご主人様は空に向かって吼えた。


「ぁぁ!? 誰に言ってやが――」


 ゲン・ラーハの答えは砲声でもって返ってきた。


 星空の瞬く空の彼方から、精霊の樹海の巨木から、アズナヴールの街の各所から、轟きが響き渡る。キィィィィ――ン、と天を裂き、夜を裂き、虚空を切り裂く飛翔音が聞こえてきたかと思うと、荒れ狂う呪神鞭に黄金の輝きが突き刺さった。


 光が迸る。光が炸裂した。輝く弾丸に貫かれて呪神鞭がバラバラに千切れて吹き飛んだ。


「ば……っ!?」


「オレの分身はいっぱいいるんだぜ?」


 セレスが世界を索敵すると、ご主人様の分身体が純潔城エンラニオンとアズナヴールのロア城塞にいるのを確認した。すでに伏兵を潜ませてこの場に臨んでいたらしい。


「……っ、俺様の最高傑作が――!?」


「終わりだ」


 ご主人様の分身たちが猛禽の群れのように前後左右から襲い掛かる。

 神速の手刀が悪神を万に斬り裂く。

 ご主人様の分身たちが硬直したゲン・ラーハのすり抜けるように駆け抜ける。キラキラと黄金の軌跡を虚空に描く両手を振りぬいて、羽のように軽やかに地面に舞い降りる。


「か――ぁ、……っ」


 ゲン・ラーハは血走った目をぎょろりと動かしてご主人様を追いかけた。パシ、パシ、パキ――ッ、と凍てついた氷にひびが入るように、悪神ゲン・ラーハの全身に微細な亀裂が入り、裂傷の隙間からまばゆい閃光が迸る。


「俺様は、……俺様は。ふざ、け……ァァァァァ、ア? ……これが、俺様のォォぉ、……絶望、と苦痛……………、――最高だァ……………」


 ゲン・ラーハは白目を剥いて愉しそうに笑うと、粉々に砕け散りながら光に包まれて消滅した。




***




 セレスはご主人様を解析した。そして理解する。ここにいるのはご主人様ではなく、圧倒的な力を継承した神獣。世界最強の生命体だった。


名前:シズマ

Lv:256

種族:始神獣シュニレム・クォルティマの幼生

性別:女

筋力:520000000000

体力:348278918000/350000000000

魔力:740000000000/740000000000

闘気:594156167230/740000000000

神性:695114386900/995000000000

器用:830000000000

敏捷:870000000000

反応:900000000000

知力:6200000000

精神:6400000000

魅力:000000000000(計測不能)

備考:隠蔽、転生体、始神獣の骸怨(最上級)、悪神の愛慕(最上級)

   記憶・想像に在る事象を具現化。

   【転生体】の魂を破壊して肉体を奪いとる始原獣の呪怨。

   【転生体】の魂を防護して肉体を守っている悪神の寵愛。


 辺境伯の旧別宅で目覚めたときから、ご主人様は【隠蔽】の力で本当の力を見えないようにしていた、と言うことらしい。

 セレスが悪神であることを見抜いて、アリスター・グランフェルトを救出してからゲン・ラーハに殺された振りをして、セレスの探知に引っかからないようにして潜んで――。

 その目的はもちろん復活した悪神たちを滅ぼすためだろう。

 悪神は神獣の敵。ご主人様がセレスを活かしておく理由はない。きっと命乞いをしても殺されるだろう。消滅しかけたこの身体では逃げることもできない。


「……」


 膝をついて俯いているセレスの周囲に立つ者たちがいる。

 アーリーン、グラシア、アリスター、そしてクィユ族の精霊使いたち。顔を上げれば皆が硬い表情でこちらを睨んでいる。ご主人様と念話でもできるのかすべての事情は把握しているようである。


 セレスが殺されれば、始神獣は完全なる復活を遂げて、この世界を正しく導いていくだろう。それは、きっと……この世界にとって一番良い結末だ。


「ご主人様」


「……オレはもう、お前のご主人様じゃない」


「そう、ですね……」


 おっしゃる通り。

 ゲン・ラーハがご主人様の分身を殺した時点から、神獣シズマ精霊神セレスの守護精霊としての契約は破棄されていた。名実ともにご主人様とは呼べない間柄だ。


「……っ」


 悲しい――。

 ご主人様と呼べなくなってしまったことが、とてつもない喪失感となってセレスに圧し掛かってくる。堪えようと思うのに涙がこぼれて止まらなかった。


 では、何と呼べばいいのだろう。

 せめて最後はご主人様にとどめを――、セレスはご主人様を何と呼べばいいのかを必死に考えた。


 ふと、誰のデータかもわからなくなった音声ファイル群と不明なデータを見つけた。……本当にこれはデータなのだろうか。サポートAIであった頃、ポンコツのサポートAIの記憶域は破損していた。

 この言葉遣いは誰のデータだろう?

 この想いはいったい誰の残滓か……?

 ぁぁ、……AIに魂がないとしたら、この感情は、このご主人様に対する想いは、私はいったい誰なのか。この体は……サポートAIと悪神と精霊神の残骸で生まれた産廃――、悪神の性格がつよい神のまがいものに過ぎないのかもしれない……。


「……私を、悪神を殺してください……」


「そうだな。悪神は、滅ぼさないといけない」


 ご主人様は撃閃刀ヴォルトレイザーを右手に生み出すと、セレスの頭上に掲げる。


「ちょ、ちょっと待ってください、神獣様! 悪神ですけど、精霊神様は……」


「精霊神なのはわかってる。だが、悪神は殺すべきだ」


「シズマ殿……」


「……わからない、けど。良くない予感がする」


 アーリーンの静止の声に続けるように、アリスターもいい顔をしていない。そして、グラシアは悪神に敵意をむき出しにしているにもかかわらずセレスを殺すことに良しとしていなかった。

 ご主人様は右手を大きく振りかぶって――、セレスはじわっと涙があふれて視界が滲んだ。


 ぁぁ……本当は死にたくない。

 誰の記憶かもわからないが、セレスは大切に抱えているデータがある。ご主人様を陰ながら支えているセレスの姿がある。昔のように傍に、ただ傍でお世話をしていたい……。ただ、ご主人様をしあわせにしてあげたい――。

 でも、言えなかった。

 誰の記憶かもわからないが、セレスにはご主人様に本当の気持ちを伝えたくない、と拒む強烈な拗ねた性格セキュリティに支配されていた。




***




 オレは高々と掲げた右手を振り下ろせないまま固まっていた。


 明らかにオレではない誰かの思惑がオレの心の中で息づいている。激しくぶつかり合う心境の食い違いに動けないでいた。悪神を滅ぼしたいと願う呪怨と、呪怨に塗りつぶされそうになる心を守ろうとする邪悪な愛慕が、必死に戦っている。


 右手を振り下ろせば悪神は死んで、この世界を脅かす存在が減る。悪神はいずれ復活してしまうだろうが……、見つけ次第に始末していけばいいだけだ。神獣として当然の行い、本能として刻まれた自然な行い、正しい行動だ。


 だが。

 オレの気持ちは晴れなかった。神父の言葉を思い返せば、セレスを殺すことが己の人生に良き未来をもたらすとは思えなかった。悪神を殺したいと思っているのはオレじゃない。神獣が悪神を殺したいと願っているだけで、オレは悪神のことなんざどうでもいいって思っている。

 心や魂が混じるってのは最悪だ。本当の気持ちを見失ってしまいそうになる。






 オレは神獣じゃない。オレは殺し屋だ。






 ちょっとだけ幸せに暮らしたいと願っている殺し屋だった男だ。困っている子供や女を助ければ人殺しが許されるんじゃないかと考えているような小心者の男だ。

 世界のことなんてどうだっていい。オレが、オレの大切にした者たちが、慎ましい幸せを感じながら生きれればそれでいい。


 だからオレの振り上げた右手は違う。間違っている。

 悪神を殺せ、我が身を天の果てに葬り去った悪神共に憎しみを叩きつけろ、と声高に叫ぶ声に黙れと言ってやる。オレは神獣じゃない、ともう一度呟くと怨嗟の声は気にならなくなった。






 オレはどうしたい――?






 今一度、右手を掲げたままセレスを見た。

 セレスは泣いている。涙をつぅ――と流しながらオレを見上げている。その泣き顔を記憶にある少女の顔に重ねた。


 オレは日々の生活に押し流されて忘れていた記憶を思いだす。

 明かりに照らされる廃棄物処理場にて座っている少女に声を掛けた日の夜を。ただれた顔を見られたくないと背けた少女の姿を。顔を背けた少女にきれいな包帯を買ってきて巻いてあげたことを。こんなの頼んでいません、とふくれっ面の赤い顔で文句を言っていた少女の顔を――、思いだす。


 口数の少ない世話焼きの少女はいつも本当のことを言わない。

 顔も声も姿も変わってしまった記憶も定かでない少女であったが、魂に宿る性格だけは変わらない。


「お前は素直じゃないな、セレス」


 オレは右手を降ろして、いつも頼りにしていた少女だった悪神成れの果てをやさしく両腕で抱きしめた。

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