第24話 掌で踊る者たち
「ソルジャービートル、進め!」
凛としたアーリーンの号令が響く。
クィユ族の精霊使いたちがソルジャービートルたちに命じると大角を並べて大地を蹴った。衝撃で庭園の石畳が割れてぐらぐらと地面が揺れる。十数体のソルジャービートルたちは一列になってゲン・ラーハ目掛けて突貫していった。
ソルジャービートルの甲殻は岩石のように硬く、熟練の兵士や百戦錬磨の冒険者であっても両断するのは難しい。正面から突進を受ければ並みの人族や魔物では体がぐちゃぐちゃに押しつぶされてしまう。
「おぉ、おぉ、壮観だねェ」
だが、ソルジャービートルたちの突撃を前にして、悪神ゲン・ラーハは余裕の表情で待ち構えていた。
「こいつはどうかな? ぽい、ぽい、ぽいっと!」
ゲン・ラーハはマントから拳大の黒い石をいくつも取り出すと、えさを投げるように放り投げた。セレスは回転する石塊を即座に解析。足元に転がり落ちた黒い石の正体に気づいて叫ぶ。
「炸裂魔法を封じた魔道具です。退避――っ」
ゲン・ラーハの側面から間合いを詰めていたグラシアは即座に飛び退く。アーリーンも精霊の扱いがうまく、アトラクナクアを口笛ひとつで下がらせた。しかし、一直線に突進していくソルジャービートルたちはそうはいかない。
ゲン・ラーハは投げた黒い石が次々と閃光を放ち、大爆発。爆発が爆発を呼んで白い閃光が視界を埋め尽くした。真っ黒な煙が膨れ上がり、炎と熱が奔りぬけた。
遅れて爆散したソルジャービートルの破片がバラバラと降り注ぎ、光となって消え去った。
「みんな! まだ、だよ!」
アーリーンの叱咤にクィユ族の精霊使いたちが頷く。
爆炎を振り払って数匹のソルジャービートルが現れる。ソルジャービートルの生き残りたちは突進の勢いをのせてゲン・ラーハに大角を突き立てた。
その瞬間。
ゲン・ラーハの身体がくしゃりと潰れたかと思うと、虚空より無数の槍や剣が生え伸びた。ソルジャービートルの生き残りたちは甲殻を刺し貫かれて絶命、細やかな光のつぶてとなって散っていく。
「残念、こっちでした!」
ゲン・ラーハがおどけた仕草で何もない空間をひらりと降りてきた。その着地点にめがけてアーリーンの呼び出したアトラクナクアと妖槍ケリオランを構えたグラシアが襲いかかった。
「ッ――キシャアアアアアアアア――!!!」
アトラクナクアは闇に溶け込みそうな漆黒の鉤爪に魔力を流し込むと、青白く光る鉤爪をゲン・ラーハの頭に振り下ろす。
「ハァァァァァ――ッ!!!」
グラシアは妖槍ケリオランに闘気を集中させて、ゲン・ラーハの股間から頭頂部までを真っ二つにせんと突き上げる。アーリーンの絶妙な精霊扱いとグラシアの息を合わせた同時攻撃をゲン・ラーハは避けない。
ゲン・ラーハはわきわきと両手を動かして嗤う。
「力比べでも、してみるかァい――!? ぃよっと!」
ゲン・ラーハは気合を込めた。アトラクナクアの鉤爪を左手で、グラシアの妖槍ケリオランを右手でがっちりと受け止めた。
「ギ……」
「なっ!?」
「お返しだ、熱いぞォ――」
ゲン・ラーハはすぅぅぅっと息を吸い込む。頬をぷくっと膨らませると、猛烈な炎を口から噴き出した。
庭園の気温がぐんと上がる。
肌が焼けそうなくらいの熱気が周囲に押し寄せる。ゲン・ラーハの吐き出した炎は石畳をぐつぐつと煮え立たせるほどの熱さを発し、炎を浴びせられたアトラクナクアは断末魔の悲鳴を上げながら一瞬にして丸焦げに炭化する。
「なめ、るな――!」
グラシアは槍を手放して炎の吐息を回避する。そして、目にも止まらぬ速さで貫手をゲン・ラーハに突き入れた。闘気の力で極限まで鋭利になった爪がゲン・ラーハの額に突き刺さる。
ガァンと鉄骨を殴りつけたかのような硬質音が鳴り渡る。
「いいね。ナイス、ガッツ!」
「ぁぐ、ぅ……」
グラシアの呻く声とゲン・ラーハの楽しそうな声が聞こえてくる。
砕け散ったのは、グラシアの爪と骨だった。ゲン・ラーハはグラシアの腕をつかむと無造作に吊り下げた。グラシアはゲン・ラーハに蹴りを叩きこむが、まったくダメージが通らない。むしろグラシアの脚のほうが腫れあがっている。
「シアちゃん、にげて――!!!」
グラシアが焼き殺される。ぞっとする未来を想像してアーリーンが絶叫した。
「ぐ、く、……は、なせ――っ!」
「それはできないねェ、申し訳ないけど。耐えられるかなあ、ハハハハハハッ!!!」
ゲン・ラーハは腕を捕まえているグラシアに向かって、燃え盛る火炎が吐き出した。
「ぅぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああっ」
グラシアの絶叫が響き渡る。肉の焼ける悪臭が漂い、血液が蒸発する異臭が流れてくる。グラシアの身体は炎に巻かれて見えなくなってしまった。強烈な熱に妖槍ケリオランにひびが入り、ボロボロと崩れ去ってしまう。
ゲン・ラーハが炎のくすぶるグラシアをほうり捨てる。
「おぉ――……! 頑丈だねェ、さすがのクィユ族の英雄様!」
「ぁ……ぐ、ぁ……っ、……」
全身焼け爛れたグラシアの身体が力なく庭園の石畳に転がった。じゅぁと肉の焼ける音が聞こえてくる。グラシアの身体から白煙がたなびいていた。
「シアちゃ――!!!」
アーリーンがグラシアに駆け寄ろうとするが、ゲン・ラーハは次の魔道具を発動させる。
「王女様は黙ってみてな!」
庭園の石畳を吹き飛ばして茨の蔦が飛び出した。まるで生き物のようにくねる茨の蔦がアーリーンとクィユ族の精霊使いたちに絡みついた。茨の蔦にはナイフのように鋭く尖った棘が生えている。
そんなものが柔らかい素肌に巻きついたら、結果は火を見るよりも明らかだ。
「いっ……ぎ、ぎゃぁぁぁぁ――!」
「いたい、いたぁい――!!! ぅぁぁぁぁ――ッッッ!」
肉を裂く激痛に悲鳴が重なる。鮮血がびしゃびしゃと滴り落ちて石畳を染め上げる。たちまちクィユたちに足元に血溜まりができあがった。
「……ぅぅ、……精霊、神、……様ぁ……」
茨の棘にズタズタにされながら、血塗れのアーリーンが最後に残ったセレスを呼ぶ。
「いい時間稼ぎでした、感謝します」
セレスは瞬く間に倒されてしまったアーリーンたちに回復魔法をかけることもしない。ただじっとすべての魔力を溜め続けていた。最大最強の一撃を叩きこむために準備していたのだった。
魔力の奔流を身に湛えながらセレスは爆発しそうな魔力を解き放つ。
「――最大出力、」
セレスの魔法の発動に応えて、星の煌めく夜空に雷鳴が轟き、蜘蛛の糸のように稲妻が夜空を覆い尽くす。集約された稲妻の終着点がゲン・ラーハの頭上で炸裂した。
「
光の柱が天より突き刺さる。雷の光がゲン・ラーハを呑み込み大地を穿つ。稲妻が荒れ狂い、屋敷の一部を吹き飛ばし、庭園の美しい造形を薙ぎ払った。
セレスは魔力を使い果たしてがっくりと膝をついた。実体化させている精霊の身体が維持できず、左手が光となって散っていく。
セレスはご主人様の守護精霊であるため魔力は即座に供給されるはずなのだが、距離が開きすぎてしまうとパスは切れてしまうのか。ちょっとした誤算だった。
土埃に覆い隠された視界に紫電が飛び交う。
倒すことはできないが、計算上、ゲン・ラーハの戦闘力を半分近く削れているはずだった。これでご主人様はしばらく悪神に狙われるようなことはないだろう……。
「痺れるねぇ…………!」
土埃を割ってゲン・ラーハが歩いてくる。身に着けていた宝飾品がボロボロと崩れ落ちて、ゲン・ラーハの足元に散らばる。
「痛ぇ、痛ぇ、魔法を防ぐ魔道具をあっさり貫く威力とは恐れ入ったぜ」
「…………それにしてはダメージを受けていないようですが」
「ククク、お前が計算違いをしているってことだな。お得意の解析で俺様を見てごらん――」
セレスはゲン・ラーハの全身をスキャニングして、データを再取得する。
「これは……」
名前:ゲン・ラーハ
Lv:543
種族:神
性別:男
筋力:30000000000
体力:26325000000/32000000000
魔力:61900000000/70000000000
闘気:38000000000/38000000000
神性:80000000000/80000000000
器用:22000000000
敏捷:25000000000
反応:20000000000
知力:80000000000
精神:83000000000
魅力:17000000000
備考:【悪食】、【隠蔽】、【神喰らい】
魔道具生成・改変・修繕。
絶望と苦痛の感情を吸収することによりパラメータ変動。
神の残滓を吸収することによりパラメータ変動。
「これほどの力を……どうやって」
先ほど計測したステータスよりも、一桁増大している。ありえない数値だ。かつて悪神と戦った神獣たちを凌駕するステータスに信じられない気持ちだった。
さらには見たことない能力が記載されていた。
「ククク……、俺様は悪神として復活したんだが、ゴブリンにも劣る力しかなかったのさ。生きるため強くなるために、なんでもやったし、なんでも喰った。あるとき廃墟の神殿に封印されていた神遺物を喰ったら、力を吸収できることに気がついてなァ……、そこで俺様は世界に散らばっている神の残骸を喰らってやることにしたのさ」
「精霊神の目に引っかからないのも」
「ご明察。俺様はいままでの悪神とは違うのさ――」
いまのセレスやアーリーンたちでは逆立ちしても勝てない相手であることは承知していた。それが思っていたよりもさらに強敵であっただけの話。成長したご主人様であれば、きっと勝てるはずだ。
黒焦げのグラシアも、血塗れのアーリーンも、いまにも息絶えそうなくらいの有様であったが、瞳には強い光が瞬き、ご主人様への信頼と期待が残っている。
そんなセレスたちの姿を見て、悪神ゲン・ラーハは首を傾げる。
「おやァ? あんまり驚かないねえ……。もしかしてェ――私のご主人様が悪神をこてんぱんにしてくれる、なァんて考えちゃってるゥ?」
「だったらどうだと言いますか? ……どのみち、お前には我が主の居場所はわからない」
ゲン・ラーハは可笑しそうに低い声で笑いはじめた。いまにも爆笑しそうなのを必死でこらえる有様だ。
それから、おもむろにマントの中から奇妙なモノを取り出した。
「クフ――、これ、なぁ~んだ?」
「……ぇ……」
セレスの心にひやりとした焦燥感がはしる。
いや、そんなはずはない。ありえない、ブラフだ……。
地下水路の一角に刻んでおいた魔法の刻印は見た目でわからないように細工してあるし、別の生命体が発動しないようにご主人様を認識して反応するような生体認証機能を再現しておいた。
「俺様さァ、魔道具作るのが得意だから、こういうの気づいちゃうんだよねェ……なんか面白そうって見に行っちゃったのよ」
ゲン・ラーハが奇妙なモノをセレスに投げてよこした。カランと乾いた音を立てて転がった魔法の刻印は、セレスが地下水路に仕掛けていたご主人様用の罠であった。
「……っ」
まさかゲン・ラーハは先にご主人様と遭遇していたのか!?
そうだとしたらご主人様が勝てるはずもなく、ご主人様とアリスター・グランフェルトの気配は確かに罠の地点で途絶えたのは、まさか……そんなはずは……。
落ち着こう。
思考停止に陥るような無様はもう晒せない。そう、少しだけ落ち着いて考えてみれば、ゲン・ラーハの揺さぶりに過ぎないことはわかる。混乱しかけた思考がほんの少しだけ冷えた。
――そうだ、ご主人様たちが転移したあとでゲン・ラーハが魔法の刻印を見つけたに違いない。どこへ転移したのかを気づかれなければ焦ることはない。焦ることは……、
ゲン・ラーハはマントからさらに、赤いものが滴り落ちるズタボロの布切れのまとわりついた肉塊を、投げてよこした。べちゃりと湿った音をたててセレスの前に転がった。
「ついでに神獣の子供を見つけたから返しておくぜェ、――もう神の力は喰っちまったから残りかすだけどな」
全身の肌が粟立った。悲鳴を上げそうになる口をふさいで堪える。
ウソだ。ウソだ、ウソ、ウソ、ウソ――……ッ
これは、ゲン・ラーハの巧妙な策略だ!
「こんなことは……あ、り……え、ない、ありえない……あり……えない――っ」
そう思いたくて、必死で湧き上がる感情を否定する。血塗れになった肉塊にすがりついて白い髪を払いのけて、隠されている顔を見て喉がひきつった。
視界が滲んで熱い涙が伝って落ちる。歯の根が震えて止まらない。ぜいぜいと力いっぱい呼吸をしているのに息苦しくて心臓が破裂しそうだった。
死体は、ご主人様だった。
セレスは血で汚れるのも構わずご主人様の身体を抱き寄せる。
「……っ、――
「ムリだよなァ……魔力からっぽだもんなァ……」
「だまりなさい、――だまれ、だまれ、だまれぇぇぇええええええええ……!!! はぁ……はぁ……」
口元に溢れたポーションは呑み込まれることなくドロリと溢れて流れ落ちた。
「死体には回復ポーションは効かないんじゃねェか?」
「うるさ、い!!! ……こんなことで、ご主人様は、ご主人様は、……こんなことで、死んだりは……――」
「あきらめろ、お前のご主人様は死んだんだよ」
「やめろ……っ、やめろ――」
ゲン・ラーハは声高らかに叫ぶ。
「――と、言うわけでェ、……お前らのご主人様は俺様の糧になりましたっ、誰も助けにはきてくれませェん! ギャハハハハハハハハハァ――!!!」
「やめろ……やめ……っ、………やめ、て……やめてぇぇぇぇぇ……――!!!」
セレスは耳をふさいで絶叫する。
そんなことはない、と否定できる情報をセレスは持っていなかった。世界中の情報を集めてもご主人様の存在はない。
ご主人様は死んだ。
そう認めてしまうと、セレスは自分の中にある強い芯のようなものがバキリと折れた。血塗れのご主人様を抱きしめたまま、体中が鉛のように重くなって、何も感じられなくなった。
「ハハハハ――! フゥゥゥ……」
ひとしきり馬鹿笑いをしてから、ゲン・ラーハはセレスの髪をつかみ上げて引きずり立たせた。うつろな瞳をしたセレスを眺めてうっとりと目を細めて舌なめずり。小躍りしそうな有様である。
「待ちに待ったデザートのお時間だ。んじゃ、精霊神と悪神の絶望ってやつをいただきますかね――」
ゲン・ラーハはセレスの絶望を掴みださんと左腕を振り上げる。
――夜闇に白刃がきらめく。
白銀の剣が振り下ろされて、セレスの髪を掴んでいた腕が斬り落とされた。ゲン・ラーハの左腕が空を切る。
「は……?」
「ふぅ……まったくシズマ殿も性格が悪い」
白銀の剣を提げた騎士は刃の血を払いながらぼやく。そして、セレスを抱えたまま突然の事態に固まっているゲン・ラーハから距離をとる。見事な剣捌きでアーリーンとクィユ族の精霊使いたちの魔道具の茨を切り払う。さらに、床に転がされたままのグラシアをずるずると引きずっていく。
「アーリーン殿、グラシア殿、……上級ポーションだ。飲めるか? 君らも使え」
白銀の剣を提げた騎士は、背負っていたリュックからガラス瓶を取り出すと手渡していく。アーリーンたちは打ち合わせていたかのようにガラス瓶を受け取り、コクコクと中身を飲み干していく。
「ぁぁ~~~、痛かった……もうやだよぉ……こんなの」
「遅い、アリスタ。死ぬかと思った」
瀕死の状態から復活した二人が口々に文句を言うのを、白銀の剣を提げた騎士……アリスター・グランフェルトが苦い顔で応えた。
「私はアリスターだ。……しかたなかろう、シズマ殿の命なのだからな。お灸を据えるって、ふむ、まったく……」
「な……、な……、ん……」
セレスは突然に起きた事態にパニック状態であった。同じくして、ゲン・ラーハも斬り落とされた腕から血がボトボトと垂れるのにも気にしないまま、目をひん剥いていた。
「はぁ? はぁぁぁ!? てめぇら……、辺境伯、てめぇ、こら……、なんでここにいやがる……。さっき神獣の子供といっしょに……!?」
ゲン・ラーハが指を突きつけた先にはご主人様の死体が転がっている。ご主人様の死体はキラキラと光の礫となって夜風に舞い上がっていくところであった。
「なに、が……?」
「はぁ……?」
セレスとゲン・ラーハがあっけにとられた顔で光の礫を見上げていると、大陸の公用語であるベルトリア語で幼い女の子の声が聞こえてきた。
「オレはここにいるぞ、悪神」
次の瞬間、ゲン・ラーハの胸から青白い稲妻の刃が生えた。
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