第18話 疑心の英雄
どれくらいの時間、ご主人様を抱きしめていたのか――。
「セレス様……」
顔を上げるとメイドに付き添われたシャルリーヌが立っていた。その隣にはエルシリアが並んでいる。
神妙な面持ちの二人はセレスからアーリーンへ視線を移し、最後はアーリーンに肩を貸してもらって立ち上がったグラシアへと向かう。
グラシアは周囲の惨状を見渡してから唇をきつく噛み締めた。
「……ボクがやったこと、償う。逃げない」
「シアちゃん……」
グラシアは狂戦士状態であっても意識はあったのかもしれない。アーリーンを押しのけて一歩前に出た。煮るなり焼くなり好きにしろと言わんばかりに無防備な姿を晒していた。
辺境伯軍の兵士の死体は転がったままだ。まるで戦場跡のようになってしまったベイロン商会前の大通りにはピンと張りつめた空気が流れている。
――グラシアが暴れだすことはもうありませんが、……辺境伯軍の兵士を殺している姿は多くの住民に見られてしまった。何もせずに釈放とはいきませんか。
ご主人様はいつのまにか腕の中でスヤスヤと眠りに落ちていた。すさまじい戦闘力を持つ神獣の子供だが、まだ体は子供なのだ。全力で戦って疲れてしまったのだろう。
ご主人様が望むであろう選択は決まっている。どのような困難に陥ろうともセレスはご主人様の選択をサポートし続けるのみ、と心に誓っている。セレスはご主人様を抱きかかえながらアーリーンとグラシアを守るように立つ。
グラシアが息をのむ。何故、と問う視線に答えるようにセレスは口を開く。
「我が主の望みはクィユ族の庇護。操られていたグラシアの処罰は許容できません。ですが、あなたたちには何かと都合が悪い。ここで袂を分かつとしましょう」
「いらない。ボクが始末をつける」
「黙りなさい。クィユ族は我が主に従う義務がある。グラシア、お前に自由などありません。逆らうことは許されないと知りなさい――」
「グルル……お前、誰。命令、するな……!」
「シアちゃん、あとで! あとで説明するから、ね! 神獣様と精霊神様の言うこと、ちゃんと聞いて?」
セレスに対して敵意を向けるグラシアをアーリーンがあわあわと宥める。グラシアは交互に視線をさまよわせていたが、セレスの腕に抱かれているご主人様をじぃっと見つめる。そして、
「…………わかった」
意外にも素直に頷いた。
「では――」
「待ってください、セレス様! でていく必要なんてないありませんよ!」
「そうですわ。神獣様も、セレス様もクィユ族の方々も今まで通りわたくしのお屋敷で過ごしてください。数人、匿うくらいどうということもないですもの」
ありがたい話だ。ご主人様に救われた恩を忘れない姿勢は素晴らしい、と思うがやはりその好意は受けれない。
「やめなさい、もはや計画は破綻しました。あなたたちはこれからのことを考えなければいけないはず――」
「それは……」
「……辺境伯様は、やはり」
アリスター・グランフェルトは死んでしまったわけではないが、本人を前にしても誰も辺境伯であるとは気づくまい……死んだも同然だ。アリスター・グランフェルトは失踪・死亡と見做されて辺境伯領は解体されるだろう。
元辺境伯領がどうなるのか――。
次の統治者は? 帝国直轄領になるのか? うやむやに領地を実力統治する領主が現れる可能性は? 実力統治を狙った領主同士の紛争が起きる危険性は? ……間違いなくアズナヴール周辺は荒れる。
冒険者ギルドを暫定的に指揮する立場にあるエルシリアはそちらを注視しなければならないはずだ。
シャルリーヌは新しい領主の有力候補は誰かを調べなくていけないはず、領主候補と親交を深めて便宜を図ってもらえるような根回しを進めておかなければ、ベイロン商会の立場に関わる話だ。
「辺境伯が偽物であったことは近日中に帝都まで伝わります。ヴィレムに従っている官僚たちが辺境伯の代わりを用意できるはずもなし……と、なれば新しい領主が決まるまではゴタゴタが続くでしょう。私たちはこの隙にクィユ族を奪い返します。真っ当な手段になるとは思えません、あなたたちが関われば名に傷がつく。――我が主は他人の不幸を望まない、ここでお別れです」
「わかりました……。ひとまず辺境伯爵を襲った襲撃者は街の外へ逃げたことにします。少しは時間が稼げると思います」
エルシリアは肩を落とし、悲しげに瞳を揺らす。シャルリーヌもまた苦悩の表情を見せる。そして、小さな声でセレスに告げた。
「……アズナヴールの東地区に辺境伯様より買い上げた旧別宅があります。鍵を壊していただいて構いません。自由に使ってください」
「お二人とも感謝します」
教えられた辺境伯の旧別宅の座標を調べる。シャルリーヌの屋敷に負けないくらいの大きさで庭も広い。多少物音が聞こえたところで外に聞こえる心配もなさそうで隠れ家にはうってつけだった。それに、セレスは屋敷に常設されたあるモノに目をつけた。これは役に立ちそうである。
戦いの音が静まり様子を窺う人々が集まってくる気配がする。誰かに見られる前に移動するべく、セレス(とご主人様)とアーリーンとグラシアはベイロン商会前の通りを後にした。
***
人目を避けて辺境伯の旧別宅にたどり着く頃、陽は陰り、夜闇がじんわりとアズナヴールの街を包んでいた。セレスは旧別宅の門の鍵は空けずに高い塀を駆け上がり飛び越える。グラシアはアーリーンをお姫様抱っこして一息で塀を飛び越えてくる。
庭は手入れをされなくなってからしばらく経っており、低木や下草が好き放題に伸びている。屋敷も窓に埃がうっすらと浮かび人気が感じられない。
「――索敵。地下、……一階、……二階……三階、敷地内の敵性反応なし。水は来ているようです。生活には困らなさそうですね」
「お化けとかいないよ、ね? 精霊神様……」
「敵性反応が確認できない。つまり、ゴーストやゾンビの存在も当然いません」
「そ、そういうのじゃなくてぇ……」
「アリィ、先いく」
セレスとグラシアは下草をかき分けて屋敷へと歩いていく。二人の気配が遠のくと庭の暗がりにアーリーンだけがひとりぽつんと残されてしまった。
「あ、……あ、……! まってぇ、置いてかないで!」
アーリーンは辺境伯の旧別宅へと入っていく二人を慌てて追いかけた。
屋敷の調度品や生活の品々は撤去されており、がらんとした広い部屋が広がっている。一階はキッチンや居間、風呂場がある。二・三階は客室、寝室・書斎などに使われていたようだ。最後に地下を見ると倉庫として利用していた形跡が残っていた。
セレスは窓枠を指先でなぞる。指先に薄くこびれついた埃に顔をしかめた。
「我が主の住まう部屋にふさわしくないですね。グラシア、これを持っていなさい」
「……精霊神、ボクに命令するな」
セレスがぞんざいに突き出した
「ルシャトトム、じゃない……この子は誰だ?」
「我が主、神獣の子供です。なんの神獣かは私にもわかりません」
グラシアとの会話を片手間にセレスは掃除をはじめる。セレスがやるわけではないが――。
セレスは掃除をさせるのにちょうどよさそうな
グラシアは、屋敷を必死の形相で駆けまわる
「アリィから聞いた。この子供が新しいクィユの神獣になった。なんで、クィユ助けた?」
「我が主が望んだからです。それ以外の理由はありません」
さて、掃除が済んだところから生活環境を整える。
セレスは
これで寝るところは整った。
「まだなにか?」
「……神獣は約束を守らない」
「我が主はルシャトトムとは違います」
「お前たちから真偽の匂いがしない。信用できない」
「おやおや、【英雄】のくせに囚われて愚かにも狂戦士となって暴れまわったお前が誰に助けられたかもう忘れましたか? 信用できないとは、――駄犬は感謝の気持ちすらありませんか」
セレスは蔑みの眼差しに強烈な威圧を載せてグラシアに叩きつける。しかし、グラシアも弱っているとはいえ【英雄】だ。低い唸り声で威圧を弾き飛ばした。
「この神獣の子供には感謝してる! でも、クィユの神獣とするかは別の話!」
「神獣の加護のないクィユがこの世界で生き残れますか」
「ルシャトトムは役立たず。加護なんてあってもなくても変わらなかった」
「それは否定できませんね。ルシャトトム如きを我が主と比べられるのは不快ですが」
そこへ、遅れて屋敷を見て回っていたアーリーンが戻ってきた。
部屋の真ん中で火花を散らす二人、腕を組んで立つセレスと唸り声を上げて威嚇するグラシアを見て、アーリーン頬を膨らませる。
「もう! ……シアちゃん。精霊神様と神獣様と仲良くしてって言ったじゃない」
「アリィ、神獣に頼るな! 神獣は約束を守らない。この精霊神も信用するな。……真偽の匂いがしない奴、悪神かもしれない!」
「悪神……って神話の? シアちゃん、悪神は滅ぼされたって女王様に教えてもらったじゃない……」
「ボクを捕らえたのは悪神だった! 死んだ女王言ってた、悪神は死なない、いずれ復活するって!」
「えぇ? そんな話してた?」
「アリィは寝てた!」
「寝てないよぉ――!!! ……う、ウトウトはしてたけど……」
セレスのもつ精霊神の知識によれば、クィユ族の女王は先代の王女、ルシャトトムに魔力を与える役目をもつ神獣の巫女だった者を指す。クィユ族は年を重ねると次代の者に王女の役目を譲り、自身は女王と役目を変えてクィユ族の歴史を伝える語り部になる。
数万年も昔のことにもかかわらず、クィユ族はかつて悪神と戦った歴史を伝え続けているのですね、とセレスは感心した。
セレスはグラシアを狂戦士化させた漆黒の
「絶望と苦痛の神。まさか復活しているとは――」
情報の穴抜けが発生していたのは悪神のせいだ。
悪神との戦いに挑んだ精霊神はすべて殺されている。故に、過去の精霊神の記憶を継承できていないセレスは悪神の詳細な力は知らないのだが……おそらく、精霊神の力を悪神は知っており、なんらかの力を用いてセレスの情報網に引っかからないように動いている。厄介な相手だった。
それにしても……。
凶賊ゲン・ラーハの名前は箔つけとしか思っていなかった。まさか、復活した本人が名乗っているなどとはセレスにも考えが及ばなかった。
悪神はこの世界を生み出した神々に含まれるが、人々を様々な理由で争わせることを至上の喜びと感じる神であるため、悪神と呼ばれるようになった。
悪神の情報は少ない。
戦いの当事者であったクィユ族の口伝のような形でしか存在しないからだ。理由としては、悪神は人々の感情を喰らって成長する生命体であるため、人々が認識すればするほどより強大な力を蓄えてしまう。知る者が少ないほどがよいとされて、悪神を書物に残したり、広めたりすることは禁止されたのだ。
しかし、すべてを忘れてしまっては教訓とならないため、戦いの当事者だけが限られた者に口伝する、と定められた。あとはおとぎ話の世界の話だ。
――悪神が復活してからどれほどの力を蓄えているかわかりませんが、交戦はぜったいに避けなければ。いまのご主人様の力で敵う相手ではありません。
話を戻そう。
セレスはお馬鹿な言い争いをしている
「グラシア、あなたはどうしたいのですか?」
「神獣は頼りにならない。クィユはボクが護ってきた。……あの子供が、あの神獣がクィユを護るつもりがあるのか、戦って確かめる」
「愚かですね。まあ、いいでしょう。――ですが、まずは休息を。疲れた体で戦っても意味はありません」
「……わかった」
グラシアとて自身の体力がわからないほど馬鹿ではない。つまんで持っていたご主人様をアーリーンに投げ渡すと、セレスの提案を受け入れて部屋の隅に丸くなる。やがて静かな寝息をたてて眠りはじめた。
「……ぅぅ、シアちゃん。精霊神様は怖いけど悪神なんかじゃないよ、神獣様はやさしくて力をいっぱい分けてくれるし……」
アーリーンはグラシアの勢いに何も言えないままであったが、思うところあるらしく、ぶつぶつと不満を呟いていた。セレスが部屋の灯りを落とすとアーリーンの声は細く小さくなり、……やがて、すぅすぅと静かな寝息へと変わった。
セレスはアーリーンからご主人様を奪い取るとベッドに横たわる。
「うまくいかないものですね……、ご主人様。とてもイライラします」
フゥ、と珍しくセレスの唇からため息が漏れた。
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