第17話 激戦
「……痛ぇ……、折れたか――」
オレは崩れた商品を押しのけながら立ち上がる。右腕の上腕骨に激痛があり、服の隙間から見える肌は赤黒く腫れあがってきている。ぽたりぽたりと垂れる血は赤い。左手で額を拭ってみれば指先が赤く染まった。
痛い。
慣れていたはずの感覚がとても久しぶりだった。
あのクィユ族の襲撃者はこの世界ではじめての強敵かもしれない。いや、そもそもこんな小さな子供が魔獣やら盗賊やら力業で戦えていたことがおかしいんだ。異世界に来て、子供になって、妙な力が身について……、浮わついた気持ちでいたのかもしれない。
一発殴られて頭がよく冷えた。慎重になれ、と言い聞かせる。
幸いなことに追撃はなかった。オレはまだ生きている。
クィユ族の襲撃者は、左手の
「ラァァァァァアアア――――ッ」
しかし――。
クィユ族の襲撃者は辺境伯の兵士の陣形にがむしゃらに突っ込んでいき、左手の
先頭の兵士が高々と突き上げられる。吹き飛ばされた兵士たちが地面に叩きつけられた。
クィユ族の襲撃者が振り回す
辺境伯の兵士が皆殺しにされる前にクィユ族の襲撃者を引き付けなければ。仕掛けるまえに援護が欲しいんだが……。
オレはちらりと視線を向ける。
セレスは呆然と佇むままで動かない。最近は調子が良かったが……エラーが起きれば数分間は固まりっぱなしだったし、いつものことか。
アーリーンは暴れまわるクィユ族の襲撃者に走り寄っていく。さっき止めたんだが……、言葉が通じないんじゃ気づくはずもない。ひとまずアーリーンが危ないのでなんとかするか。
オレは右腕の激痛をこらえながら走った。
アーリーンの隣に一瞬で駆け寄ると、力任せに腕を引いて小さな体に似合わぬ腕力で後ろに放り投げた。
驚き目を見張るアーリーンが放物線を描いて飛んでいく。
セレスには悪いが体でアーリーンを受け止めてもらおう。そうすればフリーズした脳もいい感じに再起動するだろ。それでも起きなけりゃ、アーリーンに起こしてもらえ。
しばらくして、
次だ。
クィユ族の襲撃者は辺境伯の兵士に槍を払いのけ、大地を穿つ勢いで猛撃を叩きつけている。クィユ族の襲撃者は前に集中していて背中はがら空きだ。オレはクィユ族の襲撃者の背後からひたりひたりと忍び寄る。
オレは前世でよく使っていた武器を思い浮かべる。拳に装着する近接武器。最大電圧で殴りつければ猛獣さえも昏倒させる、非致死性兵器。構造が頭に思い浮かんでくると、ビリ、ビリリッと指先に紫電がまとわりついた。
影のように忍び寄るオレの気配をクィユ族の襲撃者が直前で察知する。狂気に駆られた瞳と目が合った。だが、避けるにも受けるにも遅すぎる。
オレは吼えた。
「シ――ッ、バチバチバチ――ッ」
クィユ族の襲撃者の顎に稲妻の拳を叩きこむ。小さな拳がクィユ族の襲撃者の細い顎に突き刺さり、百万ボルトの激しい電流が迸る。
よし――、うまくいった。
殺し屋時代に警察官の包囲網を抜ける時によく使っていた、
まばゆい光に辺境伯の兵士たちが悲鳴を上げる。
クィユ族の襲撃者は激しい電撃に奇妙な踊りをしながら、全身の筋肉を強張らせ……倒れない――! ギロリとこちらを睨む。
「ち――」
クィユ族の襲撃者の肩を蹴って跳び離れた。寸でのところで
気絶しない、のか。辺境伯みたいな【英雄】ってことか? 状態異常が効かないとかなんとか……。催涙スプレーや閃光弾も効果がないかもしれない。
次の手だ。
尻もちをついている辺境伯の兵士の腰にいいものを見つけた。
「それ、寄こせ!」
呼ばれた辺境伯の兵士はキョトンとした顔をしたまま動かないので、腰に括り付けていた目当ての物、ちょうどいい長さの荒縄を奪い取る。素早く投げ縄を作り上げると腰だめに構えた。
クィユ族の襲撃者は警戒しているのか、唸り声をあげながらこちらの様子を窺っている。狙いは完全にオレに向いたらしく辺境伯の兵士たちには目もくれない。
「さっさと逃げろよ! こいつはオレがやる、いけ! いけって――!!!」
まだ生きている辺境伯の兵士たちに叫ぶ。当然、言葉が通じないので辺境伯の兵士たちはどうしたものかと眺めていたが、隊長らしき兵士に命令されるとゆっくりと後退していった。
オレとクィユ族の襲撃者は円を描くようにじりじりと間合いを詰めていく。
クィユ族の襲撃者がどう考えているのかは知らないが、正直攻めあぐねているのが現状だ。取り押さえられるように荒縄を手に入れたが、不用意に縄をつければ体重の軽いオレが引きずられるのが目に見えている。うまく縛ることができても荒縄を強引に引きちぎられるオチもある。
どうすりゃいいんだろうな……。
状態異常が効かないと言っても寝ないわけじゃないだろう、さすがに睡眠や気絶で意識を失わないってことはないはずだ。
「ガゥ――ッ」
「っ、と……!?」
クィユ族の襲撃者が跳んだ。左手の
轟音と共に通りの石畳が噴水のようにはじけ飛んだ。そして衝撃で道路に一文字の亀裂が生まれる。すさまじい膂力に地面が震えていた。
飛び散った砂利に傷だらけになりながら、オレは滑るような足運びでクィユ族の襲撃者に背に回り込む。そして、荒縄の輪っかをクィユ族の襲撃者の首に引っかけた。
「ガァ!? ゥ……グ……ァァァ!!!」
締まる首を恐れずにクィユ族の襲撃者は槍を振るう。オレは荒縄を離さずにそのまま左足に足払いをかける。一瞬だけ浮き上がった右足に荒縄の輪っかをさらに引っかける。
ちょこまかとクィユ族の襲撃者の周りを動き回る。だんだんと荒縄をクィユ族の襲撃者にゆるく巻き付けていく。そして――、ゆるく絡まった荒縄に足を取られて、クィユ族の襲撃者が倒れた瞬間をオレは見逃さなかった。
「おらァ!!!」
荒縄の一点を強く引きしぼる。ゆるく絡まっていたかに見えた荒縄が一瞬にして強く引き締まり、クィユ族の襲撃者の関節を固めるようにして縛り上げた。まるで奇怪なオブジェのように固定されたクィユ族の襲撃者が激痛に身を捩る。
「――ァァ!?」
クィユ族の襲撃者は無理な姿勢のままもがき暴れるが、荒縄を引きちぎる程の力が振り絞れない。が、――唐突にボギンッと異様な音が聞こえた。
クィユ族の襲撃者は自分の左手が折れるのにもかかわらず縄を引きちぎった。振り回せなくなった
痛いならやらなけりゃいいのに。何でそこまで戦おうとするのか。薬中毒のマフィアだってここまでイカレていなかった、異世界ってのは化物だらけだな……。そして、本当に手がない。
――殺すしかない、か?
アーリーンに心の中で謝りながら必殺の武器を使うことにした。
「ジジ……、シャァァァァァ――ッ」
オレの左腕から青白い電光を放つ刃が伸びた。
オレの咆哮に負けじ、クィユ族の襲撃者も哮りを上げる。
「グルァァァァァアア――ッ」
刹那、オレとクィユ族の襲撃者は駆けだした。
殺気の刃となって漆黒の
無数に繰り出される攻守によって暴風の如き衝撃波が生まれ、地面が蜘蛛の巣の如くひび割れた。
***
セレスは呆然と視界に映るモノを眺めていた。
地面に散らばっている【仮面】の魔道具の破片。もはや地下牢に囚われているアリスター・グランフェルトは元の姿に戻れない。誰もが知るアリスター・グランフェルト辺境伯はこの世から消えてしまった。
ロバン帝国の【英雄】の消失、辺境伯領の空白化、……ロバン帝国がきっちりと手綱を取らなくては、近隣領主たちの間で空白領の利権をめぐって紛争が起きてもおかしくない。
クィユ族の襲撃者はアーリーンが探していた人物、グラシアだ。グラシアは狂戦士化の影響で敵味方の区別もなく、動くものすべてに襲いかかる。
通りに転がる辺境伯軍の兵士の死体は無残な刺突痕が刻みつけられている。ご主人様が庇護しているクィユ族が辺境伯の兵士を殺したという事実は、アズナヴールの住民たちに強く印象付けられただろう。
クィユ族は危険な種族であると思われてしまっただろう。奴隷解放のための障害になるかもしれない。排斥の動きが出てきてもおかしくなかった。
いつの間にか女盗賊レギナは消えている。……アリスター・グランフェルトを偽っていた犯人を取り逃がしてしまい、証拠は目撃者だけだ。奴隷商人ヴィレム・クラーセンが白を切れば押し通せてしまう。
計画は失敗だ――。
「神獣様ぁぁぁぁぁ――!? ぎにゃあああああぁぁぁぁぁ~~~~~ッ」
間抜けな悲鳴が聞こえてくる。ぼんやりと前を見ると眼前に涙目のアーリーンの顔が迫っていた。避ける暇もなくセレスとアーリーンの額が真正面から激突、ゴチン、と石でぶん殴られたかのような痛みがきた。
星が舞う。
視界がくらくらとしてアーリーンに抱きつかれたままゴロゴロゴロと地面を転がっていった。しばらくの間、意識が朦朧としていた。わんわんがんがんと響く不明瞭な声に、身体を揺さぶられる感覚だけが、どこか遠くに感じられた。
漠然とした意識におぼれていると、いきなり頬に鋭い痛みが走った。べしべしバシバシと容赦なく引っぱたかれて痛みが響いてくる。
ああ……そうだ、魔法で回復しなければ――。
思い立って、
頬がビリビリする。顔が真っ赤に腫れて痛む。口内に鉄の味がした。魔法で回復しながらセレスは上に圧しかかっているアーリーンを睨む。
「ぅ……この、ボケ狐。何様のつもり――」
「精れいじ、んざ、ま!!!」
ぽたりぽたりと落ちる涙に顔が濡れた。泣き顔のアーリーンがセレスの襟をぎゅっと握りしめていた。
「……シアじゃんがぁ……、ぐす、し、神じゅ、様が……、しんじゃう。うぇぇ……なんとか、しないとぉ……はやぐぅ……」
「何を言ってるのかわかりません」
「はやぐぅぅぅぅ――!!!」
「うぐぇ――ッ」
必死すぎるアーリーンはセレスの襟をつかんだままがっくんがっくんと揺さぶってくる。地面に押し付けられているからダイレクトに後頭部が石畳にぶつかって痛い。
「わかりましたからどきなさい。重いです、おっぱい自慢したいのですか」
セレスがアーリーンの胸を力いっぱい揉みしだくと、尻尾の毛を逆立たせてアーリーンが跳び上がった。
「わっきゃああああああ――!!! あ、精霊神様、もどった!?」
「状況を説明なさい」
「シアちゃんと神獣様が! 止めないと、どっちも死んじゃう!!!」
アーリーンが涙をぬぐいながら指差す先には、闘気と魔力の渦巻く戦闘空間が生まれていた。
時折、衝撃の余波で地面にざっくりと傷痕が残される。不用意に飛び込めば全身鎧を着ていたとしても真っ二つにされてしまうような真空刃だ。
セレスは衝撃波の届かないぎりぎりの位置まで駆け寄って声をかけた。
「ご主人様――、戻りました」
セレスの声にご主人様が視線だけ寄こす。やや不機嫌そうでありながら口元に笑みを浮かべて答えてくれる。
「遅いぞ、ポンコツ――! こいつの動き、止める方法を考えろ! 気絶しないから止まらない!」
「承知しました」
セレスは即座に
――金属生命体の反応あり。セレスの網膜に読み込まれたパラメータが表示される。
名前:グレイヴ・オブ・ベルセルクル
Lv:15
種族:インテリジェンス・ウエポン
性別:男
筋力:3210000/10000
体力:2510000/10000
魔力:10010/10000
闘気:6010000/10000
神性:701000/1000
器用:10000
敏捷:10000
反応:10000
知力:10000
精神:10000
魅力:10000
備考:悪神ゲン・ラーハにより製造された魔道具。装備者に狂戦士状態を付与する。
ああ、そういうことですか――。
セレスは様々なことに納得した。でも、いまはやるせなさを心から追い出す。まずは、ご主人様のサポートをしなければならない。
「ご主人様、武器を狙ってください。その
「ムリだ! 硬すぎる!」
ご主人様が振るう
ご主人様の
「腕を斬り落としてください。武器が離れれば正気に――」
「もうやった! よくわからんが! 武器が、腕を、くっつけやがる!」
ご主人様に言われて
「まだか――!!! ッ、もう、殺すしか、ない――、のか!?」
「お、お待ちください……。検索を……」
言葉に詰まる。息が荒くなる。心臓が脈打つたびに頭がガンガン痛む。どうして精霊神は息なんか吸うのか。心臓が痛いくらいに脈打つのか。焦りの感情なんかいらない。AIの頃にはそんなものなかった。
集中ができない、どうすればご主人様の命令を遂行できるのか……、思い浮かばない。
隣で見ていたアーリーンが焦れてセレスの腕をつかむ。
「精霊神様!!! はやく、たすけてあげて!」
「わかっています――ッ
「止めればいいの!? なら――!」
アーリーンはその場に跪いて祈りはじめる。アーリーンの掌に集まった光から精霊が呼び出された。
クィユ族の精霊使いが呼び出すテイラーアラクネアよりも一回り大きい個体だ。テイラーアラクネア・クイーンと呼ばれる上位精霊が破壊された大通りにずしりと降り立った。
「お願い、シアちゃんを止めて!」
テイラーアラクネア・クイーンはアーリーンの命令に従って、勇猛果敢に闘気と魔力の渦巻く戦闘空間飛び込んでいった。
飛び交う真空刃にテイラーアラクネア・クイーンの目が潰れ、足が一本ちぎれる。それでも止まらない。テイラーアラクネア・クイーンは
「ガ、ゥゥゥ……」
放水のように放たれた糸のほとんどは切り払われてしまうが、頑丈で強い糸は
「なるほど。伸縮性のある強靭な糸は束ねれば…………、――召喚開始、テイラーアラクネア・クイーン」
セレスもアーリーンに倣って精霊を呼び出した。ダメージを受け続けると精霊が死んでしまうため、
その隙に
「ハァ……ようやく止まったか……」
粉々に砕け散った
ご主人様はボロボロだった。
右腕は折れて、細くて白い腕はパンパンに腫れあがっている。衣服はボロボロで、隙間から除く肌には擦過傷が見えている。小さな子供の姿だから傷痕のひどさがより痛々しさに拍車をかける。
この傷は自分が失敗したせいだ――、と考えるとセレスは胸が締め付けられるような激痛を感じた。目頭が熱くなり胸の痛みで倒れてしまいそうだった。
セレスは
「助かった。痛いのがきれいになくなるのは変な感じだな」
「…………申し訳、ございません、ご主人様…………。私は……」
「……気にすんな」
「こんなはずでは……」
いま思い出せば、刃の上を渡るような危うさにいまさら背筋が寒くなってくる。AIだった頃には何も感じなかったことが、いまはとてつもなく怖い。
アーリーンの機転がなかったらご主人様は殺されていたかもしれない。ご主人様が諦めていたら
「私は、所詮、――……、申し訳ございません……」
セレスは項垂れたままご主人様を抱きあげる。いつぞやの泣き真似ではなく、本当に零れそうな涙を見られないように強く引き寄せた。
「また泣き真似か?」
「……はい、ご主人様……」
ご主人様はすんすんと鼻を鳴らす。それから何かを悟ったように深々とため息をついた。
「…………泣くなよ。気にすんなって言ったろ」
「――せっかくここまできたのに、失敗して……、大切なことに気づかなくて……、肝心な時にエラーばっかりで……、ご主人様をサポートできなくて……こんなの、……嫌、です……」
セレスは何一つ変わっていなかった。精霊神の力を手に入れてご主人様を完璧に導くことができると信じていた。――嘘だった。また失敗してしまった。壊れたAIはツメが甘い精霊神になっただけだった。
さめざめと泣くセレスにご主人様のおだやかな声が聞こえてくる。
「いいじゃねーか。アーリーンもクィユ族も生きてる。お前も生きてる。……よくやったぞ、セレス」
ご主人様は忠実に命令を遂行してみせようとした精霊神を褒めてくれた。
「…………慰めは、いりません……」
「じゃあ、泣くな。もとに戻れ。お前がしっかり道案内しないと次に進めないだろうが」
告げられた言葉は素っ気ない。
しかし、セレスは嬉しさと恥ずかしさで耳まで真っ赤になった。
こんなツメの甘い精霊神をまだ頼りにしてくれるなんてご主人様はやさしいですね――。
情けない、と己を卑下する心と、頼りにされている、と天に上る心地に、心がぐじゃぐじゃになる。セレスはご主人様を抱きしめたまま鼻をすする。
……嬉しくても泣くのかよ……、とげんなりとしたご主人様の声が聞こえてくるが、セレスの涙はしばらく止まりそうになかった。
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