第5話 これから、ここから、
この世界で生きていくためには働かなくてはいけない。まっとうな仕事につくには身元を保証してくれる代理人が必要だ。前世では神父がオレの代理人を務めてくれた。
しかし、この世界ではオレを保証するものなんてない。
前世では身元の保証ができない者ができる仕事など限られていた。見目麗しい子は娼婦となり、体力のある子はマフィアになり、すばしっこい子は窃盗になる。何もできない子は飢えて死ぬ。
転生したとしても、けっきょくオレができる仕事と言えば、殺し屋しかない。
「この世界に殺し屋はいるか?」
「――検索。殺し屋、この世界では暗殺者と呼ばれておりますが、暗殺者ギルドに登録された日雇労働者です。暗殺者は必ずギルドに所属し、ギルドより斡旋される依頼を処理する必要があります。フリーの暗殺者もおりますがギルドの粛清対象として懸賞金が掛けられます」
オレたちの世界では殺し屋は使い捨てだ。オレは何度も生き残って帰ってきたからマフィアたちに重宝されることになったが、普通は二度、三度の仕事で命を落とす。組合があり依頼が寄せられるということは職業として暗殺者が認知されているということか。多少はマシな扱いをされるかもしれない。
「まずはその暗殺者ギルドとやらに接触してみるか」
「お待ちください」
オレの決定について、蒼銀のショートヘアの少女が待ったをかけた。
「――提案。この世界は経済・法律・文化など前世と比べて低い水準にあります。しかし、文明の発展経緯の違いから前世とは異なる常識・倫理が根付いています」
「長い……つまり、何だ?」
「冒険者と呼ばれる職業に就くことを推奨します」
聞いたことのない職業だ。少なくとも前世ではそんな名前の職業を名乗る者はいなかった。前振りから察するにこの世界で生まれた特殊な職業、ってことか。
「冒険者とはなんだ?」
「――詳細検索。冒険者とは、危険地帯探索、害獣駆除、傭兵、その他雑多な単純労働に従事する日雇労働者です。犯罪者として見られる暗殺者と比べると、冒険者の生活水準は高く、一般市民と同じように生活することができます」
「ほぉ……それは、すごいな。資格はいらないのか? 身元保証の代理人は?」
「登録は無料です。犯罪歴がなければだれでも登録ができます」
いいじゃないか。浮浪児にもできる仕事が転がっているなんて、異世界も悪くない。人並の生活を送る、なんて夢を見れるかもしれない。
「決まりだ。冒険者の登録をして日銭を稼ぐ。……幸せに暮らせればいいな」
「幸せに暮らせるように、ですね。かしこまりました」
蒼銀のショートヘアの少女はじっくりと噛みしめるように復唱する。
できたらいいな、の話である。期待はしていない。夢に手が届かないのはいつものことだ。
「ここから人のいる街までどれくらいだ?」
「――検索。南南東約七〇キロメートル地点にあります。一〇〇人以下の村です」
村か。一〇〇人以下となれば老人ばかりの閑村だろう。排他的で閉鎖的、滅びを待つだけの小さな村を思い浮かべる。食料を分けてもらえれば御の字と言ったところか。
「わかった。その村で情報収集をして、さらに大きな街を目指す」
「移動するならば精霊を呼びますが?」
「いや、いい……。体を慣らしたい」
この身体は驚くほど感覚が研ぎ澄まされている。男だったときよりも音や臭いがよくわかる。少し体を動かしておかないと感覚がついていけなくなりそうだった。
目を閉じて世界を感じてみる。
耳をすませば遠くはなれた魔獣たちの唸り声や足音が聞こえてくる。濃密な土と水の臭いに混じった、火と鉄の臭いも嗅ぎわけることもできた。
……四つ足の獣が、三、四、五、……七匹。二足歩行の重い足音が二匹。……地面を這いずる大きな帯状の生物が一匹。……粘体質の生物が数十匹……。さらに遠くを感じてみる。
……ずっと遠く……、火の臭い、……鉄の臭い。……痺れるような冷たい臭い……。時折、異質な生臭さが鼻につく。
ずっと遠くに感じた臭いは、森の臭いとは明らかに違う。行ってみる価値はありそうだった。
太陽はやや西に傾いている。七〇キロの森を踏破するのはそれなりに時間がかかるだろう。森を歩けば【タイラントニーズヘッグ】のような魔獣との戦いにもなるだろう。陽が落ちれば一寸先も見えない夜の森も経験できるはずだ。いざ、動かなければいけない時にどこまでやれるのかを知るにはいい時間だと思う。
「いくぞ」
「村までのナビゲーションを開始。表示に従って先行してください」
蒼銀のショートヘアの少女の案内の元、オレは道なき森を颯爽と駆け出した。
うねる大樹の根をすり抜け、苔むした地面を蹴立てて、疾風の如く駆け抜けていく。この身体が馴染んでくるほど凄さが肌で感じられるようになってきた。
この身体はあらゆるモノを嗅覚で感じる力を持つらしく、野生の捕食者の殺気だとか、木陰や風の隙間にひそむ半透明の生命体であるとか、目に見えない気配を察知する力に長けていた。
正直に言えば楽しい。思うがままに動く体に心がわくわくしていた。こんな気持ちになったのはいつ以来だろうか。
「ご主人様、正面に【タイニートゥレント】です。擬態しておりますが近づくと……」
「問題ない、つっきる」
オレは前傾姿勢となって突進する。電光の如く節くれだった巨木に肉薄すると前世で一度だけ使ったことのある近接武器を思い浮かべる。
「シャァァァ――ッッッ!!!」
裂帛の気合と共に叫ぶ。小さな手刀から青白い稲妻が噴出し、鋭利な刃を形成する。
できた、
オレは右手を袈裟懸けに振りぬく。さらに左肘でもう一撃。駆け抜けざまに回転蹴り。両手・両足から迸る青白い刃が【タイニートゥレント】を易々と斬り裂いた。崩れ落ちる【タイニートゥレント】に振り返りもせず走り抜ける。
「いまの【闘術】は
「好きに呼べ」
名前はどうでもいい。殴り合いになったときの必殺の武器が欲しかっただけだ。
と、そのとき。
忘れておりました、と蒼銀のショートヘアの少女が思いだしたように呟いた。
「ご主人様、私の名前を決めてください」
「…………なんだって?」
「私の名前です。購入時に使用者登録機能が破損していたため、決めていただいておりません」
「そんなのあったのか」
このナビゲートAIは闇市場で見つけた。店員の売り文句は軍の試作機を譲り受けたってものだったが、いろいろな機能が死んでた上にロクに稼働しなかったので、処分する実験機を誰かが小遣い稼ぎに売ったんだろう、と修理してくれたジャンク屋が言っていた。
名前か。ペットすら飼ったことのないオレはパッと思いつく名前がなかった。
「セレス……」
ふと思いついたのは、養っていた病気の娼婦だった。
顔が爛れてしまっていつも包帯で隠していた少女。子どもたちを守るために殺されてしまった娼婦の名前。セレスと言う名も娼婦のあだ名だ。きっと本名じゃないだろう。でも、オレが最初に思い浮かんだのは彼女の名前だった。
返されたのはうんざりとしたため息だった。
「昔の女の名前をつける神経がわかりません」
蒼銀のショートヘアの少女、あらためセレスと名付けられた少女は、平坦な声音にほんの少しばかり不満を含ませる。よくわからない理由でむくれていた娼婦たちを思い出させる。AIのくせにまるで女のようだ。
「そういうわけじゃない」
「では、どういうわけで?」
セレスは明るい子ではなかった。料理や洗濯はてきぱきとこなしてくれるし、子供たちの相手を一生懸命してくれる。だが、しゃべるのが大嫌いで絵本の読み聞かせをする姿を見たことはない。言葉を交わしても事務的な会話を何度かしただけだ。でも、セレスのことは不思議と印象に残っている。
「頼りになる奴だったからだ。彼女に任せておけば子供たちは安心だった、特別だったんだ」
「さようでございますか。では、私のことはセレスとお呼びください。その名に恥じぬように務めさせていただきます」
それっきり会話は途絶えた。
オレたちは道を阻む魔獣を狩りながら足音を立てぬ獣となって森を疾駆していく。気づけばすでに陽は落ちていた。森は静けさと一寸先も見えぬ闇に包まれている。
星明りだけの世界にもかかわらず足取りは迷うこともなく進む。真っ暗闇なのに地面の起伏や障害物がどこにあるのかがしっかりと把握できるのだ。いい加減寝るべきだろうかと考えもしたが、目は冴えており足取りも軽い。このまま一昼夜歩き続けてもなんら問題なさそうだった。
***
かくして、名もなき異世界の地に一匹の獣と精霊が放たれた。彼の獣がもたらすものが災禍となるか、救済となるか、まだ誰にもわからない。獣と精霊を呼びだした者はただただ定まらぬ未来を見守るのみである。
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