第2話 変わる身体、変わらぬ絆

 水面に映る己の姿を食い入るように見返す。

 白銀の耳と尾。絹糸を束ねたようなロングツインテール。産毛のない細い腕。しなやかな脚。小柄な起伏の少ない女の子の体躯。ぱっちりとした蒼い瞳。くすみのない白い素肌。

 誰だお前は、と問いかけたい気持ちになるほど見知らぬ美幼女だ。


「……夢なのか? 幻覚か……? 人体改造……? ぅぁぁぁ~~~、なんなんだぁぁぁ……」


 無論、何度まばたきしようと頭を殴りつけようと夢でも幻覚でもない。はたから見ると、獣耳美幼女がうんうん唸りながらポカポカと頭を叩いているひたすら可愛らしい存在にしか見えないが、オレはいたってまじめで真剣である。


『お困りのようですね、ご主人様』


「うぉ――!?」


 突然、頭に響いた声に飛び上がるほど驚いた。しかし、あたりに人の姿はない。とうとう幻聴が聞こえるほど頭がおかしくなってきたのか。


『幻聴ではありません。いつも通りに話しかけているつもりですが、お忘れですか?』


 しっとりと優しい声は聞き覚えのない少女の声だ。いや、……ただ、……いや、しかし……そんな馬鹿なと思いつつも口にする。


「お前、AIか……?」


『はい、私はナビゲートAIです。もっとも、転生を経て精霊神と呼ばれる存在に変質してしまいましたが』


「転生……、精霊……、なんだって……――?」


『私の姿をご覧ください』


 一陣の風が吹き抜けると、オレの隣に一人の裸の美少女が佇んでいた。蒼銀のショートヘアに怜悧な瞳と凛々しく結ばれた唇。筋肉の少ない肢体は折れてしまいそうなくらい細いが女性らしい膨らみは十分にある。

 蒼銀のショートヘアの少女は無表情のままペコリとお辞儀をする。


「私は転生により精霊神と呼ばれる存在に変質しました。ただし、ナビゲートAIとしての機能は変わりません。この世界における情報・知識を検索することができます。また、周囲の索敵、戦闘補助、その他雑多な機能についても変わりありません。――では、改めて質問はございますか、ご主人様」


 ずいぶん変わったと思うが……。ポンコツAIだった頃のコイツは方向指示と戦闘補助くらいしかやってなかったし、雨が降れば故障しかけていたし、負荷がかかればエラーがバンバン出ていたし、こんな流暢にしゃべることもなかったはずだが――。

 こんがらがった思考に溺れながらどうにか言葉を絞り出す。


「………………ここは、どこだ……?」


「――検索。この世界に名称はありません。現在地は、ベルトイア大陸の北西部。精霊の樹海と呼ばれる地域です」


 さっぱりわからない。転生だとか精霊だとかわけのわからない単語もだ。もちろん神父のありがたいお話には転生やら精霊のこともあったから一般的な意味は知っているが、あの内容とは違う気がする。

 そもそもオレやAIがなんで女になる? なんで動物の耳や尻尾が生える? オレは死んでいるのか、生きているのか? どこかの誰かがオレを弄んでいるのか?


「くっそ――……ッ」


 わからないことを考えていると疲れる。ぐるぐると不快な思考の迷路にだんだんイライラとしてきた。


「ご主人様」


「――!?」


 蒼銀のショートヘアの少女がそっと寄り添い、そのままオレを抱きしめた。びくっと反射的に肩が震えた。肌に触れるぬくもり、ふわりと香る体臭に迷う思考が途切れる。咄嗟に振り払おうと身を捩るが蒼銀のショートヘアの少女の力は思いのほか強かった。


「なんのつもりだ?」


 一秒、二秒、と経っても抱きしめたまま何をするわけでもない。そもそも蒼銀のショートヘアの少女がAIならば、オレをどうこうするつもりなどないことはわかっているが……あいつを除けば、他人をこんなにも寄せ付けたことなどない。警戒が先に立った。

 見計らったように、耳元でささやく声が届いた。


「ご主人様。まずは冷静になることが大事です。落ち着きましょう」


「……オレは冷静だ」


「では、思いだしてください。死の直前のことを」


「教会で死んだ。神父が隣にいて……あとは、よく覚えていない」


「私の記憶域に保存されております。神父は言いました、光ある来世があらんことを――、と」


 そういえば言っていた気がする。意識が落ちる寸前だったから曖昧な記憶だが。


「ご主人様は、神父の願いによってこの世界に転生しました。新たなる人生を歩め、と」


「それなら! 子供たちもこの世界にいるのか!?」


「わかりません。この世界かもしれませんし、向こうの世界かも、または別の世界かもしれません。転生しなかったかもしれません。不明です」


「そうか……」


 転生するならオレなんかよりも子供たちこそするべきだ。でも、わからないのならしょうがない。幸せな来世を過ごしていることを祈るしかなかった。


 それに――……、新しい人生と言われてもピンとこない。

 どうしてオレの人生はこんな有様なのかと呪ったこともある。しかし、それ以上に必死だったと思う。食べるために、養うために、助けるために、生きていくのにがむしゃらな人生だった。

 養うべき子供たちはいない、守るべき病気の娼婦たちもいない、心にぽっかりと穴が開いたような感覚だ。新たな人生を歩め、と言われてもオレには何もない。


 うなだれたまま、小川に映る獣耳美幼女と蒼銀のショートヘアの少女をぼんやりと眺める。


「オレは、どうすればいい…………?」


「生きましょう。ご主人様は、それだけで十分です」


「オレは人殺ししかできないクズだ。そんな殺し屋が生きてどうする? 生きている価値があるのか……?」


 沈黙が降りる。

 蒼銀のショートヘアの少女はじっと水面を見つめたまま身じろぎひとつしない。無感情な瞳は水面の反射で良く見えなかった。黙りこくったまま長い時間が過ぎて、ようやく蒼銀のショートヘアの少女は口を開いた。


「……ご心配はもっともです。ですが、ご安心ください」


「私がナビゲーションします。ご主人様が不要と思うその日まで、私がご主人様を導きます」


「は……っ、ポンコツのお前ができるのかよ」


 蒼銀のショートヘアの少女が、確信をもって告げる。


「私がいままでにナビゲーションを間違えたことがありますか、ご主人様?」


「…………ない」


 エラーだらけのポンコツだが誘導や案内の間違いをしたことはない。嘘は言わない頼りになる奴だ。


「私ではご不満ですか?」


「…………いや、悪くない」


 殺し屋として生きてこられたのはオレの力だが、ナビゲートAIがいなかったら死んでいた瞬間はたくさんあった。十年来の付き合いもあって愛着もある。不満はあるが嫌いじゃない、そんな相棒だったはずだ。


「では、……私がご主人様を導いてもよろしいですか?」


 どこか答えを恐れるような声音のまま、蒼銀のショートヘアの少女は尋ねる。

 ナビゲートAIはただの軍用のコンバットオペレータに過ぎない。感情はない。心もない。ただの機械だ。

 それでもオレは、AIの言葉を聞いてなんとなくほっとしていた。

 こいつAIもオレを相棒と思ってくれているのかな、と感じられたから。


「――わかった。いつも通りに頼む」


「かしこまりました、ご主人様」


 蒼銀のショートヘアの少女の無感情な顔が心なしか安堵したように微笑んだ気がした。

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